*21* いざ、最終決戦へ!!《1》
オースティン様の手によって、ソフィア様の婚約破棄の準備が万事整ったと報されてから、今日までの約一ヶ月間は、毎日がまさに怒涛の勢いで過ぎていった。
特に体調が回復して学園に戻った日は、一瞬同級生達どころか学園の教師陣にまで同姓同名の新しい取り巻きだと勘違いされたけれど……ソフィア様に侍ることが出来る存在は私しかいないと自負している。
そもそも人参色というそうお目にかかることのない髪色で、通常のご令嬢達に紛れ込めるほど痩せていなかったというのに、別人だと認識した意味が分からない。
だから遠巻きにこちらを観察する有象無象を相手にするよりも、断然残り少ない日数を少しでも近くに侍ることで、迫ってくる別れの寂しさを紛らわせた。
……なんて、格好良いことが言えたらよかったのだけれど、実際はソフィア様が『わたくしと一緒に採寸したドレスは、今のクロエの体格より一回り小さく仕立ててあるから、この一ヶ月間でドレスのサイズにクロエの身体を合わせますわよ』という恐ろしい提案をされたせいで、どこか彼方に消えてしまったわ。
強化合宿と称してレッドマイネ家に攫われたのは予想外だったけれど、確かに自分の屋敷にいると甘えが出るし、周囲の使用人達や料理人達も甘やかしてくれるから、絶対にまた太る未来しか見えないものね……。
自宅の自室よりも各段に豪華な客室で寝泊まりするのも、最初の一週間は緊張したけれど、その内に夜遅くまでソフィア様とお喋りをしたり、図書室でオースティン様も一緒になって、三人でお勧めの本を回し読みする段に至った辺りで深く考えないことにした。
オースティン様はいつの間にか自室で食事を摂るのをお止めになり、家族で食事を摂る為に食堂へ足を運ぶようになった。煌びやかなレッドマイネ家のその食堂に、恐れ多いながらも私の席まで用意されているのは……まだ慣れないけれど。
レッドマイネ夫妻は私を昔から可愛がって下さったけれど、最近ではご自分達の三人目の子供のように可愛がって下さるものだから、こちらもつい急に話しかけられると、家族に対しての返事をしそうになって慌てることもしばしばだわ。
とはいえ強化合宿には違いないので、揉みしだかれるだけだった毎日に軽いとは言えない筋トレも加わって、そこに甘いものを始めとする嗜好品の類を求めてはいけないというのは、精神的にキツい。
けれどそれを涼しい顔でこなしているソフィア様が隣にいるのでは、もう文句など言っていられるはずがないのだ。
さらにレッドマイネ家美容班の人達も、代わる代わる身体に負荷がかかりにくい鍛え方を指導をしてくれ、汗を流すことでより一層個々の繋がりも堅固なものになっていった。お陰で私も体育会系のノリに引くことも以前よりかは減ったわね。
そうこうするうちに動けない子豚が動けるやや太り気味なアナグマに進化し、やや太り気味の動けるアナグマから……とそうそう上手くいかずに、精々多少は素早く動けるやや引き締まったアナグマになった程度。
がっかりする私に向かって、レッドマイネ美容班の人達は『クロエ様のふくよかなお身体は、本来の女性的な美しさをお持ちです。絵画で描かれる女神像はみなクロエ様のようでございましょう?』と言ってくれた。仮令お世辞であろうとも、それでやる気が保たれるなら受け取っておかないと!
おだてられるアナグマになった私が毎日学園から戻って、美容班の人達に作ってもらった筋トレメニューをこなしている姿に感化されたのか、オースティン様も仕事を終えてもまだ体調の良い日は、一緒にゆっくりと筋肉を使う系の筋トレをされるようになった。
これにはレッドマイネ家の人達も大喜びで『あの生きることに無気力だった若様が……クロエ様のお陰です!』と言ってくれたけど、オースティン様は責任感がお強い方だから、ソフィア様がお嫁に行く前に身体を鍛えようと思っただけだと推測される。けれどあのサンダースさんに泣かれたとあっては、そんなことを口になんて出来ないもの。
一日一日と日を追うごとに、私の分厚いお肉が少しずつだけど引き締まり、ソフィア様は美しさに拍車をかけ、オースティン様がベッドに戻られるのは夜眠る時だけになった。バルクホルン様はオースティン様を“兄上”と呼んでも顔をしかめられることがなくなったことで、前よりもグイグイ距離を詰めている。
何でも実家のお兄様達とは疎遠で、あまり“兄”という人種と関わった経験がないから嬉しいそうだ。確かにオースティン様は割と年下を甘やかす傾向にあるのか、私の弟も一度会っただけなのに懐いていたから、そういう年下が好む雰囲気があるのかもしれない。
何もかも全てが、レッドマイネ家の兄妹にとって良い方向へ進みつつある。恩人である二人が幸せそうだと、私も嬉しい。
だからだろうか、段々と自分の出荷が近付いてきているとあっても、心は穏やかになりつつある。取り巻きとして、主人の幸せをこの目に焼き付ける瞬間に立ち会える名誉に勝るものなど何もない。
そんなことを考えながら指折り舞踏会までの時間を数えて日々を過ごし、ついに舞踏会を翌日に控えた日の朝――。
レッドマイネ家の方々と朝食をご一緒する為に、ソフィア様とオースティン様と食堂に向かおうとしていたら、穏やかな微笑みを浮かべたサンダースさんに「ご実家からお手紙が届いておりますよ」と声をかけられた。
その場では「あら、弟からですわ。甘えっ子で困りますわね」と笑って受け取ったけれど、朝食を終えてあてがわれた部屋に戻ってから開封した手紙には“明日の舞踏会の会場で、お相手の方がお前を迎えに行くという言付けを受け取った。無礼のないように楽しんでおいで”としたためてあって。
「ああ、これで――……私の夢も、醒めるのね」
ぽつりと呟いた言葉は酷く物悲しいような、それでいて、勘違いの終わりには優しすぎるような不思議な余韻を残した――と、いうようなこともさほどなく。
前夜は満足感というか、達成感に包まれたまますっきり眠って、万全の状態で迎えた本戦当日。空は完璧な夢の終わりにふさわしいお天気だった。
***
『『『ドレス良し、お化粧良し、御髪良し、爪先、後れ毛、全体のバランス共に全て良し! これにてレッドマイネ美容班による舞踏会の準備が整いました!! お嬢様方、御武運を!!!』』』
今日は卒業舞踏会ということで、朝からメイド服を着たレッドマイネ家美容班の人達にみっちり磨きをかけてもらい、ようやく満足のいく出来映え点をもらった。その作業時間はお昼から六時間にも及んだ。
おまけに私がレッドマイネ家で過ごす最後の日とあって、美容班の人達は勿論のこと、サンダースさんや他の使用人達からも握手を求められての退場となり、舞踏会の会場に着く前からクライマックス感を味わってしまった。
けれどその甲斐もあってか、開始時間の十分前に会場に到着してからは、美の化身たるソフィア様の存在に出席者達が圧倒されている姿が見られて大満足だわ。
「ああ……流石はソフィア様。その豪華なドレスに少しも見劣りしないどころか、最早皮膚の一部のようです。要するにとてもお似合いですわ! 私はこんなに美しいソフィア様に侍ることが出来て幸せです!!」
そうもう何度目になるか数えていない賛辞を送る私を見て、苦笑するお姿すら神々しくてせっかく開いた目が潰れそう。感無量過ぎて周囲からの視線も気にならない。
今夜のソフィア様のドレスは上半身が紺に近い暗い青で、下にいくにつれて段々とそのサファイア色の瞳に近い鮮やかな青へと変化していく。
鎖骨と肩を僅かに覗かせた程度の露出が少ないドレスは、慎ましやかなソフィア様の気品をさらに引き立て、細い腰には白色のビーズで華の意匠を編みこんだ細い黒ベルトを締めてアクセントにしてある。
胸元を飾るのは派手になりすぎず、かといって地味さとは無縁のダイヤが輝くレース編みのように華奢な首飾り。緩く編まれたハニーブロンドには、青い薔薇のコサージュが飾られて……まるで物語に登場する妖精の女王様のようだわ。
「ありがとうクロエ。だけど……わたくしのことは良いのよ。問題はあなたのことですわ。本当にお相手との待ち合わせの時間は書いてなかったの?」
けれど妖精の女王様は深紅になぞられた唇を開いて、見惚れる私を急に現実に引き戻した。
「ええ。両親からの手紙には、お相手の方が迎えに来て下さるとしか書いておりませんでした。初めてお顔を合わせる方ですし、向こうも私の姿が送った絵と違いますもの。いくら髪色が特徴的でも、この人数の中からだと見つけられないのかもしれませんね」
さして興味がないからこちらから探すつもりもない、ということは隠してサラッとそう言うと、長年一緒に過ごしたソフィア様には、私が口にしていない部分まで伝わってしまったのか「仕方のないアナグマちゃんね」と苦笑する。
「それなら先にお兄様達と合流しましょうか。お仕事が一段落したらこちらに向かうと言っておられましたし、そろそろ会場内にいると思うの。それと、いい加減に諦めてそのコートをクロークに預けないと目立っているわ」
今夜は卒業する学生と、その婚約者達。あとは貴族の子女達の最初のダンスをエスコートをする兄弟や父親が呼ばれているので、オースティン様もいらっしゃることになっている。
しかし肝心のオースティン様と、もうすぐ義弟になるバルクホルン様は、何やら仕事と称して悪巧みでもしているのか、ご一緒に会場入りをなさらなかったのだ。なので私がこうしてソフィア様の楯となって、会場内の狼達からお守りしている。
そして当然ながら、私もドレスアップはしてもらっていた。レッドマイネ家美容班が腕によりをかけてくれたので、今夜ここで出荷相手と初顔合わせ出来ることが誇らしいくらいだ。とはいえ――……だ。
「ええ、まぁ……そうですねぇ。ですがご用意して頂いたこのドレスだけだと綺麗ですのに、着ているのが私という時点でかなり周囲からの評価が下がりそうで。職人に申し訳ないですもの」
彼女達の腕と褒め言葉を疑いたくはないけれど、それでもやっぱり自信がない。子豚からアナグマになったところで、今夜のドレスに見劣りするのは間違いないだろう。
そのせいで、いつまでもドレスの上に羽織ったコートをクロークに預けることが出来ずにグズグズしているのだ。現状ではすでに袖だけは抜いてあるのだけれど、肩から羽織って悪足掻きをしている。
聞き分けのない私を相手に困った表情を浮かべていたソフィア様が、不意に私の背後を見てパッとそのお顔を輝かせた。そんな顔を彼女がする相手はすぐに想像がつく。しかし私が背後を振り返るよりも早く、肩から羽織ったコートがやんわりと取り上げられた。
「……まだ心の準備が出来ていないのに不意打ちとは卑怯ですわ。コートをお返し下さい」
けれどそう腕を伸ばして奪われたコートを取り返そうとした私に向かい、コートを取り上げた相手は目を細めて「心の準備など必要ないだろう」と口にしてから、付け足すように「綺麗だ」と。
――今夜でさよならしなければならない、初恋の人がふわりと笑った。
あと二話(エピローグ含む)だけお付き合い下さい(*´ω`*)




