第16話
この屋敷へ来てから約2ヶ月が経った。
朝起きて井戸水を汲み、朝飯を食べて親方様の仕事を手伝う。
書類整理はなんちゃって算盤を作ったら格段に効率が上がった。
親方様にも随分褒めて貰って気分が良かった。
「ん、今年の収穫には公平な税が取れそうだ」と喜んでいた。
昼からは親方様と剣の稽古、これもかなり慣れてきた。
前世で少しかじっていた空手を思いだし、足さばきやフェイントからのコンビネーションなんかを考えてみた。
結果はよくわからん。
兎に角、剣筋を考える。
縦、横、斜め、それに突き。
剣の軌道は大まかに九つ。
この九つの軌道をひたすらに振る、足の位置や柄の握り方、力加減。
速く、重く。
感覚的にしっくりくるまで兎に角振り続ける。
成果は少しずつだが進歩出来ている。
ベイビーボディも順調に成長中、首がしっかり据わった。
でも座ろうと思ったら体幹の筋肉が無さすぎてグニャングニャンだった。
分かったことは変化した体で飯を食っても本体が成長するということ、体を動かせば筋肉も付く。
俺が極端に少食なのは本体の胃袋と連動してるからなのかもしれない、それに気付いてからはできる限り咀嚼するようにしている。
離乳食なんて無いしな。
そして、怪しまれないように60日毎に伽凛に変化した姿の身長を1㎝伸ばして貰う事にした。
最初は指で小石を挟むように指し示して「これくらい身長を伸ばしてくれ」と言ったら「そんな細かいこと出来ないよ」と言われた。
だから小屋の中の壁に変化した体の身長の線を引いてその1㎝上に線を引き、「この目印に合わせるならどう?」と聞くと「それなら出来るね」と言ってくれた。
これでいつまでたっても身長が伸びないで疑われる心配も無くなった。
日々は粛々と過ぎていった。
そんなある日、いつものように日課を終わらせて晩御飯を食べに炊事場の隣の大広間に行くと
「太郎」
と、又八さんに声をかけられた。
「はい、なんでしょう?」
「晩飯の前に2階の奥様の部屋へ膳部を運んで来てくれ」
そう言いながら食事の並べられた膳を目の前に出された。
「はい、私が行ってもよいのですか?」
相変わらず俺は奥様の住む2階には入らないように言われている、奥様は部屋から滅多に出てこない為に2ヶ月経った今でも顔を見ていない。
「あぁ、お前なら粗相も無いだろうしな」
又八さんはなんとなく含みのありそうな表情だ。
俺は「分かりました」と返事をして膳部を受け取り、廊下を歩いた。
女中さんがヒソヒソと奥様の事を話しているのは何度か聞いたことがある、 大抵は子供を生む前の元気な奥様に戻ってほしいという内容だった。
悪い話しは聞いたことがない。
人格者なんだろうな。
やっと見られるこの体の母親がどんな顔をしてるのか楽しみだ。
俺のそんな気楽な思いは地獄の底まで打ち落とされる事になった・・・
「失礼します、お食事を御持ちしました」
俺は奥様がいるであろう部屋の前で手をついて声をかける。
「・・・」
ん?
反応がない。
暫く固まっていると
「入りなさい」
という返事が聞こえた。
「失礼します」
声をかけて引き戸を開けるとそこにいたのは10代後半と思われる、美しかったであろう、女性がいた。
ろくすっぽ食べていないのがすぐに分ける程に体は痩せていて、髪も余り手入れをしていないのか油っぽくなり乱れている。
本来はくっきりと大きかったであろう瞳は、瞼を押し上げる気力もないのか瞳は中ほどまでしか開いていない、唇は小さく愛らしい形とは裏腹に酷くかさついていた。
一目で思い出した、俺がこの世界に、この時代に産まれたとき、最初に見たのはこの顔だ。
あの時は汗で濡れて蒼白い顔をしていた、今はもっと疲れた顔をしている。
本能的に目を合わせないように膳を持ち上げて室内に入る。
室内は住人とは違い綺麗に整頓されていて、あるのは着物を入れる重箱に灯り取り。
それに屏風があるくらいだ。
奥様は着物を膝にかけて座っていた。
「お食事はこちらで宜しいでしょうか?」
奥様の程近くに置きながら聞く。
「・・・」
返事はない。
「では、失礼させていただきます」
いたたまれなくなって立ち上り部屋を出ようとする。
「もし、あなたは誰? 見ない顔ね」
聞かれて驚いた、声は見た目の印象よりもハッキリしていた。
女性にしては少し低めの声だ。
「はい、2ヶ月程前からお世話になっております、太郎と申します」
腰を折って挨拶をする。
「そう、ありがとう、下がっていいわ」
俺は「はい」と返事をして部屋を出た。
俺は今見た光景が瞼の裏に焼き付いて離れなくなった、飯を食べてる最中も、食後に部屋へ戻ってからも離れなかった。
それに声、産まれた時に聞いた
「あぁ、私の可愛い子・・・ 抱かせてちょうだい」
あの声だ。
俺の「ここは何処だ」という言葉に一番最初に悲鳴を上げた、俺が山に棄てられる事になったときの「そんなぁ」という悲痛な声も思い出せる。
一辺に胃が痛くなった。
本当なら今ごろ、赤子が首の据わったことを喜んでいたはずだ、赤ん坊の成長を楽しむ毎日を送っていたはずなんだ。
俺が赤ん坊に生まれ変わったせいでその幸せを壊したと思うと・・・
気が重い・・・
そして最初は「復讐だ!」とか言ってた自分の頬を「バカタレッ」っと張り倒してやりたい気分だ。
俺が彼女の人生を狂わせた。
俺がそんな風に押し黙っていると
「あの女子の事を考えておるのか?」
と、亜流磨が話しかけてくる。
「あぁ、堪えたよ。 本当なら今ごろ可愛い赤ん坊を抱いているはずなのにな、俺が生まれ変わったせいでそれが台無しだ」
俺はむしろの上に手を頭の後で組んで寝転がっている、亜流磨はその隣で座った姿勢でふわふわ浮かんでいる。
「まぁ、太郎のせいでは無いにしても、罪悪感はあるじゃろうのぅ」
「いや、どう考えても俺のせいだろ」
俺のせいじゃないとは言えない。
「ふむ、そうは言っても太郎が転生しようとしてしたわけでもなし。 言うなれば太郎もあの女子も被害者であろぅ、それをあの女子の用に太郎まで塞ぎ込むことはあるまい」
んー、言われりゃそうかも知らんが・・・
「あー、まあそうかも知れないけどなぁ。 でも、同じ被害者でも俺はこうやってある意味気楽に暮らしてるのにさ、命懸けで俺を産んだ人があんな状態なのを見るとな・・・ 罪悪感がでかいよ、なんなら俺のせいな気しかしない」
あの姿を見たら自分と同じ被害者だとは思えない。
「そこまで言うなら太郎が元気付けてやればどうじゃ?」
俺が?
「なんじゃ? 復讐は考えたのに、罪滅しは考えんのか?」
黙っていると亜留磨が背を押すように喋る。
「んー、そうだなぁ・・・ どうにかしてやりたいとは思うけど、どうしたもんかなぁ」
「嫌なのか?」
「嫌とかじゃなくて、なにも思い浮かばないっていうか」
「なんの話しだい?」
伽凛が窓からひょいっと入ってきた。
事情を話すとおにぎりを食べながら「ふーん」と鼻を鳴らし、食べ終わると「ま、復讐なら手を貸すけど罪滅しなら自分でやんな」と言って丸くなってしまった。
亜流磨が「智恵を貸すとか太郎に気にするかと言ってあげるとかないのか?」っと怒ったように言っていたが伽凛は「アタイは妖怪だよ? 知らない人間にイタズラはしても親切にする趣味は無いよ」っと目を細めて言い切った。
まぁ、「妖怪の鏡だな」ってくらいで俺はなんとも思わないが亜流磨は気に入らなそうな顔をしていた。
実際に俺も自分に関係なかったら首を突っ込もうとは思わない。
落ち込んでる人を元気付ける?
俺が?
んー、なんか、そういう役回りってしたことないんだよなぁ。
自分の経験上、なにかで失敗したりへこんでる時に話しかけてきた奴って大抵が「俺って落ち込んでる奴ほっとけないんだよね、俺カッケェ」みたいなのが見え透いてウザさしか感じなかった。
本気で落ち込んでる人を元気付けるって、出来んのかそんなこと?
中には人に話して元気になる奴もいるけど、そういう奴って心配してほしいだけっていうか、悲劇のヒーローやらヒロインを気取ってるだけでそこまで打ちのめされてる奴いない気がするんだよな。
付き合ってらんねぇ。
本当に落ち込んでるなら必要なのは精神科医だろ?
だから、誰かが落ち込んでたりしたらほっとくのが一番良いって思ってんだよなぁ。
うーん、気が進まねぇ・・・
しかも、あの母親絶対に後者の悲劇のヒロインタイプじゃないしなぁ。
そんなガチの人を元気付けるって?
俺が?
勿論、元気付けてあげたい気持ちはあるけども。
気が進まねぇなぁ・・・
「うん、考えてみるよ」
とりあえず亜流磨にはそう返事をしておいた。
亜流磨は「そう難しく考えなくとも話を聞いてやるだけでもよいのじゃ」って言ってたが。
命懸けで産んだ赤ん坊がいきなり自分の顔を見て「ここは何処だ」って喋ったうえに山に捨てられたんだぞ? それで元気になるならもう元気になってんだろ・・・
はぁ、落ち込んでるとは分かっていたけど、聞くのと見るのじゃ全く違うな。
元気付けるか・・・
俺になにか出来るだろうか?
目を閉じてぐるぐるぐるぐると頭で思考が渦巻いている。
手を出すべきか否か
出すにしてもどうすりゃあいいんだ?
適当に「元気出してください」なんて口が裂けても言えねぇ、でも、なにもしないってのもモヤモヤする。
はぁ、どうすっかなぁ・・・