★6★ 空腹を呼ぶ子豚。
今回は腹黒お兄様のオースティン視点です(*´ω`*)
毎度毎度、自分の胃袋はこの目の前にいるクロエ・エヴァンズの中に収納されているのではないかと思うことがある。
普段はまったくと言っていいほど感じない空腹感が、この子豚が美味そうに何かしら食べ物を頬張っている姿を見ると、ムクムクと湧き上がってくるのだ。
元々からして食事の為に食堂に行くことのない俺は、あまり人と食事をすることがない。したところで、相手を心配させたり、悲しませたり、相手によっては付け込まれるような量しか口に出来ないからだ。
それが昔からこのクロエ・エヴァンズを前にすると、不思議なほど食事を摂りたくなる。にこやかに四つ目の人参スコーンを口にしたクロエを呆れた目で見つめるが、自分の手にあるスコーンが二つ目だというのも驚きだ。
スコーンにつけるジャムも全て元は野菜なので、大量に食べても通常の菓子類を同量食べるよりは多少マシだろう。ただし、あくまでも多少なので行き過ぎた場合は止めなければならない。そうでなければ、学園の夏期休暇を前に妹と立てた作戦が水泡に帰してしまう。
「最初はお野菜のお菓子だなんてと思いましたけれど……それも人参の。色も綺麗ですし味も美味しいんですのね。これならまだあと六つは食べられそうですわ。帰りに厨房に顔を出してレシピを教えてもらおうかしら……」
「あら、それは駄目よ。このお菓子のレシピはわたくしが我が家の料理長に頼んで作らせたものですもの。そもそもお兄様がクロエのお家の料理長の作ったものばかり召し上がるから、可哀想な我が家の料理長に嫉妬心が芽生えたのでしてよ?」
クロエの食欲に裏打ちされた言葉に、妹が苦笑しながらそう返すが、どうやらこの目の前に積まれた菓子の原因の一端は、クロエに関しての作戦を抜きにすれば俺にもあるらしい。
スコーンを割ってジャムを塗っている最中に突然会話を振られた俺は、同時に振り向いた二人の視線を受け止めて「そうなのか? それは料理長に悪いことをした。今日の食事からは気をつけよう」とひとまず笑っておく。
根が素直な妹はあっさりと「是非そうして下さいませ」と微笑んだのに対し、根が俺と同様に捻れているクロエの方は言葉こそ「そうですわね」と同調して見せたが、その瞳が笑っていない。
現に「それよりもソフィア様、馬車での会話の続きですけれど……」と声を潜め、妹も一緒になって俺に聞こえないように女同士での会話を楽しみ始めた。若干手持ち無沙汰になったものの、そのおかげか、スコーンを口に運びながら久々に懐かしい記憶が呼び覚まされる。
クロエのような人材を求めたのは……最初は俺が死んだ後に、両親とは別に妹が頼りに出来るような人間を見繕っていたからだ。出来れば野心を抱いたりしないような、我が少なそうで他者の言葉に言い返せない、自分にまったく自信がないような令嬢を。
しかし家格が高いせいか、思うようにそういった人材を見つけることが出来ない日々が続いた。
しかも体調を崩して臥せっている間に、妹は自分で見繕ってきたのか、見た目だけは従順そうな令嬢達を引き連れるようになり、妹の持つ焦燥感がそのまま良くない人材を引き寄せている気さえしたものだ。
事実、ほんの僅かな期間ではあるものの、妹と俺の心に距離が出来たことがあった。だがそれも当然だ。寝込んでばかりのくせに助言をしようとしてくる兄など、何の役にも立たない。
煩わしく思われたことは辛かったが、時間がないと焦れば焦るほど、身体は持ち主の意思と関係なく弱る。悪循環の極みだ。
妹は仕事と俺の薬の調達で忙しくする両親に心配をかけまいと、俺が教えたように気丈に振る舞い、婚約者であるヘルフォード家の息子にも気弱な部分を一切見せなかった。
それ故にさらに周囲から孤立していくという、兄譲りの悪循環。けれどあの当時弱味を見せなかった妹は、その芯の強さのおかげで誰に侮られることはなく、確か氷の女王と呼ばれ出したのもあの頃だっただろう。
だから、両親が開いた茶会で他の令嬢達にいたぶられ、一人会場から逃げ出すクロエの姿を見つけた時は、人間的に最低なことだが、自分が探していたのはあの娘だという直感と喜びがあった。
当時のクロエにしてみれば、とんでもない兄妹に捕まったと怯えてもいいような状況だったにも関わらず、妹に連れられて俺に挨拶をした彼女はそれまでの所在なさげな姿から一転し『必ずやどのご令嬢よりもソフィア様のお力になってご覧にみせますわ!』と鼻息も荒く誓いを立てたのだ。
何て滑稽な令嬢だろうかと……そうは思えない自分がどこかにいた。いや、実際は今よりもだいぶ寸詰まりで丸かったクロエは酷く滑稽で、思わず『自制の足りていない身体だね?』と評しはしたのだが――。
決してそれだけではない憧れのようなものを、当時の俺は彼女に抱いたし、何なら今でも抱いてる。それは単純に自分にはない生命力に溢れた食欲旺盛ぶりだったのかもしれない。
何にしても、クロエを手許に置けたことは一種の転機だったのだろう。こんな状況ではあるものの妹は一人にならずにすみ、俺の寿命もクロエにつられて食べるようになったからか、予定していたよりも延びた。
人参色の髪をしておきながらあまり好きではないのか、今日用意した菓子も、最初は勧めても手を伸ばすのを躊躇っていたほどで。
この食欲令嬢にも苦手なものがあるのかと思って、妹と一緒にからかえば『だってこの色……まるで共食いのようではありませんか?』とさも嫌そうに言った時には、咽せるのも構わずに声を上げて笑った。
今回の騒動の発端は主に妹の問題ではなく、俺の問題だと思っている。勿論婚約者であるジェームズの心変わりが一番の問題には違いないが、そうさせる言動を妹が重ねたことも事実だろう。
俺の躾が妹をこの状況に追いやり、ひいては取り巻きであるクロエの家の立場も危うくし、おまけにクロエ当人に至っては、本来受けなくてもいい誹謗中傷にまで晒されている。
だからこそ妹から聞かされた内容に自分でも驚くほど腹が立った。すでに誹謗中傷した連中を割り出して制裁を加える目処も立ててある。本人は喜ばないだろうが、そんなことは構わない。
人の持つ時間には限りがあり、いつそれが途切れるか分からないのなら、打てる手は全て打ち、使えるものはかき集めてでも利用する。妹は当然のこと、クロエにも知られないように秘密裏に、だ。
生きている間に真面目なだけが取り柄だった妹の婚約者も、あれが惚れ込んだ平民上がりの成り上がり者も、知られぬように“処分”する方法がないわけではない。調べようと思えば相手の成り上がり者の過去を調べ上げて、婚約破棄を言い渡そうとする場で暴露してやっても面白いだろう。
ただ、そこまでしてやるほど奴等を重く見るわけでもなければ、労力が惜しい上に微塵も興味がない。
自由の利かない身体では、すべきことを分類することも大切だ。
それにクロエは両親である子爵達を見るに、おそらく痩せればそれなりの容姿になるはずだ。ただしそう仕向けるには、痩せるまでの運動と食事制限を誰かが気づかれぬようにやらねばならない。
そこで妹が食事制限と、茶会などへの出席を兼ねた運動を。
俺は茶会でクロエが一人にならないよう、エスコート役として出席するための体力作りをしている最中だ。
――……と、
「うふふふ、ねぇ、お兄様。クロエの男性の好みが分かりましてよ」
「なっ、お止め下さいませソフィア様!? “絶対に誰にも教えないわ。約束する”と仰られたからお教えしたのですよ!!」
「あら、そうだったかしら? わたくし最近物覚えが悪くて」
「夏期休暇前の試験で全ての科目を満点で通った方が、物覚えが悪いはずがないではありませんかぁ!」
騒々しくも楽しげに会話を繰り広げる二人を見ていると、剣呑な考え事も霧散する。そこですぐに剥がれかけていた“虚弱で優しい兄”の仮面をつけ直し、ベッドの上で過ごす日々の中で身に付けた、人好きのする微笑みを浮かべて「コラコラお前達、淑女の上げる声ではないぞ?」と窘めた。
けれど、いつもならこんなことを考えた直後は気分が悪くなるはずなのに、今日ばかりは目の前に子豚がいるせいか“キュルル……”とか細い腹の虫が鳴く。
それを耳敏く聞きつけた二人にスコーンを手に迫られたのは、何とも不覚なことである。