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*15* お姉ちゃんだったわね。



「姉上、姉上、ボクのもあげます!」


 はしゃいだ声でそう言うと、赤褐色の髪をした垂れ目の騎士様は、私のお皿に三つ目のレーズンスコーンを載せてくれる。


「あらまぁ、良いのよ、エドワード? 姉様はちゃんと自分の分があるから、お前はお前でちゃんとおあがりなさい。横にばっかり大きくなる姉様と違って、お前はまだまだ身長が伸びるのだから」


 けれど、きっと喜んでもらえるものだと期待してお皿の上に載せたのだろう。弟は「でも……」と言ってしょんぼりとしてしまった。ああ、これは狡い。我が弟ながら可愛いわ。


 結局「じゃあ、半分こにしましょうか」という折衷案になったのだけれど、弟はそんなことが嬉しいのか「姉上と半分こする!」と満面の笑みを浮かべて私の膝に頭を押し付けた。さながら垂れ目な子猫だわ。


 ここ二週間、私は学園が終わるとその足でレッドマイネ家に向かうことはせずに、屋敷の庭の一角にある温室で弟と二人だけのお茶会を開いている。何故一人でのお茶にせず苦手に感じている弟と一緒なのかというと、一人でいるとどこからともなくお母様がお見合い相手の姿絵を持って現れるからだ。


 そこでこの小さな騎士様に“この間のように守ってくれる?”と要請したところ、快く引き受けて下さった。そんなこんなでこの温室に近付くと、騎士様がビシッと追い返してくれるので助かっている。


 平日だけでなく休日もあちらのお屋敷に姿を現さない私を、ソフィア様とバルクホルン様が訝しんでいるのは分かっていたけれど、二人はそれを口にしない貴族階級の矜持を持っていた。


 私はそれを良いことに学園では常と変わらないように振る舞い、卒業舞踏会までの残された時間を、徐々にレッドマイネ家から距離を置く方向へと持って行くことにしたのだ。


 加えて、このまま可愛い騎士様の不興を買いたくない両親や使用人達のいない聖域で、ひとまず卒業舞踏会までの一ヶ月と三週間を静かにやり過ごそうとも思っている。


 私は二週間前のあの日、オースティン様に“失恋”したのだ。直後は気が動転していて気付かなかったものの、自宅に帰ってからそのことに気付いたものだから、今度は勝手に気まずくなって会いに行けなくなってしまった。


 いつもなら喧嘩をしても、翌日にはケロッとした顔で現れる私が訪れないことを、彼はどう思っているのだろうか……なんていうには、私達は“何でもなさ過ぎ”る。十年も一緒にいて何もなかったのだから、きっと今後も何もない。


 傷付いていないと言えば嘘になる。だけど少し離れて冷静になれば、見た目も家格も何もかもが違いすぎたのだ。いつの間にか私はあれだけ自分に言い聞かせてきたはずの【勘違い状態】になっていた。


 とはいえ、こうして少しも食欲が衰えないから、これが恋であったのかは私にも謎だ。もしかしたら案外長く一緒に過ごしたせいで、そう錯覚をしているだけかもしれない。


 それにしても……今までレッドマイネ家に入り浸りだった私が屋敷にいることが嬉しいのか、もう五歳になるのに甘えたな弟に苦笑してしまう。勝手に自分とは似ても似つかない可愛い弟に苦手意識を持ち、それから目を逸らすようにレッドマイネ家に入り浸って……我ながら姉失格だわ。


 これからはあのソフィア様とオースティン様だけでなく、地味に私よりも家格が高かったバルクホルン様とも疎遠になる。


「寂しいけれど……仕方のないことよね」


 ポツリと思いも寄らないタイミングで口から零れ落ちた言葉に、膝に頭を押し付けていた弟が顔を上げた。ジッとこちらを見つめてくる子供の瞳は、何もかも見透かしてしまうような気がして居心地が悪い。


 その居心地の悪さを悟られないように、なるべく穏やかな口調で「このスコーン、美味しいからすぐに食べきってしまうわね?」と笑えば、弟は得意気に「大丈夫だよ! 全部食べちゃったらボクがまたくすねて来てあげるから」と口にした。


 可愛らしい弟の口から突然飛び出した下町の言葉に驚いて「くすねて……って、エドワード、どこでそんな乱暴な言葉を覚えたの?」と声をかけると、彼は“しまった!”という表情を浮かべる。


 いかにも子供らしい口の軽さに苦笑しつつ、そこが可愛らしいと感じるほどには、この二週間で弟への苦手意識は薄れていた。無条件に甘えてくる生き物を嫌うのは、存外難しいものなのだ。


「ねぇ、私の頼もしい騎士様は、どこでそんな男らしい言葉を覚えてきたのかしら? お父様にもお母様にも言わないから、姉様にだけ教えて頂戴?」

 

 前髪を掬い上げるように額を撫でると、弟は「姉上、怒らない? 本当に父様達にはナイショにしてくれる?」と縋るような声を出した。


 将来的に領地を引き継ぐ跡取りである弟は、こう見えて私よりも小さい頃から勉強三昧で、五歳の割に同年代の貴族階級の子達に比べて幼いところがあるのも、この子なりのストレスを感じているという信号なのかも知れない。


 そんなことに気付いてやれたのは、ここ二週間でのことで。私はソフィア様の取り巻きであるのと同時に、この子の姉であったのだと思い出した。


「悪いことをしていないのなら怒らないわ。可愛い弟が心配なだけよ」


 以前なら白々しいと感じたかもしれない台詞は、今では素直に心に馴染んで。お日様の香りがする弟を膝に抱き上げて柔らかい頬に頬擦りすると、弟は嬉しそうに首に腕を回して抱きついてきた。これは絶対将来モテるわ。


 あれだけオースティン様に啖呵を切っておきながら、爵位狙いの男性と結婚などして、将来弟の邪魔になってしまっては困る。子爵位程度でも男爵位の方々からすれば、充分な魅力として切れるカードだもの。


 そしてこの見た目の私を妻にしてまで権力の階段を登ろうとする男性など、絶対に一族に入れてはならない。後々火種にしかなりっこないと最初から分かっている敵などお断りだわ。


 しばらくは溝のあった姉弟間を埋めるように、ギュウ~っと頬を寄せ合っていたけれど、弟は満足したのかご機嫌な表情で「ボクの秘密、姉上には教えてあげる。こっちだよ!」と膝を飛び降りて秘密の場所へと案内してくれたのだけれど……。


 子供の企て程度だとどこかで高をくくっていた私の思いが裏切られて、斜め上な弟の息抜き方法と意外な協力者に感心したのだ。



***



「どうですお嬢様、この市場は活気があるでしょう。お屋敷で使ってる食材の一部は、ここいらの店から買うんですよ」


 そう言いながら豪快な笑みを見せるのは、いつもの仕事着に身を包んでいない我が屋敷の料理長だ。ジェフリーズは料理人とは思えない太腕と厳つい顔立ちをしているけれど、とても美味しいお菓子を作ってくれる。


「ええ、本当に……市場って初めて来たけれど、とっても賑やかなのね。いつもは学園とレッドマイネのお屋敷の他には、お茶会くらいしか出かけないから、何だか新鮮な気分だわ」


 素直に感動してそう返事をすれば、ジェフリーズは「そうでしょうとも。坊ちゃんとお嬢様は真面目ですからな。たまには息抜きをしませんと」と破顔する。そうすると厳つい顔が優しげになった。


 前日に弟が案内してくれた息抜きの場所。それはエヴァンズ家の厨房で、もっと詳しく言うならば、そこにいる料理人達の長に連れて行ってもらう外界だった。弟は今までもジェフリーズの親戚の子として、ちょくちょく屋敷を抜け出していたらしい。


 冬の気配が濃厚に漂う気温と、それに負けない市場の活気に久々に胸が躍る。飛び交う商店主達の口上の中には、弟が使っていたような荒々しいものもあって、私は思わず笑ってしまう。



『本当はボクも姉上と一緒に行きたいけど、温室が空っぽだと駄目だもんね。ボクが皆を追い払うから姉上はいっぱい遊んできて』



 今から一時間前、そう言って私を送り出してくれた弟に感謝しながら、人々の行き交う市場を眺めて、私は物珍しい品物の数々に興味を引かれっぱなしだった。まだ幼いと思っていた弟は、私よりも先に下町の活気に触れたのかと思うと、彼の方が私よりも世間を知っているのかもしれない。


 焼き菓子に使うナッツ類やドライフルーツを仕入れる予定でついてきたので、それを買い終わった後は抜け出したことがバレない間に屋敷に戻る予定だったのだけれど、メモにあったものを全て買い終えたと思っていたら、一つだけ買い忘れが発覚した。


 ジェフリーズは「まぁ、一個だけですし、明日にでも買いに来ますよ」と言ってくれたのだけれど、その商品は弟の好物であるレーズン。


 少し悩んだもののジェフリーズに「ついて行っても邪魔でしょうし、私はあそこで待っているから、買ってきてもらっても良いかしら?」と頼んだ。彼の戻りを待つ間、市場の少し外れにあるベンチに座って、眺めるともなしに通りを行き交う人を見つめていたら視界の端で何やら揉めている二人組を見つけた。


 それは別段珍しくもないような、若い恋人同士の逢い引き風景。しかしよくよく見てみるとどちらの顔も見知っているように思えて、もっと近付いて確認しようと立ち上がりかけた私の肩を、いきなり背後から誰かが強く掴んで引っ張った。


 あまりに驚きすぎて悲鳴を上げる間もなく振り返ると、そこには「おいおい、子爵令嬢ともあろう方が、こんなところでお供もつけないで何やってるんだ?」と、飄々と語りかけてくるバルクホルン様……が、後ろで。その手前で私の肩を指が食い込むくらい強く掴んでいたのは――……。


「ご、ご機嫌よう、オースティン様?」


 上擦った声で久し振りにその名を呼んだお相手は、苛立ちを隠そうともしない。私の初恋で、初失恋のお相手でもあるオースティン様その人だった。


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