ホワイトデーSS【料理長の希望的推理】
思い付きの産物第二弾(*´ω`*)<ハッピーホワイトデー。
――春ももうすぐそこまで来ている三月。
近年で一気に広がった異国の、あの持つ者と持たざる者の明暗を分ける祭典の月だけが変わった対の日付。今日のレッドマイネ家厨房内は、例年ならこれ以上なくギスギスしている場所だった。
それでも先月とは違い、次期当主であるレッドマイネの若様から、婚約者を招いての夕食会のために、デザートに至るまで力の入った夕食を作り終えて、達成感のある疲れに皆の努力を称えて解散したところだ。
……まぁ、手間のかかる片付けは先月の戦に勝ち越した者達へと丸投げし、敗けた者達は肩を叩きあって先に仕事後の一杯を共にすべく帰って行ったのだが。
残された者達も磨きあげられた職場を一人、また一人と、浮かれた足取りで美容班の恋人の元へ去って行った。
そんな中、最後の火の元やナイフの本数などの点検をするために残っていた男が一人、厳しい見た目にそぐわない可愛らしいラッピングの紙袋を前に、何やら難しい顔をしていた。ちなみに中身は店員に手伝ってもらって選んだ、バラモチーフの髪飾りである。
彼はこのレッドマイネ家の胃袋の番人である料理長。代替りしたばかりの三十代後半とまだ若いものの、舌も技能も統率力も、先代の料理長からお墨付きをもらった人物である。
――現在、彼は迷っていた。
勿論明日の献立にではない。それらはすでに下処理を施されて明日の朝を待つ状態となっている。では一体何に迷っているのか?
答えは彼の右手に握られているお菓子のラッピングにあった。一ヶ月前、差出人不明のこのラッピングが彼の包丁ケースの上に置かれていた。中身はチェック柄の素朴な手作りクッキー。
日付は異国の浮かれた祭典日。ピンポイントに愛用道具の上に置かれていたのだから、自惚れでなければそういうことで間違いはないはずだ。
しかし腕の良い料理人相手に、市販のものではない手作りクッキーである。普通なら何か盛られている可能性を考えて、迂闊に口にするようなことはまずない。だが彼はラッピングから微かに薫った残り香で、それを口にすることに決めた。
正直味は見た目通り素朴で、特別美味くも不味くもなく普通。けれどそれが普段一流のものを口にする彼の舌には、これ以上なく美味なものに感じた。
問題はこれを自身に寄越した人物が、今晩ここに呼び出した人物であるかどうかということだ。もしも違えば……いや、違っても、もうここまできた以上、用意しておいたものを渡すしかない。
でなければ女性に人気だという雑貨店を教えてくれた、次期当主の婚約者、クロエ・エヴァンズ子爵令嬢に合わせる顔がなくなる。
先月厨房指揮をとって彼女のケーキ作りを手伝った際“友人の話”として聞き出したが、今にして思えば、あの表情は何かを察しているような顔だった。聞いてみれば良かったのだろうかと、今更らしくもないウジウジとした感情が芽生えかけた――その時だ。
「妹達に伝言をもらったから、来たわよ」
背後から聞こえた気まずそうな声に厨房の入口を振り返れば、そこにはレッドマイネ家美容班の筆頭であり、彼がクッキーの差出人として……希望的推理をした彼女が立っていた。咄嗟に作業台に置いた紙袋の前に立ち塞がる。
「あー……こんな日に呼び出したりして悪いな。そっちに予定があるかの確認を忘れていた」
「別に予定なんてないわよ。嫌味なの?」
「は? 仕事終わりにわざわざ嫌味を言いに呼び出す奴はいないだろ」
「貴男のことだから分からないでしょう。それとも今夜クロエ様にお出しした食事の内容について、糖分摂取量の謝罪でもしてくれるのかしら」
いつもこうだ。言葉選びを間違えたと思った直後、美しい顔に挑発的な微笑みを浮かべて論戦が始まる。彼女と自身の性格上そうなるのは自明の理なのだ。
だからこそ彼は意を決して直球勝負の行動に打って出た。背後に隠した紙袋を手に彼女との距離を一気に詰めて、驚く彼女の目の前につき出す。
「先月お前にもらったクッキーの礼を……したかった」
その一言を素直に言い出すために右手の中でラッピングが犠牲になったが、彼女から薫る美容班謹製のアロマキャンドルと、彼女だけが愛用するバラの香油の微かな薫りも同時に溶けて。
「料理人は職業柄、鼻がきくんだよ。特に気に入ってる薫りには」
素直でない言葉を彼女が吐いてしまう前に、先回りしてそう告げた。この言葉と、贈り物の髪飾りに咲く三輪の赤いバラの意味に、彼女が気付くことを心密かに祈りながら。