書籍化御礼SS【レッドマイネ家美容班の戦士達】
深夜、家人が寝静まったレッドマイネの屋敷内で一つだけ明かりの灯る窓。
そこはレッドマイネ家の女性使用人達が住む屋敷の一角。その中でも社交界で美の伝道師と称されるレッドマイネ美容班が住まう特別な一角であった。
「――皆さん、揃いましたね?」
そう静かな部屋にしっとりと響く声の主に、集まっていた精鋭達は一斉に背筋を伸ばして「「「はい、お姉様」」」と規律の取れた返事をする。
可愛い妹達……正しくは、トップを【お姉様】それ以外の者は【妹】と呼ぶ美容班代々の習わしであったが、お姉様と呼ばれた美女はにっこりと艶やかに微笑んだ。
「良い子達ね。それでは貴女達も疲れているでしょうから、早速本日の議題に入るわよ。途中でメモを取るような無粋なことはしないで頂戴ね?」
トップであるお姉様の言葉に妹達は素直に頷き、居ずまいを正す。
「近頃のクロエ様の頑張りは素晴らしく、お姿の方もそれに伴いますます磨きがかけられました。これは美容班として非常に喜ばしいことだわ。でもクロエ様はまだこのまま成長を留めてしまうには惜しい逸材」
そう彼女がほうっと悩ましげに吐息をつけば、美容班謹製のアロマキャンドルの明かりがゆらりと揺れた。
「「「お姉様の仰る通りです。わたくし達も常々、クロエ様はまだまだ高みを目指せる方だと思っておりました」」」
可愛い妹達からの賛同の言葉に、彼女は世の男性達が見れば卒倒してしまいそうな色香を漂わせて「そうよね」と笑みを深める。
彼女達の主は本来レッドマイネ家の至宝と呼ばれる少女であるが、いま彼女達が話題にしているのはその少女の取り巻きの子爵令嬢であった。
以前までは自身の容姿に劣等感を抱いていたその子爵令嬢は、現在彼女達の手によって生まれ変わりつつある。
「クロエ様には明日から腕の筋肉と腹筋を重点的にイジメ抜いて頂きましょう。必ずやソフィア様を長年支え続けて下さった彼女の美しさを、社交界のご令嬢もどき達に知らしめてやるわ」
そう口にして微笑む彼女と妹達の紅い唇が、揺らめくアロマキャンドルの火に妖しく照らし出された。しかしその中で一人の【妹】が姿勢良く挙手したことで、その場の視線が一気に彼女に注がれる。
無言のまま【お姉様】が唇を笑みの形に持ち上げて促すと、まだこの精鋭部隊に加わったばかりの初々しい彼女は、頬を上気させて「夕方サンダース様から明日の午後に、クロエ様が遊びに来られるとの情報を入手しました」と発言した。
だがその一言で、それまで和やかだった室内に緊張が走る。
「――そう、それは喜ばしい情報ね。ですがそれに伴い、明日の朝は厨房への“検閲”が必要になりました。奴等は必ずクロエ様のお菓子に一服盛るでしょう。皆さん、くれぐれも手心を加えないように心がけなさい」
「「「レッドマイネ美容班の誇りにかけて!!!」」」
――かくしてここに、美容班と料理人達の仕事の誇りをかけた戦いが幕を開けたのだった。
***
――そして翌日。
昨夜の誓い通り、レッドマイネ家の厨房は検閲の嵐に包まれた。
「ま、待ってくれ、このクッキー生地には絶対にバターが必要なんだ!」
「この量は看過できません。バターは大さじ一杯までとの協定を忘れたのですか? 作り直しを要請します」
「あー、これは野菜の甘味だぞ? 決して砂糖を入れたりしたわけじゃ――、」
「いいえ、この舌の上に残る甘味はニンジン由来のものでも、お芋由来のものでもありません。色を着けて誤魔化そうとしても騙されませんよ」
「これは……その、クロエ様用じゃなくてオースティン様用の食材ですってば。ほら、栄養化の高い食材を使わないと元気も出ないでしょう、ね?」
「ホイップする前の状態でしたらその言い訳を信じたかもしれませんが、八分立てにされたそれを見逃すわけには参りません。お覚悟を」
続々と検閲に引っかかり差し押さえられていく作りかけのお菓子達を前に、うちひしがれて厨房内で膝をつく料理人達。その様子を片方は美しい微笑みを浮かべ、片方は苦虫を噛み潰したような苦々しい表情を浮かべて見ている対照的な男女。
言わずもがな、美容班のトップと料理人達の筆頭である。
「たったこれくらいの砂糖も見逃せないのか。お前たちの過剰な糖質制限にはほとほと呆れるぜ。オースティン様の奥方になるなら美しさも必要だろうが、あんなに旨そうに召し上がって下さる方はそうはいない。ここまで締め付けられるのはお可哀想だ」
「あら、そんな殊勝なことを言ったところで、貴方達が美味しそうに召し上がるクロエ様の姿を見たさに砂糖を盛ったことは明白。大方クロエ様の生家であるエヴァンズ家の料理人達に対抗してのことでしょう? それにこちらは嫁がれたソフィア様の要請です」
そう代替りしたばかりの三十代後半の料理長と、年齢非公式である美容班のお姉様が睨み合う。だがしかし、実はそんな二人が互いに想い合っていながら、なかなか自ら言い出せない間柄であることを知らない者達はここにはいない。
敵対しながらも惹かれ合う二人……どころではなく、実際はこの場の半数ほどは恋人同士だったりする。相反する水と油の職場でありながら、互いに互いの持っていないものを補い合うのは人の性だ。
「ですが……仕事に誇りを持っているのはどちらも同じ。ですからこちらはわたし達で責任を持って食します。貴女達もそれで構わないわね?」
「「「勿論、異論ありません!!!」」」
「はいはい……そいつはどうも。それじゃあ皆、さっさと小細工なしで美味い菓子を作って、エヴァンズ家の料理人連中の鼻をあかしてやるぞ」
「「「おおお!!!」」」
ついと睨んでいた顔をそらした頬が、ほんのり赤いことなど悟らせまいとするお姉様と、彼女のその言葉に一瞬唇の端をつり上げてしまう料理長。
――レッドマイネ美容班の美しい戦士達にも、いま少しの休息を。




