*7* ピンチかチャンスか。
待ちに待った夏期休暇に入ってから、四日目。
大方の獲物に対する下調べも済み、レッドマイネ家の名を後ろ盾に、夏期休暇中に自分用の招待状も揃えた。
ドレスは体格のせいで着られるデザインに幅がないのは仕方ないにしても、ここのところ何だか少し肌と髪の調子が良い。考えられる理由としては最近ソフィア様が気に入っておられるハーブティーと、レッドマイネのお屋敷で出される野菜のお菓子だろうか?
かさついていた肌がしっとりとして心なしか浮腫も取れたし、ごわごわに膨らんでいた髪には若干艶が出てきたことで纏めやすくなった。人参色の失敗したパンから、ややまともなパンに進化している。何にしても、いつもより卑屈な気分にならずに身支度が出来たことは上々だ。
今日の私の装いは二の腕を完全にカバーした若草色のドレスに、焦げ茶色のベルト。それからドレスと同色のリボンで三本に編んだ三つ編みを纏めた人参色の髪だ。
いかに不美人な方がソフィア様を引き立てられるとは言っても、この季節はただでさえ私のような体格の人間は見苦しい。だからこそ、それをちょっとでも軽減出来たことは喜ばしかったわ。
当然私でそれだけの効果が現れたのだから、ソフィア様の方はもう磨きをかける部分などないと思っていたそのお姿にさらに磨きがかかって、これはもう絶対に新しい婚約者が釣れるのも時間の問題だとほくそ笑んでいた。
今日招待されているお茶会は私と同じ子爵家の方なので、そう規模は大きくない。ソフィア様の新しい婚約者を見繕いに行く場としては、少々力不足であるものの、まずは仕切り直しの為にも肩慣らしが大切だわ。
それに同じ日付でもっと大きなお茶会もあったのだけれど、いきなり規模の大きな席に出席すれば、下世話な方達から新たな相手探しに焦っているというような、妙な噂を立てられかねない。
あとは同日に大きなお茶会があるのに、その招待を蹴って小さなお茶会に出席すれば、招いた方は自分達の家を優先してくれたレッドマイネ家に感動するはずだという打算も兼ねている。こちらとしてはソフィア様の味方は勿論のこと、レッドマイネ家の力になる人々も随時募集中なのだから。
――まぁ、それはさておき……。
「オースティン様……本当に今日のお茶会にご一緒なさるんですか? 今日お呼ばれしているのは室内じゃなくて、ガーデンパーティーですよ?」
今私がいるのはレッドマイネ家の応接室。
ここで本日の主役であるソフィア様の身支度を待つように言われたので、例のハーブティーを飲みながら一息吐いていたのだけれど――。
この部屋に最初に現れたのは、何故か当日になって突然同行することになった陰のある美形こと、オースティン様だった。出逢ってからこの方、ほとんど見る機会のなかった正装に思わず見惚れてしまう。
細すぎる腰が心配な以外は、もう完璧に近い。流石レッドマイネ家の誇る美人姉妹……でなくて、美形兄妹だわ。
私達と同じものを召し上がっていたので、少しだけ目許がすっきりとして頬に肉が薄くついたせいか、以前よりもほんの僅かに健康的な見た目になっている。裏を返せば以前が結構やつれた印象だったので、やや普通の人よりになっただけだ。
よって、オースティン様にはこの状態を是非キープしてもらいたい。
しかしそんな現状なものだから、つい今のような言葉が出たのだけれど、オースティン様はあからさまに嫌そうに顔を顰める。
「だから、お前はどうしてそう人のことを室内飼の犬猫のように言うんだ。屋根のない場所に出たからといって死んだりせんぞ」
「いえいえ、そうではなくてですね、夏本番の今日は、流石に、ちょっと、お考え直しになった方がよろしいのでは? と言いたいのです」
「おい……何もわざわざ区切ってまで俺のひ弱さを強調したいのか?」
「そういうわけでは……多少ありますけど」
毎回素直に心配したいとは思う。思うのだけれど、それだけではいさせてくれないのがこの方の困るところだ。変に噛みついてこられるから、ついこちらの言葉にも皮肉が混じる。
けれどそれを口にしたところ、オースティン様は「あるのか、やっぱり」と落ち込む。その姿が少し可哀想ではあったものの、私はそれを効果ありと見て、さらにたたみかけた。
「そこは嘘をついても仕方がないではありませんか。ありますよ。大有りです。それに今日は特に日差しが強いんですから、お願いですから大人しくここでお留守番していて――、」
“下さい”と会話を終わらせるよりも早く、入口の方から「あら駄目よ、クロエ」と少しだけ怒った様子のソフィア様が現れた。今日の装いは季節と瞳の色に合わせたサファイアブルーの爽やかなドレスに、金色の髪に細かく編み込まれた同色のリボンが美しく映える。
オースティン様と二人して「今日は一段と綺麗だね、リディー」「ええ、まったくその通りですわ!」と褒め称えた。ソフィア様もまんざらでもなさそうにはにかんで「二人とも大袈裟だわ」と頬を染める。これはもう今日の会場での視線はソフィア様に集中すること間違いなしだ。
しかしだからこそ、そんな氷の妖精……いや、女神様かと見紛うソフィア様の口から「今日はお兄様も一緒に行くのよ」と言われてしまっては、もう従う他の選択肢はないのだった。
***
案の定、会場に到着するとわざわざ私が引き立て役にならずとも、他に招かれたご令嬢達だけで事足りてしまう。むしろ他にもおられる美しいご令嬢達の中で、一際存在が浮くほど美しいという稀有な目立ち方をされるソフィア様に、私もオースティン様も鼻高々だった。
それどころか、普段滅多に茶会に出席しない深窓のご令息であるオースティン様が出席したことで、他の男性陣までやや霞んでしまったのは、まぁ、皆様お気の毒ですわね。
当然目の色を変えたご令嬢達がひっきりなしにオースティン様に声をかけ、そのたびに隣にいる私の方を凄まじい目で睨んできた。勿論、彼には見えないように。
これは今日の私は必要がなかったかもしれない、そう思って「では私はちょっと木陰で涼んできますわね。この身体だと暑さに弱くて」と笑ってその場を離れようとしたら、確かに笑いを提供したのは私ですけれど、オースティン様を取り囲んで質問責めにしていた彼女達は、一斉に嗤ったのだ。
別に今さらそんなことに立てる働き者な腹筋は持っていないので、そのまま木陰に向かおうとした私に向かい、それまで彼女達の前で猫を被って談笑していたオースティン様が「待ちなさい、クロエ。わたしも一緒に行こう」と仰った。
オースティン様は公の場では“わたし”と言うのだと思い出したのは、何年ぶりかしら? そんなことを考えながらも振り向いて「いえ、私は一人で大丈夫ですわ。オースティン様はこちらで彼女達とご一緒していらして」と今度はちゃんと笑って伝えたのに、彼はやや儚げに微笑み……。
「今日は君をエスコートするためにわざわざ来たのだから、その君が傍に居てくれないと何をしに来たのか分からないだろう?」
――と、訳の分からない供述をした。
当然こちらに向けられるご令嬢達の視線は、火を噴くのではないかと思われるほどに嫉妬に燃え、されるいわれのない嫉妬に私は狼狽する。けれどそんなことはお構いなしというように、ご令嬢達の包囲網の中からスルリと抜け出たオースティン様は、私に向かって腕を差し出される。
……自慢ではないけれど、公の場でエスコートされたことのない私にとって、これは初めてのエスコート体験だ。しかもお相手は初恋の人である。目の前には“その腕を絶対に取るな”という圧をかけてくるご令嬢達。
結局私はその腕を取り「殿方にエスコートされたのは初めてですわね。美しい彼女達には必要がないからと私にお声をかけて頂けるだなんて、オースティン様はお優しいですわ」と嘯いた。
するとその瞬間膨れ上がっていた彼女達の嫉妬の炎は急速に火力を落とし、種火のような優しさまでになったかと思うと「まぁ、そうなんですのね。流石はオースティン様ですわ」「クロエ様、今日はお楽しみになって」「次回は是非わたくし達ともお話をして下さると嬉しいですわ」と理解のある言葉を口にして、木陰へと向かう私達を見送って下さる。
そんな彼女達に微笑み返してエスコートされた木陰につくなり――、
「お前……さっきの下手な芝居は何のつもりだ?」
やけに低い声でそうオースティン様に訊ねられた。暑気あたりでもして苛立っているのかもしれない。この会話が終わり次第何か冷たい飲み物でももらってこようかしら。
「下手な芝居も何も、エスコートされたことがないのは事実ですわ。それにオースティン様こそさっきのクサい芝居は何ですの? せっかく珍しくこのような席に出られたのですから、ソフィア様のことは私に任せてご自分の婚約者候補をお探しになられないと。時間は有限なのでしょう?」
こちらはちゃんとそのつもりで、さっきの彼女達にオースティン様上げをして見せたのだ。彼女達にしてみれば、ただでさえ滅多に現れない男性の人品を見定める好機なのだから、それを逆手に取って活用しない手はないはず。
自分でそう言葉にしておいて痛む胸の内など、知ったことではない。恩人の兄妹に良い婚約者候補を。それが今まで取り立ててもらった、取り巻きの私に出来る唯一の恩返しなのだから。
けれど私の言葉を聞いたオースティン様は、一瞬だけ苦虫を噛み潰したような表情になったかと思うと「……もういい」と、呆れた風に溜息を吐かれた。何となく数秒だけ妙な空気になってしまい、私が何か話題を振ろうと言葉を探していると、急にそれまで苦々しげだったオースティン様の表情が変わる。
その変化に気付いた私がその視線が捉える先を追って振り返ると、そこには男性と談笑するソフィア様の姿があった。しかし問題なのはお相手の男性の距離感だ。ここからだと正確な距離感が分かりにくいものの、通常貴族の男女が語らう距離としては近い気がする。
濃い栗毛にがっちりとした長身で正装であるのに筋肉質な輪郭から、おそらく武術に秀でているのであろうと思わせた。オースティン様にはない男性的な部分を濃縮したような見た目の方だ。
「何だあの男は、随分と馴れ馴れしいな。ソフィアの学園での知り合いか何かか?」
オースティン様もそこが気になったのか、やや不機嫌そうな声音になり、ギュッと眉根を寄せた。私はそんな彼の質問内容に対して瞬時に記憶を漁り、該当者がいないことを確信する。
「いいえ、ソフィア様と交流のあるご学友はすべて記憶していますが、あの方は初めて見ます。つまり一度も直接的な接触がない方ですわ」
「「………………」」
「――ということは、つまり?」
「今の方って全く攻略対象に選んでない方ってこと、です、わよね?」
それだけのやり取りで今まで私達の間に横たわっていた妙な空気は霧散し、即座に共闘態勢に切り替わる。可愛く崇高な宝物に妙な虫など近付けてはならない!
「俺は今から会場内の知り合いを探して情報を仕入れてくる。お前はその間にあの馬の骨からソフィアを引き剥がして連れ帰ってくれ」
「分かりましたわ!!」
阿吽の呼吸で打ち合わせを済ませた私とオースティン様は、即座に自分の持ち場につこうと木陰を離れかけた――のだけど。
急にガッと手首を掴まれて驚きながら振り返った私に向かって、何を思ったのか、オースティン様は一言だけぶっきらぼうに。
「今日の装いは、お前の髪色に、良く、似合っていると思うぞ」
それだけ告げて離れた掌の温もりは、ソフィア様の元に辿り着く間もずっと。
ずっと、私を掴んで離さなかった。