第2話
「いいだろう」
猫又が応じたと同時に肝が冷える感覚を覚えた、脇腹を冷たい手で鷲掴みにされたような。
そして猫又はその場で宙返りをすると音もなく着地した。
だが、
着地したその場に立っていたのは猫又ではなかった。
女が立っていたのだ、黒い着物を着て、少し垂れがちの大きな眼。 夜の帳に溶け込むような黒髪は顎の下辺りで切り揃えられている。
妖艶に頬笑む唇、歳は10代の後半位に見える。
美しい女。
女は俺に向かって手を伸ばし、細長く綺麗な指をパチンと弾いた。
その動作が美しくて俺は見入っていた。 呆気にとられている俺を見て女が訝しげに顔をしかめる。
「どうした? さっさと立ちな」
へ?
立てと言われたって赤ん坊の俺は立ち上がることすら出来ない。
うつ伏せになった俺の視界に腕が見えた、さっきまでと違う自分の腕が。
へ?
体を起こすことが出来た
見れば俺の体は5才位の幼児に変わっていた!!
「なんだこれ!」
俺は体をペタペタと触りながら喋った、舌に歯があたる。 歯があると凄く喋りやすい。
「お前、半妖じゃ無いのか?」
訝しげな顔のまま女が聞いてきた。
「俺は妖怪じゃない、人間だ。 前世の記憶を持って産まれただけだ、喋った瞬間に山に捨てられたんだ」
俺がそう言うと「ふーん」と鼻を鳴らした、女は目が猫の瞳だった。
「そんなもの聞いたことが無いね、アタイはてっきり半妖がドジって正体がバレたせいで棄てられたのかと思ったよ」
口許に手をあててクスクスと笑っている。
「これはどうやったんだ?」
おれは自分の体を見下ろして尋ねる。
「ナニがだい?」
女、もとい猫又が小首を傾げる。
「俺の体のことだ、さっきまで赤ん坊だったのに・・・」
視線を猫又に向ける、彼女は面白そうに俺を見ている。
「化かされるのは初めてかい? アタイが猫又だってのは分かってるのに、何だかちぐはぐだねぇ・・・」
ちぐはぐ?
「ちぐはぐってナニが?」
「アタイが猫又ってのは知ってるのに、化かされて驚いてるからさ」
そういう事か、でも化かすってなんだ!?
いや、意味はわかる。
狸やら狐やらが人を騙すアレだろう。
問題はソレが現実だってことだ!
日本昔話か?
どーなってんだ?
「変化の術でお前の体を変えたんだよ、狐と狸の得意技だけど。 猫も鼬も、長生きして妖になりゃ使えるもんさ」
戸惑ってる俺に猫又が説明してる。
思ってた通り、俺は今猫又に化かされている。
アヤカシ・・・
ヨウカイ・・・
ダメだ、頭が痛くなってきた。
副業で霊媒師なんてやってたからこんな目にあってんだろうか? 落ち着け、まずは現場の確認だ。
「此処は何処なんだ?」
この質問でいいんだろうか?
「何処か? 人間がつけている地名なら分かんないねぇ」
分かんないのか、そういえば日本語が通じてるな。
「此処は日本なのか?」
「悪いけど、アタイは猫又になって1度冬を越えただけのまだまだ新入りなんだ。 あんまり人間の事に関しちゃあ詳しくないねぇ」
異世界なのか?
なら、質問の方向性を変えた方がいいか?
兎に角、生きてかなきゃなんないな。話の方向を変えよう。
「俺は20年は自由にしてて良いのか?」
「もちろんさ、とはいえ。 2~3年は一緒じゃないと死んじまうからね、それぐらいはアタイが世話をしてやるさ」
確かに、変化の術のお陰で体は動かせるようになったけどそれでもこんなところに放置されたんじゃ確実に死んじまうな。
2~3年もあれば自分で自分の世話をするぐらいはどうにかなるだろう・・・
「そんなに俺の肝が喰いたいのか?」
猫又はアホでも見るように俺を見る。
「アンタ、本当に前世の記憶があるのかい?」
「俺の記憶じゃあ猫又は本の中の生き物だ、て言うか妖怪事態初めて見たよ」
また猫又は俺を見ながら「ふーん」と鼻を鳴らした。 品定めをするような、訝しむような顔を向ける。
なんだ? 妖怪らしく化かし合いでも警戒しているのだろうか?
確かに、前世の記憶があるなんて言ってるわりには分かんないことだらけで質問ばっかりしてるからなんか疑われてんだろうか?
「強い氣を持った人間の肝を喰うと妖怪は力が増すんだ、お前は随分と強い氣を放っているからね。 普通は氣は体内にあってそんなに体の周りに氣を纏ってるのは見たことがないねぇ・・・ 偶々人の集落を歩いていたら籠を背負って馬に乗って走っていく男を見てね、籠から凄い氣が見えたからついてきてみたらお前が棄てられたって訳さ」
なるほど、それでこんなにタイミングよく現れたって訳か。
俺は氣が凄いのか、随分なごちそうに見えるんだな・・・
肝を喰ったら強くなるか・・・
そういや、西遊記の三蔵法師がそんなような理由で妖怪に狙われてたっけ?
違う、確か徳の高い坊主が狙われてたんだったか?
いや、それは漫画だっけ?
よく分かんなくなってきたな・・・
兎に角、俺の肝は旨そうって事か。
氣が凄いから。
氣?
氣ってなんだ?
「氣ってなんだ?」
また猫又さんがバカを見るような顔してる、いや、あきれ顔か。
「氣はアタイ達妖怪なら姿を変えたりするのに使うもんさ、人間だって法力やら祈祷で使うじゃないか。 お前さん、一体なになら知ってるんだい?」
可笑しそうに笑っている。
「なんか、俺の知ってる世界とは随分と違うみたいだな」
氣か・・・
ドラゴン〇ールか?
法力に祈祷?
俺にも強い氣があるんなら使えるんじゃなかろうか?
かめ〇め波、いや武空〇がいーな。
そんな事を考えてたらグゥーっと腹の虫がなった。
「うふふっ、腹が減ったのかい?」
言われたら急に腹が減ってきた、なんか情けないな・・・
この猫又美人にはカッコがつかないな、前の世界じゃクールでドライな三枚目で通ってたんだが・・・
そーいやぁ
「腹は減ったんだけどその前に、アンタ名前は何て言うんだ?」
俺の問いに猫又はつまらなそうな顔をした。
「無いよそんなもん、まだまだ新米の猫又だからね」
ふーん、でも名前が無いと不便だな。
2~3年も一緒にいるんだし。
「じゃあ、俺が付けてもいいか?」
俺の提案に猫又はわりと嬉しそうな顔をした
「良いねぇ、妖怪はそれなりに知られると通り名が付いたりするんだが。 お願いするよ」
どうするか・・・
しゃべる猫か
「伽凛でどうだろう? 俺が前にいた世界じゃ、けっこう有名な仙猫なんだけど」
さっきまでドラ〇ンボールを連想してたせいで直ぐに思い付いたのがそれだった。
有名な仙猫ってのも、まぁ嘘じゃない。
「おや、けっこう良い名前じゃないか! 気に入ったよ、お前のいた所にゃ仙猫なんていたのかい?」
気に入ったらしい。
「実在しないけどな、御伽噺みたいなもんかな? まぁ、気に入ったなら良かった」
伽凛は嬉しそうな顔をしている、笑うといっそう美人だな。
「お前の名前は何て言うんだい?」
太郎だ、と言いかけて止まった。 この名前はハッキリ言って嫌いだった、佐藤太郎だ。 市役所の見本みたいなこの名前が嫌で仕方なかった。
親はメジャーリーガーのイチローなんて鈴木一朗だぞ! とかワケわかんない事言ってたな。
じゃあ一朗にしろよって思ったもんだ。 まぁ、一郎が良いわけじゃないけどな。
俺も自分で名前付けるか? なんにしよう、流石に孫〇空は無しだろ?
どうすっかな・・・
「なんだ? 名前を忘れたのか?」
俺が迷っていると伽凛が急かす。
「いや、前の名前はあんまり気に入ってなかったからどうしようか考えてたんだ」
伽凛がニヤリと笑った。
「なら、アタイが付けてやろうか?」
猫又の、妖怪のつける名前か・・・
「本当か? じゃあ、お願いしよう」
産まれ変わった自分の名前を妖怪がつける、俺はそんな状況になんだか高揚感を覚えた。 楽しみだ、どんな名前をつけるんだろう。
「男なんだ、太郎で良いだろう」
伽凛はニコニコしながら言った、その顔に悪意は一切ない。
うっそだろ?
だが、ニコニコしている伽凛に俺は何も言えなかった・・・
「どうした? 気に入らないのかい?」
固まって何も言わない俺に伽凛が少し不安そうな顔をした、きっと俺の顔は少しひきつっているのかも知れない。
「いや、ありがとう。 男らしい名前だ、御伽噺の主人公には良く太郎が付いているしな。 気に入ったよ」
俺がそう言うと伽凛はパッと笑顔になった。
「そうだろう? いいんだ、アタイも良い名を貰ったしな」
うむ、こんなに良い笑顔の妖怪に気に入らないと俺は言えない。
ま、名前なんてなんだって良いような気がしてきた。
うん
ナンだって良いんだ
「腹が減ったな、自己紹介も終わったし飯にしないか?」
猫又のご馳走してくれる飯はどんなもんだろう?
いや
あんまり期待はして無いんだが・・・
「その前にひとつ良いかい?」
「ん?」
「太郎の後ろのそれはナンなんだい?」
は?
うしろ?
俺は何気なく振り向いた
伽凛の言う通り
ナニかがいた
そこにいたのは
引眉で
お歯黒の
白粉で顔を真っ白に塗りたくった
女の幽霊だった
俺にはわかる
こいつは
俺を取り殺した悪霊だ
一週間、俺を散々追い込んで
暗い森の中で俺に覆い被さり
俺を殺した禍禍しい黒い靄
俺は取り憑かれた一週間の恐怖を思い出し
全身の毛が逆立った
そしてあらんかぎりに
「うぎゃああぁぁぁぁああぁぁぁーーーー」
っと声を張り上げた。
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その悲鳴を聞いて
「堪忍や、堪忍やぞ」
そう小さく呟きながら馬の背に揺られる男がいた。 彼は今し方、産まれたばかりの赤子を棄てた。
彼の名前は又八。
又八は赤子が産まれた家で働くようになって5年程になる。 真面目で気の弱い所がたまに傷だが、心優しく良く気の付く男だ。
又八は赤子を棄ててこいと言われて旦那様は気でもふれたのかと思った。 彼は籠に入った赤子を最初、何処かで保護しようと思ったのだが喋りかけられたとたん恐ろしくなって直ぐに山に向かった。
道中も背中でずっと「助けてくれ、勘弁してくれ」と言われ続けて又八は参っていた。 そして、それを喋っているのが赤子だと思うと恐ろしくて堪らなかった。
赤子の入った籠を投げ捨てる程の恐怖だった。
今の悲鳴はその赤子の断末魔であろう。
獣に喰われたか
はたまた、別の妖怪に狙われたか
彼は悲鳴を聞く前からずっと呟いていた
「堪忍や、堪忍やぞ」
今も赤子の命乞いが耳から離れない。
それを振り払うように
「堪忍や、堪忍してくれよ、堪忍やぞ」
そう呟きながら屋敷への道を馬を急かしながら帰っていく。