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*3* 準備は大切ですけれど。



 ――さて、唐突ではあるが今日の私はすこーしだけ、地味に怒っていた。


 前回同様に放課後の学園からソフィア様に拉致されて、レッドマイネ家のお屋敷に攫われて来たまでは構わない。こちらから拒否するつもりもなければ、こちらに拒否権も恐らくないでしょうし。


 では何を怒っているのかというと、実を言えば前回の顔合わせからすでに二週間が経っているせいなのだ。オースティン様が虚弱なのは仕方がないにしても、只でさえ時間がない時に寝込まないで欲しい。


 いきなり手持ちの時間が五ヶ月と二週間になってしまったではないか。


 しかもその間せっかくお誘いのあったお茶会の席も、ソフィア様は『大切なお兄様が熱を出して苦しんでおられる時に、わたくしだけお茶会になど出られないわ』と情の深いことを仰って全て断ってしまわれた。


 私がいくら勿体ないと進言しても聞く耳を持って下さらないのだから、最後まで残った取り巻きとしては少し傷ついたほどだ。


 そんなソフィア様は現在、ようやく今日ベッドに起き上がるまでに回復したオースティン様の為に『お兄様の好きな紅茶を用意して参りますわ』と可愛らしく言い残し、厨房の方へと姿を消した。


 この屋敷内にいる時のソフィア様を目にすれば、愚かなヘレフォード様も考えを改めるでしょうけれど、一度浮気した男に大切な恩人を嫁がせることなど不可。断固拒否。むしろ去勢でよろしくどうぞ。


「何だかお久しぶりですけれど……本日はお招き頂きましてありがとうございます。ひとまず今日は何から始めましょうか? それとも私なりに調査した、この二週間分の報告書でもご覧になられます?」


 だからこそこの部屋に二人っきりで取り残されて、出会い頭に皮肉の一つでも言うくらい許されて然るべきなはず。


「あのな、そう分かり易い皮肉を言うな。確かに時間がないのに悪かったが……俺とて好きで二週間も熱を出して寝込んだわけではない」


 そうベッドに居心地悪そうに上半身を起こした相手へ、私の肉厚な手で書類を手渡しながら「当然です。こちらも弱っている方を相手に、本気で怒ったりしません。ちょっと言ってみたかっただけですわ」と苦笑する。


 流石にソフィア様の兄であるオースティン様を相手に、そこまで鬼にはなり切れない。初恋の人云々を抜きにしても、恩人の家族であるからには、この方だって大切な恩人だわ。


「ああ、そうか……助かる。一応俺も使える限りの伝手は全部使って、めぼしい独身貴族をリストアップをしてみた。交換して目を通すか。同じ人物の名があったら教えてくれ。新しい紙に書き出して、そいつらから重点的に攻略に乗り出すぞ」


 まるでつい今し方のやりとりなどなかったように、すぐさまそう頭を切り替えたオースティン様は私が持ってきた書類に目を通す。二週間分ともなればそれなりに分厚い束になっている書類を、次から次に節くれ立った男性の指がめくっていく。


 その姿を見ていたら、この屋敷に来るまでに考えていた自分の仮説が正しかったのだと確信する。


「今回の発熱……オースティン様のことですから、大方きちんと食事もお摂りにならないで、毎晩遅くまで作業をしていらしたのではありませんか? 不摂生は健康な人にも悪影響しか及ぼさないのですから、オースティン様のような方なら尚更お身体に毒ですわ」


 自分よりも年上で身分の高い男性を窘めるだなんてことは、本来してはならないことだと幼い頃から教わっているけれど……ここでそんな世間一般での窮屈な常識はお呼びでない。


「それは言われるまでもなく分かっているが、如何せん時間がない。今はとにかく気が急くせいでいつにも増して食事や睡眠が疎かになる。医者にも今のお前のように、食事を摂らなければ薬を飲めないだろうと小言を食らった」


 そうさも五月蠅そうに答えるのに、そのくせ書類をめくる手を休めないまでも、素直にこちらの苦言に耳を傾けてくれるオースティン様は、やはり変わり者だと言える。お身体が弱いせいで同年代の方々と違い夜会や社交場に出る機会が少ないからか、やはり世間からやや浮いているのだろう。


 とはいえ、それが良くないことかと問われればそうでもなくて。


「まったく、食事も食わないというのにこうも小言ばかり食わされていれば、より食欲が失せるというものだとは思わんのか?」


 厳しさばかりが目立つ顔立ちでそんな子供っぽいことを仰る姿は、口に出したら怒られそうだけれど微笑ましくもある。でもそれを笑って聞き流すには、その横顔に落ちる陰が怖いくらいに痛々しくて。自分のふくふくしい腕や手の甲についたお肉を、少し分けてあげたくなるほどだ。


「そうそう、忘れていましたわ。どうせオースティン様はそんなことだろうと思いましたので……今日は差し入れをお持ちしました。うちの料理人に頼んで、小さくても高カロリーなものを用意してもらいましたわ」


 久々に顔を見ることが叶って安心したせいで、すっかり忘れ去っていた。


 私は書類の類を入れていた学園指定の鞄とは別に持ってきていた、ランチ用のバスケットから小さな包みを取り出し、オースティン様にも見えるように結び目を解いて開く。


 すると中からは大小様々な焼き菓子が包装された包みが転がり出て、ベッドの上で小さく弾んだ。


「さあさあ、これなら頭脳労働者のオースティン様でも簡単に召し上がれますね? ソフィア様がオースティン様の為のお茶をお持ちになられたら、三人で一緒に食べましょう。それから食後には、お医者様のお出しになられたお薬も忘れずに飲んで下さいね」


 ごろごろ胡桃クッキーに、アイシングクッキー。


 ぴかぴかのジャムクッキーに、焦がしバターが香るマドレーヌ。


 まだ少し柔らかいキャラメルと、サクサクした歯触りが魅力のサブレ。


 持ってきたお菓子はどれも素朴で、とても伯爵家の方に食べてもらうようなものではないのかもしれないけれど、私は屋敷の料理人が作ってくれるこの焼き菓子達がどれも大変気に入っている。


 それらを惜しげもなく、ベッドに身を起こしてその量に目を丸くしているオースティン様の上に広げていたら、さっきまで何ともなかった私のお腹が急に“グギュルル!!”と空腹を訴えて盛大に鳴った。


 慌てて胃の辺りをグッと押さえたけれど、すでにしっかりと聞かれてしまったので「お前の腹の虫は正直だな」と感心するオースティン様に「ええ、働き者すぎて少々困っておりますわ」と真顔で返せば、彼は青白さの残る顔で「本当にな」と苦笑した。


 そのせいで頬の陰影が和らぎ、まるでこちらに微笑んでいるように見えて焦った私は「良いんです良いんです、どうせぽっちゃり子豚の戯言ですから」とそっぽを向いて動揺を誤魔化した。


 するとタイミング良く部屋のドアがノックされ、紅茶の一式が載ったワゴンを押したソフィア様が入ってこられる。そして不意に戸口で立ち止まった彼女は、ベッドの上に溢れるお菓子の海に目を輝かせた。


「もう、人が紅茶の用意をしている間に狡いわ。二人の楽しそうな声が廊下にまで聞こえていましてよ? わたくしもお話に混ぜて下さいませ」


 ソフィア様の可愛いおねだりにオースティン様と二人して、ほぼ同時に「勿論ですわソフィア様!」「ああ、勿論だともリディー」と答え、どちらが先にソフィア様に向かって口を開いたかで睨み合う。


 別に張り合わなくともいいのだけれど、私は何となく取り巻きとしての忠誠心が。オースティン様は兄としての愛情がそうさせるのだ。


 ソフィア様はそんな私達を見て「相変わらず息がぴったりね」と楽しげに笑って下さるけれど、そこは丁重に否定しておく。


 ――この時はまだ暢気に構えていた。


 招待状が来る場所にさえ出席していれば、ソフィア様の素晴らしさは必ず見る目のある誰かの目に留まるものだと。そう思っていたのだった。

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