第11話
屋敷に戻ると真っ直ぐ資料室に向かった。
資料室の戸を開ける前にノックをしようと思ったが障子だからどこを叩けばいいのかわからない。
俺がどうしたらいいだろうかと考えていると
「太郎、入りなさい」
と、中から声がかかった。
俺は「はい」っと返事をして障子を開けた。
「障子の前で何をしていたんだ?」
書き物机で筆を走らせながら旦那様が聞いてくる。
「すみません、戸を開ける時の作法が分からなかったんです」
それを聞いて親方様がふふっと笑った。
「ははっ、変な所が抜けているな、障子の前で手を付いて「失礼します」と声をかけるんだ。 返事が聞こえたら開けなさい」
「はい、ありがとうございます」
「ん、よし」
筆を置いて親方様が立ち上がった。
「ここに沢山の資料があるだろう、随分昔に検地を行ってこの辺りの石高を調べたものと今までに都へ持っていっていた年貢の量が載っている」
凄い量だ、パッと見1000冊以上はありそうな量の本がギッシリと棚に収まっている。
「前にここを任されていたヤツが荘園の税を横領していてな、捕まって俺が送られてきたのが三年前なんだが、前のヤツはかなり適当にやっていたみたいなんだ。 税は村単位で納めるから適当にやると不平不満が溜まるだろう? だから、いま一生懸命過去の帳簿を見てるんだが中々捗っていなくてな」
「荘園とはなんですか?」
「荘園というのは国有の土地じゃなくて有力貴族の私有地のことだ」
荘園?
・・・
・・・・・・
駄目だ、思い出せないな。
そんなのあっただろうか?
「どんな違いがあるんですか?」
「単純に国有の土地よりも税が低い、それでもみんなの税の負担を出来るだけ均等にしないと不満は溜まるがな」
税が低いか、それでも皆周りと比べてうちよりもあそこの家の方が税を納めてないみたいになるんだな。
「ははぁ、もう一度検地をしてはいけないのですか?」
「皆、いい顔はせんだろうな。 俺も出来ればやりたくない、検地の後は皆頑張って少しづつ畑を広くしている。 検地をすれば全体の石高が多くなっているのが分かるから村単位の税も増やさないといけない。 ここは働き者が多くてな、折角潤っている村の気分を下げるような真似はしたくないんだ」
いい人ほど悩みそうな問題だな。
「親方様は優しいんですね、では、私はこの中の帳簿を調べて過去と照らし合わせながら出来るだけ公正な数字を探していけば良いわけですね」
親方様は驚いた顔をした。
「呑み込みが早いな、そういう事だ。 説明していこう」
俺は午前中いっぱいを親方様と資料室で過ごした。
いい加減な資料の中から数字を出して、昔の検地の資料も見ながら全体でどれくらいづつ取っていくか。
かなり気の滅入る作業である、せめて電卓が欲しいな。
紙に書いていくにしても紙事態が貴重みたいだからポイポイとは使えないし。
午前中いっぱい使って帳簿一冊分も終わらない。
何せ分からない字もあるし筆字に慣れてないから読みにくい。
前のやってた人が適当にやってたっていうのもなんかわかる気がするな。
この世界の事務作業は効率が悪い、どんぶり勘定にもなるわけだ。
「太郎、今日はこの辺にしておこう。 疲れただろう?」
作業に没頭していると親方様に声をかけられた、どれぐらいやってたんだろうか?
時計がないから分かりにくい。
「はい、このあとは何をお手伝いしますか?」
「いや、お前の仕事はこれだけだよ。 うちには他にも奉公人はいるから手は足りている」
あとは自由時間か。
「では、剣を教えて頂けないでしょうか?」
「なんだ、太郎は侍になりたいのか?」
なりたい、歴史を好きで自分が武士だったらっていう妄想をしない奴なんていないはずだ。
「はい、よろしいでしょうか?」
「勿論だ、午後は俺も体を鍛えている。 ついておいで」
「はい、ありがとうございます」
旦那様に続いて部屋を出て中庭に降りた。
空を見上げると太陽が真上にさしかかる辺りだ、丁度お昼くらいか?
親方様が中庭にある蔵の戸を開いて中から木刀を二本出してきた。
それを一本俺に差し出しながら
「ん、振ってみろ」
っと言われた。
えっ!?
いきなり!?
「はい」
木刀を受け取る、どうしようか・・・
第一印象は大事だ、一発目の素振りできっと才能のあるなしを計られるはず。
出来れば才能あるって思われてみっちり教えてもらいたい。
木刀ってけっこう重いな、五才児ボディには合ってない。
上段に構える、切先は真上に向け木刀を握る両手に均等になるように力を込める。
木刀を降り下ろしながら前足を半歩出す、振り切って切先が正面にきたところで後ろ足を前足に引き付ける。
どうだろうか?
振り切った姿勢で止まってなにを言われるか待つ。
・・・
・・・・・・
あれ?
親方様なんでなんにも言わないんだ?
あかんかったかな?
そんなに酷くはないと思うんだけど・・・
「どうした太郎?」
俺が固まっていると親方様が首をひねる。
「えっと、今みたいな感じでいいんでしょうか?」
「ん、難しく考えるな。 兎に角振り続けろ、マシに振れるようになったら今度は真剣で試し切りだ。 切る感覚はいくら木刀を振っても分からんからな」
「型とかコツとかは無いのでしょうか?」
「型? なんだそれは?」
えっ? なにって、何て言えばいいかな?
「効率的に相手を斬るための動作と言えばいいでしょうか」
俺の言葉に親方様は「ん?」という顔になる。
「ん、それは木刀を振って身に付けるもんだ」
・・・
そうか、思い出した。
剣術って言われてるものが出来るのは戦国時代の辺りだったな、しかも出来始めの頃はそんなもの役に立たないとか言われてたんだっけ。
戦場では結局は肝の座り型次第、剣術なんぞは卓上の空論だって武士の間では言われて盛んになったのは戦争が無くなった江戸時代だっけか。
じゃあ、今は戦国よりも前の時代って事だな。
「コツはある」
考えてる俺に親方様が思案顔で話す。
ほう、コツはあるのか。
「コツは三つだ。 一つ目は兎に角木刀を振る、振れば振るだけ速く振れるようになる。 二つ目、戦場では肩の力を抜くんだ、力みは剣を遅くする。 三つ目、最後は視野だ、兎に角戦場では周りを広く見渡せ。 最初は相手の剣しか目に入らん、だけどそれじゃあすぐに死ぬ。 相手の肩の動きや目線で動きを予測するんだ、それが出来るようになったら二人とか三人の相手を。 さらに視界に入る全体に氣を張れるようになったら達人だな」
なるほど、生前に空手をやってたから分からんでもないな。
一つ目、コレはつまり反復練習をしっかりやっとけって事だ。 試合じゃ練習した事を臨機応変にこなすわけで、漫画みたいに急に強くなったり技を閃いたりはしない。 だからコンビネーションの練習は散々したな、まぁ、剣術の型はこの時代にはまだ無いらしいからその辺は自分で考えるしかないか。
二つ目、コレは練習でいくら上手く出来ても試合で硬くなったら拳が遅くなる、力みはどんなスポーツでも大敵だ。
三つ目、後は視野か、一対一なら経験あるけど旦那様が言ってんのは戦場の話もかんでるから想像するしかないな。
でも、経験を積んで落着きが出てくると相手の動きがしっかり見えてくるもんだ。 覚えはある。
「分かりました、ありがとうございます」
俺はそれから長いこと木刀を振って過ごした。
久しぶりに体を動かすのは気持ちいいな。
旦那様も木刀を振っている、俺の持っている木刀よりも随分と太くて長い。
正中線が真っ直ぐでピタッと中段の構えから前足を半歩前に出しながら木刀を下から上へ切り上げて後ろ足を前に出して、また後ろ足を引きながら上へ切り上げた木刀を中段に戻し、また半歩前に出ながら今度は斜め上から切り下げて半歩戻りながら中段に戻す。
木刀は振った瞬間に消えたかと思うほどの速さだ。
「ん、どうした? もう疲れたか?」
ぼやっと見ている俺に旦那様が声をかける。
「いえ、旦那様が剣を振るのを見ていました。 今朝、村木さんに剣技を見せてもらいましたが村木さんよりも剣が速くて見えません。 村木さん達が旦那様の方がずっと凄いと言っていたのがなんとなく分かりました」
「ん、俺よりも強い奴は沢山いる。 毎日しっかり剣を振れば太郎もすぐに俺ぐらいにはなれるさ」
少し口角を上げたくらいでまた黙々と木刀を振り始めた、ダンディーなおっさんだな。
俺も黙々と木刀を振り続ける、とはいえ多分一時間もしないうちに(時計がないから正確には分からないが)手が痛くなって辞めた。
「旦那様、手が痛くなってきたので今日はもう辞めておきます」
「ん、そうか」
旦那様が素振りの手を止めて俺の方を見る。
「旦那様、書斎にある本を読ませていただいても宜しいでしょうか?」
「なんだ、太郎は本が好きなのか?」
「はい、それもありますがもう少し字に慣れておきたいのです」
この時代にも詳しくなりたいしな。
「そうか、勿論構わないが元あった場所に直すのを忘れないでくれ」
「はい、ありがとうございます。 木刀は倉へ直しておけばよいでしょうか?」
「いや、太郎にやろう。 暇があれば振りなさい」
「本当ですか!ありがとうございます!!」
不覚にもこの年で木刀を貰って素直に喜んでしまった。
まぁ、見た目は五才だからいっか。
「ん、頑張りなさい」
そう言って旦那様はまた木刀を振り始めた。
もう少し旦那様の剣を眺めていようかとも思ったが時間は有効に使おう、分からないことが多すぎるしな。
俺は書斎に戻って本棚の前に立つ、殆どが資料だが装丁の違う物が数冊だが混じっている。
その内の一冊を抜き取って座り、開いて読み始める。
しばらく分かる漢字を拾いながら懸命に読み進めていく、内容は礼儀作法のようなものが書いてあった。
これは後回しにしよう、直してから別の本を取る。
今度は和歌が書いてある、知っているものはない。
そんな調子で大体の本をペラペラと捲っていくと兵法書があった。
内容は昔の軍の戦争の話。
戦争の内容は、
坂上田村麻呂の蝦夷征討の戦いだ。