06. どうやら俺は成長しなきゃいけない
私立崔玉高等学校。
俺が通っているこの高校は、普通の学校とは一風変わっている。
県内でも有数の進学校である崔玉高校の教育方針は、なによりも『生徒たちの個性を伸ばす』ことを最優先に掲げたものだ。
例えばこの学校の特色のひとつ、高校では珍しい単位取得制を採用している。
これは勉学に励む学生たちだけに与えられた特権ではない。崔玉高校に在学している将来有望なスポーツ特待生や現役で活躍する舞台役者など、継続的に出席日数を稼ぐことのできない生徒に向けての配慮でもあった。
半不登校の俺が留年せず2年生に上がれたのも、この単位取得制によるものが大きい。
「なにボケっとしてる。次はそこの跳び箱を体育館の前まで運んでこい」
そして今、ジャージ一式に竹刀を装備して、俺を馬車馬のようにコキ使っている酒井先生……もとい裏番長の根回しのおかげだったりもするが。
「……あんまり感謝しようという気持ちが湧いてこない」
「なにブツブツ言ってんだ、ぶっ○すゾ!」
どこのサイヤ人だ。てか本物はそんなこと言わないし。それ偽物のほうだから。大御所声優の真似してる芸人のほうだから。
ピラミッド建設のために働かされる奴隷よろしく、俺は体育倉庫から体育館まで跳び箱を背に縛り付けて運んでいた。
「嘘つくなー! 2段ずつ運ばせてやってるだろ!」
「うるさいうるさい! 心を読むな! 竹刀バンバンするな! ヤジ飛ばすな!」
お前は阪○ファンか。
無論、この重労働は俺が一週間ほど学校をサボタージュした報いなのだが、こうして放課後にまで駆り出されて雑用をさせられるのは結構キツイ。
なんせ今日は普通の日じゃなかった。俺は体育倉庫から体育館までの間を何度も往復しながら、早朝、鵜ノ木に呼び出されたことを思い出していた──。
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「……それがお前の、俺に対する要求なのか?」
ホームルーム開始のチャイムにかき消されそうになった鵜ノ木の声を、俺はかろうじて聞き取っていた。
戸惑いながら聞き返した俺の顔を見つめ、鵜ノ木はコクンと静かにうなずく。
正直な話、鵜ノ木の声を聞き取ったところで、俺にはその要求の意味がまったく分からなかった。
「いいのよ、今は意味がわからなくても」
鵜ノ木は今まで紋所のように突き出していたスマートフォンをやっとスカートのポケットにしまうと、続けざまに言葉を紡ぐ。
「この要求の真意……私が何を望んでいるかなんて、あなたに聞いて欲しくない」
「……それじゃあ何をすればいいか分からないだろ」
「それでも私が与えた答えでは、きっと私が望む未来は訪れない……あなたは手を尽くして、探して探して、自分で私の要求を見つけてもらうわ」
「……俺はエスパーじゃない、見つからんと思うぞ」
鵜ノ木の一見支離滅裂な言葉に率直な感想をぶつけると、彼女はカバンを手に持って俺との距離をグッと詰めた。
「いいえ、あなたには私を変える『潜在能力』がある。あなたの荒らしコメントを見て直感した……今は無理でもそう遠くない未来、あなたは私を変えるのよ」
「……俺の荒らしコメントが『潜在能力』?」
「そう、今はただの『荒らし』くんだけれど……私があなたの能力を育ててみせる」
「俺の母親にでもなったつもりか?」
鵜ノ木は俺の問いかけに、カバンから取り出した見覚えがあるもので応える。
「あまり時間もないけれど、高校卒業までの残り一年半をあなたに賭ける」
鵜ノ木の細い人差し指に貼りついたソレは、彼女によって俺の心臓の位置に移動する。
「そういう意味での、ハートなんだから」
ラブレター(詐欺)依頼、鵜ノ木から二度目のハートのプレゼントだった。
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「……お前さ」
「なんすか」
「……なんで台車使わないの?」
「先生が用意してくれないからですよねっ!?」
体育倉庫から体育館へ。体育館から体育倉庫へ。
きたる体育祭のために用具の入れ替えをようやく終えた頃、もうすでに日は暮れかけていた。
肩が背中が、腕が足が心が痛い! 明日は筋肉痛超濃厚! 海を題材とした物語なら、魚群が流れているレベルだ。
途中、何度も逃げ出そうと思ったが、鵜ノ木の不気味な言葉が引っ掛かった。仕方なく逃走を断念した俺は今に至っている。
『しばらくは酒井先生のもとで雑用をこなすといいわ。あなたを成長させてくれる出来事が起こるかもしれない』
なんでお前が雑用の件知ってんねん。まあ大体の想像はつくけれど。
この台詞はこの雑用の依頼に鵜ノ木の息がかかっていることを暗に告げている。
この雑用と鵜ノ木の要求になんの結びつきがあるのかは分からないが。
『私の期待を裏切らないでね? あ、なんで放送室に呼び出したか分かるかしら? 変なこと考えたらスイッチひとつで全校にあなたの悪行を垂れ流すこともできるんだから』
ヤクザかな?
ともかく弱みを握られている以上、鵜ノ木の気が済むまで雑用を続けるしかなさそうだ。
「あとは体育倉庫内の掃除だ、ちゃっちゃとやって日が落ちる前に帰るんだぞ」
散々俺のことをコキつかって満足したのか、裏番長は片手をひらひらと振りながら職員室に戻ろうとする。
体育倉庫内をそっと一瞥すると、やはりこの上なくとっ散らかっていた。
床には石灰がこぼれてるし、隅々には蜘蛛の巣が張っている。邪魔なものは体育館へ移動したから良いものの、日が落ちるまでにひとりで掃除を終わらせるのは不可能に近い。
「大丈夫だー! 助っ人は用意してやったー!」
既に小さくなっていた裏番長の背中は、俺の不安を払拭するべく大声でそう叫んで消えていった。
あのゴリラ、いつか動物園に送還してやる。
「しかし、助っ人って言ってもなあ……」
どうせこんな雑用を任されるようなヤツだ。きっと俺のように学校をサボったりして、その罰として掃除するように言われたしょうもない不良が来るにきまってる。
そんな輩が真面目に掃除なんてするわけがない。俺は体育倉庫のゴミと社会のゴミを同時に掃除しなければならないのか……。
「あの……すみません、遅れちゃって!」
少し涙目になりながら箒で蜘蛛の巣をつついていると、俺の背中によく通る声が掛けられる。慌てている様子だが、どこか柔らかみのある声音。
「放課後からずっと掃除してくれてたんですよね!?」
振り返った俺の目の前には、想像していた不良とは程遠い体操服の女子生徒が立っていた。