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◆悪役令嬢最後の取り巻きは、彼女の為に忠義を貫く!◆  作者: ナユタ


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*18* 健康だけが自慢だったのよ。



 水を張ったボウルの中で泳がせていた布を洗う指先の冷たさに、ふとこの手を拭って額に当てれば良いのではないかと気付いて、堅く目蓋を閉ざしたまま、苦しげな呼吸を繰り返すオースティン様の額に乗せる。


 すると思った通り、冷え切った私の掌を、熱すぎるオースティン様の額が温めてくれた。それに私の掌も、布と違って温むまで時間がかかる。掌が温めば、手の甲を当ててしばらくじっとその寝顔を見つめた。


 男性なのに閉ざされた目蓋を縁取る長すぎる睫毛は羨ましいし、肌だって私よりもずっと色白でキメが細かい。流石に社交界で妹君であるソフィア様と揃って、レッドマイネの宝石と讃えられるだけあるわ。


 けれどこんなに熱が高くても少しも赤くならない真っ白な肌が、いつか熱すら失うのではないかと思うと怖くて仕方がなかった――……とはならなかった。最近私が落ち込んでいると、それを見越したように廊下から響いてくる“トトトトッ”という軽やかな足音。


 その小さな来訪者を待ち構えようと姿勢を正した次の瞬間、勢いよく客室のドアが開いて「姉様!!」と背後から飛びついてくる弟に苦笑する。


 飛びつかれた勢いでベッドについていた手からマットに振動が伝わってしまい、オースティン様の閉ざされていた目蓋がピクリと震えた。どうせ夜にはまた熱にうなされてろくな睡眠を取れないだろう。


 だから首筋にまとわりつく弟に「お兄ちゃんが寝てるから静かにね?」と注意していたら、眠れる森の美男が目蓋を持ち上げ、熱でまだぼんやりとしているらしい声で「……クロエ?」と私の名を呼んだ。


 美形とは得なもので、胃液で焼けた喉から出る掠れた声も、痛ましいと同時にどこか色気を含んで聞こえる。本人に言ったら絶対に怒るだろうから言わないけれど、今のオースティン様は色々と危険すぎた。無駄にフェロモンを振りまかないで欲しいわ。


「はい、そうですよ。それはそうと……おはようございますオースティン様。丸々三日お休みになっていた気分は如何ですか?」


 やや非難めいた私の言葉に、一瞬何を言われているのか理解出来なかったらしいオースティン様が「え?」と掠れた声を上げる。


 それも無理からぬ反応だとは思うけれど、それはこの三日間ひたすら熱の変動に一喜一憂した身からすれば、暢気とすら受け取れるもので。安心したと同時にこちらの不満が噴き出すのは、許されるべき当然の権利だと思う。


「憶えていないとは思いますけれど、三日前に市場で会った後に体調を崩されたので、当家にて休養して行かれてはどうかと提案したのです。ただ、馬車の中で意識を失われましたから、当家に入ってきた記憶がないとは思います。それでレッドマイネ家に連絡をいれたのですが“今は取り込み中だから少しだけそっちで面倒を見てほしい”との要請を受けて、本日までお預かりさせて頂きましたわ」


 とはいえオースティン様が眠っている間、張り付いて看病したのは私の勝手だから、霜焼けになった見苦しい手が病み上がりの目につかないように、咄嗟にエプロンの下に潜り込ませる。


 しかし起き抜けに“三日間寝ていましたよ”と言われたら、誰だって混乱するだろう。現に目の前で困惑気味に「他家で三日もこんな醜態を……?」と呟いているオースティン様を見てしまうと、これ以上苛めるのも気が引ける。


「まぁ、無事に起きて下さいましたからもう良いですわ。エドワード、姉様はお医者様を呼んでレッドマイネ家に連絡を入れてくるから、その間オースティン様のお相手をお願いしても良いかしら?」


「え、姉様、行っちゃうの……?」


「大丈夫よ、すぐに戻るわ。お前はエヴァンズ家自慢の賢い跡取りなのだから、お客様のお相手くらい一人でちゃんと出来るわよね?」


 幼くても男の子だもの。自尊心をくすぐるようにそう訊ねれば、弟は「うん!」と嬉しそうに返事をした。むしろそんな弟よりも「待て、別にもう目が覚めたのだから、医者は呼ばなくてもいい。それよりもここにいろ」と言い出すオースティン様の方が問題だわ……。


「オースティン様……何を聞き分けのないことを仰っているのですか? 三日も目を覚まさなかったのに、お医者様に体調の経過を視てもらわないでいいわけがないでしょう」


 私がピシャリと厳しめの声を出せば、何故か隣で怒られているわけではない弟までシュンとしている。


 思わず「お前を怒ったわけではないのよ?」と柔らかい赤褐色の髪を梳くと、何を思ったのか、急にキッと視線を上げて「ボクがしっかりおあいてするよ」と心も新たに頼もしい返事をしてくれた。


 そんな弟を最大限に持ち上げつつ、まだ何か言いたそうにしていたオースティン様をサクッと無視して客室を後にした私は、廊下の角を曲がって誰もいないことを確認した瞬間、壁に背中を預けたままズルズルとその場にへたり込んで顔を覆う。


「今回も、ちゃんと、目が覚めて、良かった……」


 せり上がってくる嗚咽を殺して呟いた言葉は誰に聞かれることもなく、分厚くあかぎれた掌に染み込んで、ピリピリと痛んだ。


 その後お肉が揺れるくらい自分の頬を打って渇を入れ、真っ先にお母様とお父様にオースティン様が目を覚ましたことを告げようと思ったら――……何と、我が両親は主賓と言っても過言でない伯爵家の子息を置いて、五分ほど前に出かけたと執事に言われてしまった。


 どこに出かけたのかは彼にも分からない……と、言うよりも口止めされているらしく、どれだけ訊ねても口を割らない。


 そこで私は仕方なく言及を止めて、レッドマイネ家に馬車を出し、オースティン様の主治医とソフィア様をお連れするように頼んでから、何か消化に良い食べ物と喉を潤せそうなものをもらいに厨房へと向かった。


 私が入口から顔を覗かせると、ちょうど夕食の準備に取りかかってくれていた料理人達が一斉に手を止めて「お嬢様、何か召し上がられますか?」「ああ、そんなにやつれて……甘い物が良いですかね」「それとも塩気のあるもんの方が良いッスか?」と話しかけてくれる。


 その問いかけに「お客様が目を覚まされたので、消化に良い食事と喉を潤せそうなものが欲しいのだけど」と注文していたら、奥からあの日市場で迷惑をかけてしまったジェフリーズがやってきた。


 オースティン様の状況を心配してくれていた彼に礼を述べてから、簡単な症状の説明をして、食べられそうな物を用意してもらう。両手に抱えきれない量になりそうな気配にワゴンを用意してくれたので、それをありがたく使わせてもらうことにした。


 皆に礼を述べて厨房を出ていこうとする私に、ジェフリーズが「お嬢様、見知った方とはいえ、相手は男だ。ドアは全部閉めないように」と真顔で注意されたので、取りあえず頷いたけれど……世間体を気にしなければならないのは向こうであり、決して不美人の私ではない。


 本人がいないところでとんだ侮辱だと思いながらも、この屋敷で昔から働くジェフリーズにとっては、私は娘のような存在なのだろう。あり得ない心配に「エドワードもいるし、そんな心配はいらないわよ」と笑い飛ばして部屋に戻ったのは、部屋を出てから一時間後のことだった。


 軽くノックをして『どうぞ』と返ってくる声に合わせてドアを開くと、そこには不敬にも格上の方を差し置いてベッドの上で爆睡する我が弟と、そんな弟の頭を撫でながら微笑むオースティン様の姿……。


 ベッドの上には弟がお気に入りにしている冒険譚が数冊散らばっており、彼が思いつくもてなしをした結果がこれなのだと分かる。


「あの、弟がご迷惑をおかけしてしまったようで申し訳ありません」


「いいや? 退屈しているだろうからと、一生懸命気に入りの冒険譚を読み聞かせてくれたのだ。お陰でお前が戻るまで退屈せずに済んで感謝している。それにこうしていると、ソフィアの幼い頃を思い出す」


「そう仰って頂けると助かります。だけど――ふふ、やっぱりそうでしたか。ここにある本はどれだけ私が見せてと頼んでも“これは男の読み物だから。お姫様は読んじゃダメなの”って。こんなに太った姉にもそう言ってくれるのだから、この子にとっては女の子は皆お姫様なのでしょうね。顔も可愛くて口も上手いだなんて……将来有望ですわ」


 ワゴンに載せてきた軽食をサイドテーブルに移していたら、オースティン様が「あながち間違いでもないだろう」と笑って、こちらに優しい眼差しを向けた。弟の話をしている最中だったのだから、あの眼差しは弟に向けられたものなのに、うっかり勘違いしそうになる。


 けれど、罪作りなその発言と眼差しに「ええ、この子さえいてくれれば、我がエヴァンズ家は安泰ですわ」と得意になって答えると、途端にオースティン様の表情が険しくなった。


 そういえば目が覚めたとはいえ、まだ熱も高いのだ。常に高熱なイメージのあるオースティン様にとっては微熱のようなものだから、油断しきっていたわ。


 慌ててワゴンから食事を移す手を止めてベッドに近付き、その額に触れようと手を伸ばしたら急にその手を掴まれて……しまったと思う間もなく「酷い様だな」とあかぎれた掌を評された。


 内心隠し忘れていた自分を罵りながらも、その一言に血の気が失せる。分かり切っていることでも、自分で嗤うのと人に言われるのでは大違いだわ。


 それが彼であれば尚更辛い。けれど思わず口を吐いて出たのは「そうでしょう? どこもかしこも不細工で困ってしまうわ」という明るい声で。自分で吐いた言葉にピリピリと痛むのが掌なのか、心なのかは分からない。


 けれど自分でも知らないうちに、あかぎれた掌と指先を隠そうと強く握り込んでいた手を開かされ、そこにオースティン様が顔を近付けたかと思うと、不意に何か柔らかいものが触れた。


 一瞬目の前で起こっている出来事を放心状態になって見下ろしていたその先で、掌に触れていたものが離れ、次いで熱で潤んだ青に紫を散らした宝石のような瞳が、間の抜けた表情の私を映す。


 そうして、ドアをきっちり閉ざしてしまった密室の中で、オースティン様は熱で脳が溶けたのかと思うような言葉を口にした。


「――だったら俺は、この手が欲しい。持ち主のお前が困っているのなら、お前ごともらい受けたい。だが、都合が良すぎる願いだとは分かっているつもりだ。だからクロエ、もしもお前が……と、おい、クロエ?」



 違う、違う、違う、こんなの嘘よ、絶対に夢だわ。


 だってほら、頭がクラクラ、グルグルするんだもの。


 恥ずかしい夢、浅ましい夢、酷い、酷いわこんな……。


 こんなに素敵な夢なのに、続きが少しも思いつかない。



 瞬間フッと、暗くなった視界のどこかで『クロエ!?』と珍しく取り乱したオースティン様の声を聴いたような気がしたわ。

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