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幕間◆ 不思議な関係性。

今回はバルクホルン視点です(´ω`*)



 可もなく、かといって不可もない留学からもあと数ヶ月で解放される。


 そうして国に帰ってからも下手な野心を抱かず無難に生きれば、ここでの生活と同じように過ごすだけの平坦な人生が待っている。それは実質、この学園を卒業したところで何の刺激も感慨もない日々が続くということだ。


 そのことに腐らないわけでもなかったが、兄上達はいずれもオレより優秀で、彼等の下に礎として膝をつくことには何の不満もない。それに何をしたところで五男のオレでは評価もされない。


 何とも馬鹿馬鹿しいが、オレのような立場の奴はこの学園内に他にもいるし、それがルールの世界で育った人間にしてみれば何らおかしなことでもなかった。


 そんな生活の中で初めてソフィア・リディアローズ・レッドマイネの存在を知ったのは、残された仮初めの自由に浸りながら、昼休みに庭園の樹上で居眠りをしていた時だ。


 最初は和やかそうな雰囲気で話しかける声が聞こえ、けれどすぐに始まった華やかで陰湿な女同士の戦いに、昼寝をする場所を誤ったと辟易した。


 ――しかし。


『ふふ、クロエ、今日は先客の猫がたくさんいるようだから、集会の場所として譲って差し上げましょう? わたくし達人間にはカフェテリアが開放されていますもの。あちらの方が快適だわ』


 一際香り立つような華やかで、容赦のない一撃を繰り出して場を制した声。その声につられるように樹上からそっと見下ろした先には、日の光を浴びて輝く金髪をなびかせた一人の女生徒と、隣でその女生徒を庇うように前に立つ人参色の髪をした丸い女生徒だった。


 金髪の女生徒を一目見た印象は、美しいが可愛げのない、恐ろしく気の強い女だった。なんて高慢ちきでいけ好かない女だと。オレの国では、女は従順で口答えをしないことが美徳とされている。悲しいかな、生まれた時からずっとそう教育されてきたオレも、最初はその因習じみた考えから逃れることは出来なかった。


 言葉の戦いはそれで終わったのか、背中を向けて歩き出した金髪の女生徒の隣で、人参色の髪をした女生徒が『本っ当に! 不愉快な方々ですわ』と憤る姿に気を取られつつも、思わず『おっかねぇ……』という言葉が口をついて出た瞬間、金髪の女生徒がピタリと動きを止めた。


 ただ、その場で振り返ることはせずに、背筋をピンと伸ばしたまま立ち去る後ろ姿だけがやけに印象的で。


 その後、樹上でぼんやりと彼女達が去った方向を見つめていたオレの耳に、下から『あの感じの悪さを見まして? 本当に、ジェームズ様がシャーロット様に心惹かれた理由が分かりますわ。ねぇ、皆さん?』という声に同調する複数の女生徒の声が聞こえて。


 どうやら“シャーロット様”が現れたお陰で、さっき立ち去った金髪の女生徒は“ジェームズ様”を失ったらしいということが分かる。けれど妙な話でオレの目には、恋人を失っていながら、立ち去った彼女の方がずっと勝者の風格があると思えた。


 ――始まりは、そんな風に。


 それから徐々に学園内で彼女と、隣をコロコロとついて回る取り巻きの姿が目に入るようになった。普段は気にもしないような噂に聞き耳を立て、彼女の身に起こった出来事を探るうちに分かったのは、彼女の置かれた不安定な立場だ。


 この国の有力貴族に名を連ねる伯爵家でありながら、兄である長男は聡明だが身体が弱く、家督を継げるかも怪しい有様で。婚約関係にあった侯爵家の息子は、最近現れた二学年下の男爵令嬢に入れあげている。


 今まですり寄って来ていた取り巻き連中は、女の身では爵位を継げないと掌を返して離れていき、残ったのはあの丸っこい子爵令嬢ただ一人だ。


 そして最後に残った取り巻きの前ではそのキツい目許が緩んで、近寄りがたい雰囲気が薄くなる。


 時折声を上げて笑ったりするのを聞くたびに、あの声と表情を間近で見る権利を放棄した“ジェームズ様”を馬鹿な男だと思った。そしてそれと同時に、考え方としては最低だという自覚があったものの、こう思ったのも確かだ。


 “ならば傷心中の彼女に正式に婚約を申し込んで、彼女がそれに頷けば。そしてその有益さを彼女の家族に理解してもらえれば……この留学が終わる時に、彼女を母国に連れて帰れるのではないか?”と。


 驚いたことに、オレはいつの間にかそんなことを考えるほど、彼女に惚れていたのだった。


 

***

 


 ズンズンと会場内を無言で突っ切る背中に「なぁ、ソフィア嬢。ちょっと訊きたいことがあるんだが、構わないか?」と声をかければ、前を歩いていた彼女は少しだけ速度を落として「訊くのは構いませんが、答えるかは内容によりますわ」と答える。


 そのピンと延びた背中を見ながら、クロエ嬢の企みに気付き、今夜ベルナドール家の夜会に滑り込めたのは本当に運が良かったと思う。家族を頼ったのはこれが初めてだったものの、まさか五男の要請を聞いてくれるとは思っていなかったせいで、多少驚きもあった。


「それで構わない。むしろ訊いてもないことをペラペラ喋る調子の良い奴よりも、ずっと信頼に値する」


 彼女の反応を探りながらそう言葉を紡げば、その問いかけで正解だったのか、彼女は立ち止まるとこちらを振り向いた。柔らかそうな金の髪がふわりと揺れて、青い宝石のような勝ち気な瞳は、こちらの出方を探るように見上げてくる。


 いつもは優秀な壁がいるせいで、ここまで至近距離で彼女の顔を見たことはなかったから、柄にもなく見惚れそうになった。


「あら、奇遇ですわね。わたくしもその見解には同意しますわよ。それで、訊きたいこととは何かしら?」


「大したことじゃないんだがな、貴女の兄上とあの子豚の関係性だ。貴女と彼女は主従関係に見えるんだが、さっき見た感じだと兄上とはそうではないんだろう? あれはどういう関係なのかと興味があってね」


 小鳥が囀るような声で急かされたオレは、言葉を取り繕うことを忘れて修正する前の内容を口にしていた。すると案の定、この訊き方は彼女のお気に召さなかったのか「意外ね。あなたもそういった下らない噂が好きな方なのかしら?」と目を眇めて会話への興味をなくしかける。


 ここで会話が終われば、彼女は真面目に婚約者候補を探しに行くだろう。家と、兄と、あの取り巻きの為に。流石に真剣に婚約を申し込みたいオレからすれば、それは勘弁願いたい。


「あー……違う違う。この質問は惚れた女性の家族関係をしっかり調べて、万全を期したいだけの臆病者の言葉だ。答えたくないなら答えなくてもいい」


 今度は内心慌てたせいでさらに取り繕うことのない本音が出たが、彼女はそのことには大した反応を見せず「そう」と呟く。出来ればこの会話にこそ反応してくれと言いたい。


「わたくしが婚約破棄をされそうだからといって、そのように下手な気遣いはいりませんわ。けれど、そうね。馬鹿げた噂話ではないのに、そんな風にクロエやお兄様のことを気にしてくれた方は初めてだから、答えて差し上げてもよろしくてよ」


 そう言って、直前まで眇められていた目が笑みの形を作った時にようやく本当の意味で気付いた。あの茶会で声をかけた時は、ソフィア嬢がオレを体よく追い払う為に適当に口にしたのだと思ったあの言葉が、真実であったのだということに。


 そして本当の意味でのライバルが、ソフィア嬢を袖にした婚約者でもなければ、他の婚約者候補として名前が挙がるかもしれない連中でもなく、あの子豚令嬢と先程握手を交わした彼女の兄上であるということも。


「わたくしは彼女の主人ではなくて親友になりたいの。そうしてあわよくば彼女を家族に加えたいのよ。彼女がいたら、お兄様は何があっても生き続ける。そうなればレッドマイネ家は安泰だわ」


 その言葉が本気なのは、青い宝石のような瞳に宿る光の強さで分かる。さっき一瞬会って言葉を交わしただけのオレでも、ソフィア嬢が盲信している彼が裏打ちされた能力を持っている人物だと思わせた。


 ――足りないのは、握り返された握力からも分かる気力。


 それさえ補うことが出来れば、確かに彼は将来有能な当主になるだろう。


「……学園の卒業は、何もわたくしだけの時間切れではないわ。子爵令嬢である彼女にしてもそうよ。だから本当のところ、今は自分の婚約者候補探しなんて面倒なことは止めたいのですわ」


 貴族階級で娘に生まれるということは、そういうことだ。


 卒業してしまえば彼女達もまた、男とは違う戦い方をしなければならないということ。


 分かっているのに逃れられないことを【運命】と呼ぶことは嫌いな性分だ。しかし強気に見上げてきていた彼女にしてみても、その言葉から逃れきることは出来ないのか、視線が下がり、金色の睫毛がその青い瞳を隠してしまう。だったら――。


「オレで手を打てば良い」


「だから、今の話を聞いていまして? わたくしは――、」


「そうすれば、貴女は婚約者候補探しなんて面倒なことに貴重な時間を割かれることもなくなる」


「ちょ、ちょっと、考えを纏めたいのでお待ちになって――、」


「全てが終わってから婚約を解消したくなれば、それで構わない。心を繋ぎ止められないと分かれば納得出来る。だがそれでも、卒業舞踏会で貴女に婚約を申し込む機会を与えて欲しい」


 無茶な言葉を重ねているという自覚はあった。けれど断られる隙を与えないように、彼女の言葉を全て潰して奪っても、欲しい答えがあった。こんなに必死になったことは初めてのことだが、恥はない。


 ただその返事を聞き出す直前に件の子豚令嬢が駆けてきて、あの茶会で起こった出来事を繰り返す彼女の兄によってお預けを食らった時は、流石に二人で顔を見合わせて苦笑するしかなかった。

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