2. 来訪者
カチッカチッ
カチッカチッ
「おばあちゃん遅いね」
普段なら話し声や笑い声、物音がするはずなのに。祖母は確かに玄関へ向かったはずなのに。人の気配すらしない。いや、気配が“消えた”と言う方がしっくりくるかもしれない。
(なんだろう…なんか息が詰まる…)
ギーンゴーン
ギーンゴーン
私が幼い頃から居間にある壁掛け時計から午後2時を知らせる鐘が鳴る。
「遅いなぁ…ちょっと見てくるね」
瞬間、とてつもない不安感に襲われる。
「待って!」
玄関へ向かおうとする母の腕を反射的に掴んでしまった。
「なに?」
「あ、いや、なんでもない。」
慌てて母の腕を離す私に軽蔑の眼差しを向けた後、ため息をつき母は祖母に聞こえるように声をかけながら玄関へ向かった。
「お母さん?なにしてるの?誰が来──」
ゴンッ
ガタンッ
ザグッ
母の声が途切れると同時に、聞いたことのない大きな音が部屋に鳴り響く。
「…な…に…?いまの音…」
実結が私の腕にしがみつきながら問う。
「…分からない」
分かるわけない。間違いなく今の音は棚から物が落ちたとか、そう言うレベルではない。まるで重たい何かが、床に叩きつけられたような───
「なぁ…何か聞こえない…?」
一樹に言われ耳を澄ますと微かに床が軋む音が聞こえる。
ギシッ………
ギシッ………
それはものすごくゆっくりと。
だが確実にこちらへ向かって。
ギシッ………
ギシッ………
間違いなく玄関から私たちのいる居間へと向かって来ている。
ギシッ………
ギシッ………
何が向かって来ているのか分からない。怖い。恐ろしい。夢であって欲しい。
ギシッ………
ギシッ………
せめて人間であって欲しかった。
「み”っ……!!!」
居間と廊下を隔てるガラス戸を指差しながら、恐怖に慄いた表情で言葉にならない声を発する陸。
「 ッ!!! 」
ガラス戸の向こうには明らかに人間ではない、得体の知れない#なにか__・__#がいた。
(…な…に…あれ……)
必死に私の腕にしがみつく実結を抱きしめながらも、視線はその#なにか__・__#から逸らさない。逸らしちゃいけない。そう自分に言い聞かせ奮い立たせる。
ギーンゴーン
(……30分?まだ数分しか経ってないと思ってた)
壁掛け時計から午後2時半を知らせる鐘が鳴る。祖父母の家のこの時計は、1時間置きにその時の時刻分(3時なら3回、10時なら10回)、そして長針が30分を指す時に1回鳴る。
それにしても#なにか__・__#は、驚くほど歩くのが遅い。亀よりも遥かに遅い。なんせ、聞いたことない大きな音が聞こえてから、30分経ってようやく居間の前に現れたのだから。居間から玄関まで距離があると言っても、普通に歩いてこんなに時間がかかるわけがない。
(…あれ…?)
「ねぇ、陸。」
「……」
「陸!」
「なんだよ…!静かにしろ…!あいつに気付かれたらどうするんだよ…!」
少し離れて隣に座っている私に聞こえるか聞こえないかくらいの小声で叫ぶ。
「ごめん…」
「……で?なに?」
「…もしかしたらだけど…あいつ、耳悪いんじゃないかなって思って…」
「…は?なんでだよ」
「…だって、さっき時計の鐘が鳴っても、私が今陸を呼んだ時も全くこっちを向く素振りがなかった。それにテレビもついてるのに。もちろん、気付いてないふりしてるだけかも知れないけど、私達を早く殺したいんなら、もうとっくに殺されてるはずだよ…!」
私はさっき気付いたことを一気に陸に話した。
「…まぁ…確かに…てか、まだ俺らのおばあちゃんと彩芽のお母さんが…殺された…とは限らないだろ…!」
「…でも!さっきの音の後にこんな…」
「落ち着け!こんな時こそ冷静にならないと状況が悪化する…!」
ガタッ
すぐ後ろから物音がして慌てて振り返ると、椅子から転げ落ちながらもその場から急いで逃げようとしている実結たちの母親がいた。
「陸!彩芽!なにしてんの!早く逃げるよ!」
「逃げるって言っても…どこに??」
「そんなん窓からに決まって…」
実結たちの母親が必死に窓を開けようとしているが、様子がおかしい。
「どうしたの?」
「……開か…ない…」
「そんな訳ないだろ!どけ!」
私の父が実結たちの母親を押し除け、開けようとするが全く開く気配はない。窓の鍵は開いているのに開かない。近くにあった椅子で窓ガラスを割ろうとするが割れない。ヒビすら入らない。
ガンッ!!ガンッ!!
「あぁ!!!」
「落ち着いて!お父さん!」
こんな状態のお父さんに私の声が届くはずもない。
「お父さん!いい加減に──」
「いい加減にしろ!!このバカ息子!!」
バシッ!
「痛っ!」
(おじいちゃんが怒ったの初めて見た…)
「お前が取り乱してどうする!こんな──」
ギシッ……
(…ん?)
ギシッ……
ギシッ
「っ!?」
床の軋む音が聞こえ、ガラス戸の方を見る。
いた。
足を止め、こちらを見ている#なにか__・__#が。
(……目が…合った…?怖い。どうしようどうしようどうしよう…)
「逃げろ!!!隠れろ!!!」
祖父の声で我にかえる。瞬間、大人たちは我先にと逃げ出す。いつだってそう、この人たちは子供のことなんか気にしてない。
どこに逃げたらいいか、どこに隠れたらいいかなんて分からない。けど、このままだと遅かれ早かれ確実に全員#なにか__・__#に殺される。
私は目を見開いたまま恐怖で震えてる実結を背負い、陸はその場に立ち尽くしてる一樹の手を引っ張り、その場から逃げ出した。