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*2* 山猫に睨まれてもめげない子豚。



 そして……全然、ちっとも待ちに待たなかった放課後――……。


 私はご機嫌なソフィア様に連れられ、レッドマイネ家の色合いこそシックだけれど、通学に使用するには豪華な馬車に押し込まれて、市場に売られていく子豚の気分でレッドマイネ家の門をくぐった。


 屋敷に入るなり着替えてくると言い残し、さっさと自室に去るソフィア様の背中を見送り、執事に案内をされることもなく屋敷内の奥へと一人で進む。あのお茶会で出会ってから今まで、ずっとソフィア様の傍を離れることなく付き従う私を、この屋敷の人達は今や無条件で信じていた。


 それはこのお屋敷の主人であるレッドマイネ伯爵夫妻にも言えることで、奥様は虚弱な息子の為にその体質を改善する薬を探しに各地を飛び回り、旦那様である現・御当主は広大な領地の経営にお忙しい。それでも私が訪れている時にお屋敷におられる時は、大抵顔を出して挨拶をする仲だ。


 大貴族でありながらとても暢気で気さくな方々と言えば聞こえは良い。人間的には申し分のない善人。しかしそれは一般人やそこそこの貴族であれば良いものであって、歴史ある伯爵家ともなればいつ足を掬われないかと心配だ。


 そんなありがたい反面、歴史のある伯爵家の屋敷内を、たかが子爵家の娘が自由に歩き回れるのもどうかとも思いますけれど……。身体に付いたお肉を揺らしながら見慣れた廊下を進んでいくと、立派な細工のなされたドアに突き当たった。


 いつものようにここまでの道のりで上がった呼吸を整え、軽く三回ドアをノックすると、部屋の中から「入ってくれ」と落ち着きのある深い声が返ってくる。その声に少しだけ緊張してドアノブを回し、押し開けると――そこにはベッドの上に上半身を起こした病弱そうな美青年がいた。


 顔の全体的なパーツはソフィア様とよく似ており、髪色はやや落ち着きのある沈んだ金。しかし決してなよなよしい容姿ではなく、彫りの深い顔立ちはしっかりと男性的で、それがやつれていることによって、元からの造形の良さに凄みをかけている。


 ソフィア様と同様にサファイアを思わせる瞳には、やや紫の虹彩が混じる。そして何やら厭世家な雰囲気を纏ったこの人こそ、ソフィア様のお兄様……オースティン・コンラッド・レッドマイネ様だ。今日も今日とて紙のように白い顔色が、彼の命の儚さを物語っている。


 そして身の程知らずながら昔かけて頂いたあるお言葉のせいで、私の初恋の方でもあるのだけれど……その想いは随分と昔に蓋をして、以来一度も開けていない。きっと本人も憶えていないに違いないわね。


「授業が済み次第来るようにと言っておいたのに、随分と遅かったな? 肉が邪魔で移動速度に影響が出ているのか?」


 ――はい、出ました。出会い頭の強烈な一撃が。普通の貴族令嬢ならば傷付いて泣くか、無礼だと怒って帰ってしまうところだけれど、私はもう慣れっこなのでその暴言ににっこりと微笑んで応戦する。


「うふふふふ、お久しぶりですわねオースティン様。前回お会いしてからもう一ヶ月も経ってしまいましたもの。さぞやしっかり栄養をお摂りになって少しは肉付きも……って、あらあら? おかしいわ、部屋を間違えてしまったかしら? ソフィア様にお姉様がおられただなんて初耳です」


 そう大袈裟に声を上げて、芝居がかった演技のまま後ろに一歩下がって見せる。


 勿論、彫りが深い男性的な顔立ちが、たった一ヶ月で美女になったりはしていませんけど、やや中性的な顔立ちになってしまっているのは本当だわ。すると“虚弱体質=女顔”という方程式を勝手に持っているオースティン様は、一度だけ苦虫を噛み潰したような表情になった。


「……入室して早々に良い度胸だな子豚。お前の無駄にある肉と体力を、頭脳労働者の俺と一緒にするな」


「あら~、先に仕掛けてきたのはそちらではありませんか。本当にお口だけはいつもお元気ですこと。次に私を子豚以外の言葉を使って評されたら、ソフィア様の他には忠誠心をこれっぽっちも持っていない私の軽いお口が、オースティン様のその本性を誰かに話してしまうかもしれませんわね?」


「お前という女は……ソフィアには自分を守る手駒を増やせとは言ったが、こんなのを拾ってくるくらいなら、もっと人を見る目を養わせるんだったな」


 軽口の応酬では何とでも返せるけれど、こういう時の本当に嫌そうな声音と視線には流石にちょっとだけ傷付く。


 ソフィア様と出会ったお茶会のあった日に初めて『お兄様! 彼女はわたくしの新しい取り巻きですの』とご紹介頂いた時も、ちょうどこんな表情で『自制の足りていない身体だね?』と仰って下さった。


 しかしまだあの頃の方がマシだったのは言葉遣いかしら? 後日気付いて驚くことになったのは、オースティン様の家族の前での猫かぶり度合い。今ではあの日の初対面での発言もよっぽど優しい部類だと思える。


 ソフィア様の取り巻きとして、こちらのお屋敷に出入りするようになってからは、常に熱を出して外にほとんど出られないオースティン様を見舞うついでに、ソフィア様からのお願いもあってこうして話し相手になった。


 自分を愛してくれる家族に迷惑はかけたくない。その気持ちは私にもよく分かる。そんないっそ頑なな感情だけが、オースティン様を“虚弱だが優しくて聡明なレッドマイネ伯爵家の跡取り”として奮い立たせているのだ。


 ご自分でご自分を卑下する時、オースティン様は決して“病弱”という言葉はご使用されない。あくまでも“虚弱”という表現をされるのは、それは彼自身が“病弱”だと認めてしまえば、病に殺されるかもしれないと怯えているからだと私は思っている。


 実際にオースティン様は特定の“病”を持っているわけではなく、どの病にもかかる可能性がある“虚弱体質”なだけだ。極端に言えば風邪で死ぬことも可能だろう。


 そんなオースティン様はご両親と話す姿も、ソフィア様と話す姿も、勿論使用人達と話す姿でさえ、いつだって穏やかに微笑む姿で。こんな風に嫌そうに罵ってくる姿を、私以外の誰も知らない。


 幸い私の生家であるエヴァンズ家には、五年前に両親に良く似た可愛い弟が産まれたから、私に関しての両親の干渉も以前の必死なものよりは随分緩くなって、屋敷内で呼吸がしやすくなった。


 ――けれど、オースティン様は違う。


 私には彼の持つ、死への恐怖だけは分からない。


「そのお言葉はそっくりお返ししますわ。それにソフィア様は不器用ですけれど良い方です。不器用で人間性がアレなオースティン様や、不細工で人間性が捻れた私などよりも、よっぽど人を見ておられますもの」


 傍目からすれば私達のこの出会い頭のやり取りは、子爵家の令嬢ごときが伯爵家の跡取り相手に、大層無礼な口をきいていることに驚かれるだろう。けれど私もオースティン様も、この部屋以外ではキチンと身分を弁えて接しているからバレることはまずない。


 彼がここに私を呼び出すのはいつでも可愛い妹であるソフィア様の為。一方呼び出される私は、大抵オースティン様から取り巻きとしての仕事が未熟であるとのお小言を頂く羽目になるので、あまり訪れたくないのだ。


 言いたいだけ言い合った後は、シレッとお互いに言葉のナイフを収めて、私は彼に手招かれるままにベッドへと近付く。そうしてベッド脇に置いてある、私専用のがっしりとした造りの椅子に腰をかければ、オースティン様はまたしても苛立った様子で口を開いた。


「だったらどうしてこんなに急速に旗色が悪くなるんだ? それも、お前が傍についていながら」


「そうですねぇ……ソフィア様は人を信用し過ぎたのでは? 私の他にいらした取り巻きのご令嬢達が離れた時も、特に動かれませんでした。あれが信頼していたからだとすれば、かなり暢気でお優しい方ですわ」


「お前は――……ソフィアと違い、彼女達が離叛するのを分かっていたのなら、何故止めなかった?」


 オースティン様だってそんなことは分かっているはずだ。これは彼なりの癖で、身体を起こせる日はいつもこうして、私がソフィア様を裏切っていないかをこまめに確認される。だから今回もこのフリに引っかかってはならない。


「一度裏切った手駒はいりませんわ。一度やれば確実にまた転ぶ。何度だってやらかす人材を下手に拾い直せば、余計な火の気を呼びますもの」


 またまたシレッとした顔でそう答えれば、多少その言葉に引っかかりを覚えたのか「何度もとは……ソフィアはそんなに人望がないのか?」と、何とも言えない表情になられた。


 その問に「ええ、貴方様のご教育もあって」と間髪を入れず返すと「お前は本当にいい性格をしているな」とお褒めに与る。


 そもそもの問題として、世間で知られるソフィア様の高慢ちきでいけ好かない性格なキャラクターを作り上げたのは、このシスコンを斜め上に拗らせた兄である彼のせいだ。


 しかし擁護することがあるとすれば、歴史ある伯爵家にありながらこの屋敷の人達は皆さんどこか緩い。厭世家なご自身が亡くなった時に、周囲から一気に食らいつくされない為の防御策として、今更両親の矯正は無理でもせめて妹だけは――と、纏わせた鎧が(まず)かった。


 兄の愛を一心に受けたソフィア様は、今や立派な氷の女王様に成長してしまったのだから。でも彼にそれを言うのは酷だろう。今の私達に出来ることは、彼女に幸せな結婚をお膳立てすることと……オースティン様の身体を出来るだけ長く使える代物にすることだ。


「ふん、まあ良い。どの道あのボンクラにうちの妹は過ぎた存在だ。結婚してから離縁するよりも、相手側の不貞を派手に暴露して婚約破棄させた方がソフィアの心の傷も、その後の相手探しの手間も少ない。となれば……その舞台は半年後の卒業舞踏会がちょうど良いだろうな」


 私が何気なく放った痛恨の一撃のショックから立ち直ったオースティン様は、そうご自分を納得させるように深く頷いてから、その紫の虹彩を持つ瞳で私を真正面から捉えて口を開く。


 「……お前と俺の大切な宝物(リディー)の為だ。力を貸せ」


 昔から妹に関して本気のお願いを持ちかける時の愛称で、オースティン様が命じる言葉に、私は一言「御意に」と短く囁いた。

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