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溺れた初恋    

作者: きゃべつ



「あれ、里見くん?」

電気屋を目的もなくうろついていたら、背後から声をかけられた。聞き覚えのある、単調だが美しい旋律に里見ゆっくりと背後に振り向く。

 昔の中学の同級生が目の前にいた。

「久しぶり! 私のこと覚えてる?」

「あ、森津だろ。うわ、久しぶり。どうしたんだよ、こんな処で」

「私は新しいテレビの下見」

一瞬誰だったかと記憶を手繰り寄せなければいけなかった。森津奏。同じクラスの比較的話しやすい女友達だった。ついでに里見の初恋相手だ。二年前に成人式会って以来中学の同級生に会う機会はなかったが、まさか初恋の相手に会うとは。里見はこの再会を素直に喜んだ。

彼女は田舎特有の印象を見事に消して、シックな服装を身に付け垢抜けている。全校生徒三十人の過疎化地域にかつて住んでいた過去を捨てていたようだった。偶然の再会に互いに近況を語る。

「里見君、今何してるの?」

「ん、普通にサラリーマンだよ。森津は?」

「この間結婚して、今は専業主婦。今は日野なんだ」

「嘘、おめでとう。っていうかここら辺に住んでんのか?」

「うん。旦那の勤務先がここら辺だったから、結婚を機にこっちに移ったの。知ってるかな? 西芝ってところ」

「嘘、旦那、そんな凄いところに勤めてんの? 森津玉の輿か」

「いやあ、まあ。はは。実はね」

臆面もなく森津は頬の筋肉が緩ませる。きっと新婚なのだろう。幸せ絶頂期の彼女の様子に里見も心を和ませた。

「そういえば他の人と、連絡とってたりする?」

「ああ、うん。瀬戸内とか山口とかならたまにメールするけど。けど、あんまりもう会わないな。皆それぞれ忙しくて」

「そっか。寂しいね。でも里見くんに会えて嬉しかった。昔のこととか地元のこととか旦那には話せないし」

「うん。そうだな……」

少し彼女が声のトーンを落として過去のことを語るのに対し、里見も視線を電気屋の床に落とした。互いに地元の記憶を探り合うには、もっと時間が必要だった。それこそ、あと十年は。

「皆、元気にしてるのかな。してくれてたらいいな」

どこか遠くに視線を延ばした彼女は、置いてきた思い出を思い出しているのかもしれない。その中でも一番幻想的で、思い出したくないものを。地元にいた全員が体験し、それ以外の人間には絶対侵入出来ない懐古を。

「あいつらは、図太い上に、能天気だからな。きっと楽しく生きてるよ」

里見は辛そうに哀しそうに、祈るように笑った森津を慰めながらも、地元のことを思い浮かべていた。

どこにでもあるような、寂しい過疎化地域だった。子供と年寄りしかいない。若者は皆、都会に出て行く。現に里見の兄と姉も東京の大学に進学してしまった。その時は故郷に留まらなかった二人に憤慨していたが、里見もこうして同じ道を辿っている。その内、子供までもが少なくなって、いよいよ住みにくい村として孤立していった。

結局その寂れた村には大きなダムが出来上がった。中学卒業を控えた小さな子供にも頼れる大人にもなりきれなかった里見達は、出来上がったダムを、大きな、底なしのような禍々しい湖のように感じていた。上から覗くと見惚れる位に水は透き通っていて、水中には自分達の住んでいた家々が息を殺して溺れていた。里見は自分が利用していたポストや、幼い子頃に内緒でよじ登った電柱の脇を小さな雑魚達が避けて泳いでいるのを眼にして、やるせない気持ちになった。

溺れた自分の村は永遠に失われない。変わらない。なぜなら息を殺して、眠っているからだ。皆が喪失感に襲われていた心情に同調していたのは事実だが、それ以上に閉じ込められた水の中を宝箱のように覗き込むのを暗い快感として味わっていたのも確かあった。

そのことは哀しんでいる村の皆には云えなかった。誰にも気付かれないように里見は、何度も何度もあのダムを見に行った。

「里見くんは? 今付き合ってる人とかいないの?」

いきなりの話題変換に里見ははっと意識を過去から現在に戻した。彼女は華やかな笑顔を戻している。昔より、何倍も綺麗になっていた。

「ああ、ううん。……いや……うん。トキと」

一度いないと云いかけた自分に叱咤し、里見は恋人の名を打ち明けた。顔はきっと赤くなっている。彼女はあからさまに驚いた様子で眼を見開いた。

「え、トキ?……嘘、トキと付き合ってるの?」

「うん、大学が地元で、唯一同じでさ。それでなんとなく。知らなかったのか?」

「うん、あの話が出てきてから、トキ暗くなっちゃって。連絡先とかも知らないのよ」

「なんだ、あいつは。薄情だなあ。森津に一番世話になっといて」

そうは云っても、里見はトキを独占したのは自分だと思った。トキは里見の初恋の相手が彼女だと知っている。だからあまり里見と接触させたくなかったのだろう。そう考えると、頬の筋肉が自然と緩んだ。

大雑把。粗雑。無神経。意固地。取りえは美しい顔と理系の知識。その上、自分に対してだけは酷く繊細だ。トキとは生まれた時からの幼馴染だ。ダムが出来ると決定した時にも、トキは一番に喚くように泣いた。手をつけられなったところを森津が平手打ちで諫めたのを覚えている。そんな莫迦と付き合える根気強さを持っているのは自分位だと里見は思う。それは今でも。

「変か?」

里見の不安の問いに森津は顔を綻ばせてそんなことないよと手を振った。トキは中学の時森津と仲が好かった。そういえばあいつは、あんな性格でもそれなりに上手くやれていた。そして里見は森津を好いていた。奇妙な未来の関係が出来上がっていたことに、里見は未だに珍妙な夢で

はないかと疑う時がある。よりにもよって、あいつと付き合っている。

 それでも右往左往しながら彼女に打ち明けた手前、嘘だよとはどうしても云えなかった。

「素敵なカップルだと思う。そっか、好かったね。トキ素直じゃないけど、からかうの楽しいし。トキに付き合っていけるの、里見くんだけだもの」

「確かに。あいつをからかうのは面白い。莫迦だけど」

「確かに、昔からあほだったね」

さり気に失礼なことを云いながら、彼女は確かに昔を懐かしんでいた。非難ではない。親しみによって笑った彼女は、昔里見が惹かれたあどけない表情を引き出していた。今では素直に森津から日野に変わった名字の彼女を祝福出来た。

「じゃあね、今度どこに住んでるか教えてね。トキのこと、からかいに行くから」

「ああ、また」

簡潔した挨拶を交わしながら、森津は新しいテレビを品定めする為に、店員の元にリサーチしにいった。相変わらずの性格に、やや昔の淡い初恋がチリリと掠れた。変わっていない初恋の対象が、嬉しかった。

さて、俺も帰るか。里見は店から外に出た。都会の濁った空気が鼻腔を擽る。しかしそれも慣れた。家に帰ったらあいつに好いパソコンが安価で置いてあったことと森津に会ったことを報告しなくては。多分、今ある古いので充分だと文句をいうに違いないけど。それに初恋は彼女だったことは話してあるから、拗ねるに違いない。もう長い付き合いだから、今更慰め方も判りきっているが。

過去の記憶を懐かしみながら、今の恋人を思い、里見は恋人と暮らす自分のアパートに足を向けた。



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[一言] 読ませて頂きました。 切ない関係だなと思いました。
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