三日目 教え子と食事
※※※※※※※※ 三 日 目 ※※※※※※
次の日も玄関に桜ノ枝が置かれて居た。
婆も困惑している様で、花瓶に指すのすら躊躇っていた。
紅時だけ桜を喜んでいる。
「やはり、桜の花が咲いている山は無かったよ。」
啓之助が風呂を借りた。山から帰って来たのだった。
「一日、山登りはきついな。流石に体が筋肉痛だから、農作業は手伝えないよ。」
「否。今日は午後から寺小屋の日だから、其の時間は家に居なくては駄目だよ。俺達も田圃にはでないよ。其の上、田植えの時期だから、寺小屋に来ても、数名だな。」
「ならば、俺は今日は手伝わなくて良いか……。」
「ついでに、あの少女を見ていてくれないか……。紅時は何と思っていないが、何かと、きな臭くてな。啓之助が居れば、安心だ。」
「でも、少女は寝ているだけだろ……。寝すぎな気もするがな。」
「婆も余り良い印象を受けないと云っている。終は懐いているのが心配だがな……。暇があると、少女の側に歩いて行ってしまうのだよ。」
「赤子が懐くのだから、危ない者ではなくないか……。」
秋も困った顔をした。
悪意があるなら、夜中歩きか周りそうだが、物色するでもなく、只、体を労る様に動いているからだ。
紅時が出す御粥を嫌がり、冷えた飯に鰹節を乗せた物を好んだ。
「気のせいだと良いが……。」
秋は溜息を付いてから、畑に向かった。紅時を連れだって行く。啓之助と婆と終は家に残した。
午後の寺小屋の為に、早めに農作業を切り上げ、秋が自宅に帰ったのは、飯時を過ぎた当たりだった。
少女は起きる事なく、眠り、婆も安心して、終と庭で遊んでいた。
啓之助も欠伸をしながら、軒下に寝転んでいる。
「坊っちゃん。御子さんは二人しか来ていませんよ。」
婆が終を抱っこして、秋に話し掛ける。
「何時もの子達だね。紅時、御願い出来るか……。」
「はい。」
紅時は納屋に工具を仕舞い、足と手を水場で洗っている。
秋も体を拭くと、部屋の一室に向かった。
女の子達は嬉しそうに笑っている。秋に気付くと、口々に言葉を発した。
「先生。御帰りなさい。」
一番を前の長机に座っている子供達。
秋が目の前に座る。
「今日は誰も居ないから、特別だぞ。先に御茶を飲むけど良いかな……。」
女の子達は喜んだ。
二人は村で特に貧しく日に飯を食えない時もある家族の子供達だ。
帰りに握り飯を持たせ、帰させるのだが、他の子供と差別はさせられないと、紅時に道すがら追い掛けて渡してもらい、渡していたのだ。
今日は二人しかいない。ならば、飯を食べさせても問題はないと思った。
啓之助には怒られているのだが、辞めてしまえば、此の子供を見捨てる気がして出来なかった。月に数回しかないのだから、負担は掛からないと紅時は云っている。
「私も腹がすく痛みを知っていますから……。」
と、紅時は伝えて来た。
「紅時。いいよ。」
秋が声を掛けた。
「はい。御待ち下さい。」
障子を開けると、紅時は盆を持って、入った。
盆の上には、雑穀米と味噌汁と切り身の肉が乗っている。秋の前に並べると、女の子達は歓喜を露にした。
啓之助が持ってきた肉だ。紅時に滋養を付けさせ様としてだが、彼女は微笑んで出した。
「ゆっくり、お食べなさいな。」
紅時はそそと下がって行く。
婆と終で昼を食べに行った様だった。
縁側に居た啓之助の影も見えないので、一緒に昼だろう。
「牛の肉ですか……。」
「そうだよ。暖かい内にお食べ……。」
秋が微笑んだ。
彼は、何と良い妻を持ったのだと思った。自分の分を女の子達に回したのだろうと感じた。
「旨いかい……。」
聞くまでも無かった。女の子達は口一杯に頬張って食べている。
喉を詰まらせ無い様に、二人の御茶を手元にずらした。
秋は雑穀米を食べながら、紅時の御茶を飲んだ。
桜ノ花が見たいと云う彼女に長い事、苦労を掛けたと思う秋の心に、満開の枝の記憶が横切った。
畑風景に満開の桜ノ木の場所等、近所にはない。
「此此ら辺で、満開の桜ノ木がある場所を知っているかい……。」
女の子達は首を捻りながら、考えている。
即答が出来ないのは、知らない証拠だなと思って、御茶を飲む秋。
啓之助も近場には無かったと云っている。
彼女達の箸が止まっているので、先に食べ終わってから聞けば良かったと反省した。
「あっ、彼処は……。」
「えっ……。でも……。」
「咲いているのかい……。音読が終わったら、連れて行ってくれないか。」
女の子達が、顔を見合せている。
困っていると直ぐに解った秋が、桜ノ枝の話をした。二日目になるのに、近場にはない桜の謎と、黒猫の話、次の日に無くなる握り飯の話。
子供達は話を聞いてから、頷いた。
「先生なら、大丈夫だよ。猫ちゃんにも会ってるし、握り飯も食べてるし、問題ないよ。」
「だね。猫ちゃんが、彼処から出て来たの、始めてだよね。先生の家の握り飯も無くなったから、きっと大事だよ。」
秋が納得し難い顔をしている。
「彼処は特別な場所なんだよ。」
「私達の隠れ家なの。だから、先生も誰にも云わないで欲しい。」
「誰にも云わないけど、紅時は連れて行って良いかな……。」
「先生の奥さんなら、大丈夫。毎回、握りの事もばれない様に、先生の家の裏まで、来てから渡してくれるし、座り易い様に椅子まで作ってくれて、家に帰る前に食べる時間をくれる人だもの。」
「家に帰ったら末の私の食べ物等、取り上げられる。当たり前の様に私に、先生の奥さんは、食べ物をくれるのよ 。」
「寺小屋に来ると安心して居られる。だから、殴られて怒られても来るの。早めに頑張って言い付けを終わらせて、直ぐに逃げて来るの。」
秋が悲しい顔をした。
家庭のしつけの問題に口を挟める時代ではない。家長が絶対な農村もある。口答え等、子供には許されない。食事も十分に与えられないのである。
明治時代等、小作人には辛いものはない。
秋にも毎日食べさせるだけの財力はない。手を差しのべる人間もいない。助けすらないのが現実だ。だから、米を作る事をした。高値で売れる強い穂を持った苗なら、少しはましになるかもしれない。
「解った。誰にも云わないでいるよ。紅時にも伝えない様に云う。」
「先生の赤ちゃんは特別に良いよ。私にも懐いてくれているしね。」
女の子の着物は継ぎ接ぎだらけだった。
親の視線で子供の態度は決まる物だ。親の価値観が子供にも影響する。
「なら、早く食べておしまいなさい。」
「はい。」
二人は勢いよく食べ始めた。
秋は沢庵を噛りながら、啓之助をどの様に家に残すかを考えていた。
読んで頂き有り難う御座います。
感想頂けると嬉しいです。