*4* 緊急案件なのでは?
来るべき今年の年末に行われる卒業舞踏会に備えて、オースティン様主導のもと発足された【ソフィア様の新しい婚約者を見繕っておこうの会】は、何の成果も得られないまま、すでに設立から一ヶ月が経っていた。
はっきり言ってこれはまったく予想外の展開だ……と、言い切れない部分は確かにある。しかしまさかここまでだとは思っていなかった。
現在は七月の一週目で、再来週にはもう夏期休暇が始まる。
私は今、最初に二週間熱を出して寝込んだ以外は連日微熱が続くものの、比較的彼にしては健康であるオースティン様と共に、斜線の引かれた書類を一枚一枚粉々になるまで破り捨てながら作戦を練っている。
本来ならこの議題の主役であるソフィア様は、ここ一ヶ月ですっかり定着してしまったお茶の用意をされに厨房へと出払っていた。
――が。
「令嬢同士の交流目的で開かれた茶会が一、まだ婚約者がいない者達が見合い相手を見繕うガーデンパーティーが二、仕事の関係者が接待を兼ねて開いたホームパーティーが二……これで先月と、今月の一週目までに誘われていた席は全滅か。ここに出席していた奴等の目はどうなっているんだ! 節穴か!?」
その最中に突如上がった、妹であるソフィア様を溺愛するオースティン様の心からの主張に、私としても全面同意だと言わざるをえない。けれどその直後に激しく咳き込む背中をさする役目は、出来れば辞退させて欲しいのだけれど……。
一応この一ヶ月と一週間で骨と皮にうっすら筋肉? がついた程度だった背中に、僅かばかりの脂肪がついてきたことは喜ばしいことだ。それにこの脂肪の内、いくらかは我が家の料理人が作った焼き菓子で出来ているのかと思うと、何かしら感慨深い。
けれどそれにしたって撫でている掌に伝わってくる背骨の感触は恐ろしくて、下手に力を込めればポキンと容易く折れてしまいそうな儚さに、未だ慣れることは出来なかった。
「オースティン様、お気持ちは痛いほどよーく分かりますが、少し落ち着いて下さいませ。今は夏期休暇ですから、まだどこかのお茶会に潜り込むくらいは可能かもしれませんわ。それにあまり頭に血を上らせては、また熱がぶり返して面倒です」
「お前こそ少しは言葉を選べ。面倒とはなんだ、面倒とは!」
素直すぎるほど素直な私が口にした感想が気に入らなかったのか、背中をさする手を払いのけたオースティン様はそう声を荒げると、再び咳き込んでベッドの上で身体を折る。何がしたいのだこの人は。
内心で面倒感が増したものの、今度はそれを口にはせずに「あら、失礼しました。では改めて……心配ですから落ち着いて下さい」と言葉をかければ、ゼーゼーと荒い呼吸を整えようとしていたオースティン様の口から「心にもないことを」と悪態が飛び出す。
その言葉に「もう大丈夫そうですわね」と笑いながら背中を叩くと、不意にシーツに視線を落としていたオースティン様が顔を上げ、そのサファイアブルーの中に少しだけ紫色を散らした瞳で私の顔をまじまじと眺めた。
思わず「な、何ですの?」と訊ねれば、彼は「お前少し痩せたか?」と訊ねてくる。微妙にこちらを探るようなその言葉に、内心さっきまで“信じられないくらい身体が薄いわぁ”などと考えていたことがバレたのかと思って焦った。
その動揺を悟られないように「それはまぁ……普段全く動き回らない人間が夏の最中に情報収集だ、お茶会への出席だと動き回れば、多少は痩せますわ」と何とかどもることなく答える。
しかし何を思ったのか、オースティン様は男性にしては細い腕を伸ばすと、急に何の断りもなく乙女の頬肉を摘まんだ。しかもそのまま両側に引っ張るという暴挙にも及ぶ。
しばらくは頭の中が「?」という状態でいっぱいだったものの、流石にモチモチ、タプタプと執拗に頬肉を弄ばれることにブチ切れそうになりながらも、何とか平静を装ってその手をガシッと捉えた。
「――……ひょっと、おーすひんひゃま、らんのおひゅもりれすか?」
怒りよりも間抜けさを感じさせる私の言葉に、それでもオースティン様は何が面白いのか、無言でさらにグニグニと頬肉を引っ張ったり捏ねられたりしている。まさか……ご自身にはない肉の厚みが羨ましいのだろうか?
だとするのならこの行為もやむなし――な、わけがない。遠慮なく捏ね回される頬は痛いし、何よりもいくら肉厚すぎる見た目とはいえども、私だって一応は年頃の娘。
羞恥心もさることながらこの屈辱的な状況に、ついに我慢の限界を迎えて“どっせい!”とばかりにオースティン様の手を振り解いて……と、いうよりは心持ち優しく突き飛ばした。
だというのにオースティン様は大袈裟に「うぐっ!?」と声を上げて仰け反り、その反動でヘッドボードに後頭部をぶつけて、今度は声もなく悶絶している。
ふんっと、鼻を鳴らしてその様を見つめる私を恨めしげに睨みつけてきたけれど、自業自得だわ。
「まったく……いきなり乙女の柔肌に断りもなく無体を働くとは、いったいどういうおつもりですか?」
やっと自由になったというのに、まだ頬の表面をオースティン様の骨ばった指が揉んでいるような気がして。ジンジンと熱を持って常よりも腫れぼったくなった気がする頬を、同じくらい肉厚な掌でさする。
「おい、止めろ人聞きの悪い。それだとまるで俺が変態のように聞こえるだろう。嵩が少し減ったようだったから、これでも一応…………したんだ」
「はい? あの……何ですか? 今の最後の辺り、一瞬だけ声が小さな箇所が聞こえませんでしたわ」
「チッ、何でもない。気にするな子豚」
「ちょっと、舌打ちしませんでした? それに今の一連の動作は何なのです。もしや、わざわざ私に太ってるということを再認識させたかっただけの嫌がらせですか?」
「そんな小さな嫌がらせの為に今のようなことをするわけがないだろう。それよりも力加減に気をつけろ。日頃ああも散々俺のことを、虚弱だ何だと言っているくせに殺す気か?」
そんな不毛な言い合いが段々と激しさを増し始めた直後、廊下からワゴンの音が聞こえてきたので、私達は一度矛を収めた。ややあってからドアをノックする音が聞こえ、部屋の主であるオースティン様が「どうぞ」と声をかけると、戸口からソフィア様が顔を覗かせる。
――……あああ、まだほんの数十分前に別れたきりだけど、ソフィア様ったら本当にお美しいわ。学園ではまず見られない気を許した柔らかな微笑みが完璧。女神は地上に存在したのか。
「ふふ、二人とも相変わらず仲のよろしいこと。本当にお兄様はクロエが遊びにいらしてくれると楽しそうですわ。それにあなたがいて下さるとわたくしもお兄様と食事が出来ますし、何よりどんなに落ち込んでいても、不思議と食欲がわきますの」
ほわりと微笑むそのお顔を見られるのなら、このみっともないまでの体格と食欲も多少は役に立っているに違いないと、自分に都合の良い解釈をしながら「それはようございますね。では、今日もしっかりお二人のご期待にお応えしますわ」と持参した包みの中をひっくり返して、焼き菓子の小山を作り出す。
それを氷の女王と称されるソフィア様の手ずから淹れて頂く、温かい紅茶をお供に味わいながら、作戦会議が再開されたのだけれど――……。
「細かな問題は色々あるのですが、一番の問題はソフィア様がせっかく会話に誘われても、お相手との会話を長く続けようとなさらないことかと」
年若い男女が婚約者探しをする場において、一番難易度の低い相性診断の方法。それが“日常会話”だ。だというのに、ソフィア様は現在この初歩中の初歩とも言える問題ですでに躓いている。
前回出席したガーデンパーティーでも、この自ら発光しているかのような美貌のソフィア様を、多少婚約者問題で揉めそうだからといって放っておく男性はいなかった。
実際結構な人数の男性に声をかけられて、隣に立って彼女の美しさをより引き立てていた私は、自分の仕事ぶりに誇らしい気分で侍っていたのだ。
なのに肝心のソフィア様は、片っ端から甘く誘う男性陣の言葉をことごとく一刀両断。完膚無きまでに叩きのめしてその鋭利な言葉の刃の錆にしてしまう。
お陰でただでさえ少なかった婚約者候補が、さらにググッとその数を減らしてしまった。では私が傍に侍っていながら、何故そんなことになったのか?
――その理由というのが、
「それはそうですわ。だってあの方達、クロエを見て“ここに貴女の相手が務まるような男はいないぞ?”だなんて言って嗤ったのだもの。そんな方々と楽しくお喋り出来ることが何かあって?」
――これだ。
女王様の心遣いが嬉しい反面、取り巻きとしては正直かなり困っている。
「ええ、まぁ、それは何度も言っておりますが仕方のないことですわ。あの場で私ほど浮いた体型のご令嬢はおりませんでしたから。今はその部分はこっち側に置いて――、」
「おけませんわ。クロエのことを嗤った時点で我が家名の力を使――、」
「わなくて結構ですから! 私のことはいつものことなので、物騒なことを仰らないで下さい。どうか今はご自分のことを最優先にお考えを」
出かけた先の会場で、二人して何度も繰り返してきたこの不毛な問答に、今日はオースティン様を巻き込む為に、彼の目の前で無理矢理話題を引き出してみた。
しかし背中をヘッドボードに立てかけた枕に預けて目蓋を閉じているオースティン様は、眠っているのか一向にこちらの会話に言葉を挟んでこない。
ついに焦れて「オースティン様からも説得して下さい」と話を振れば、ようやく目蓋を持ち上げた彼が「ふむ、では……社交の場でクロエの相手が務まる男がいれば、ソフィアは真剣に新しい婚約者を探せるわけだね?」と、私と二人でいた時には考えられないほど優しげな声で訊ねた。
それに対してソフィア様も「はい。その通りですわお兄様。どなたかお知り合いに、クロエのお相手に良い方がいらっしゃいませんか?」と、とんでもないことを言い出す。そんな馬鹿な。
「いえいえいえ、お待ち下さいお二人とも。それはお相手の方があまりにも!! 不憫です。私はああいった手合いには慣れておりますので、是非哀れな生贄を探すことはお考え直し下さい!」
美人揃いの会場内で罰ゲームのようなことをさせられる相手のことを、心底気の毒に感じてそう必死で止めた私の言葉はけれど。
直後に二人から発された「「子豚は黙って」」の見事なハーモニーの前に、しおしおと力を失いました。まだ見ぬ誰か、ごめんなさい。会場で貴男と出会わないことを、切に願っておりますわ。