*12* 内緒話とメモ用紙。
「二人共、つい先ほど仕事で付き合いのあるベルナドール家から、近々夜会を開くという招待状が届いたぞ。俺は当日の体調次第だが、二人に特に予定がなければ出席の返事を出しても構わないかい?」
学園の休日にレッドマイネ家でのんびりと三人一緒にお茶を楽しんでいたら、ふとそんな風にオースティン様が切り出した。私とソフィア様はお喋りをしながらカボチャのタルトを食べる手を止めて、ベッドの上で招待状をひらひらとさせるオースティン様に視線を移動させる。
「ベルナドールと言えばそこそこの家柄ですし、婚約者候補探しには持って来いなので出席は是非したいですけど、そこは“当日一緒に行こう”でよろしかったのではないですか?」
「ええ、体調云々の下りはクロエの言う通り必要ありませんわお兄様。当日はこの三人で出席しましょう」
そこそこの家柄などと言ってはみたけれど、それは私とオースティン様で事前に打ち合わせておいた台詞の一つだ。この招待状も夜会も全部とまではいかないけれど、本来オースティン様しか呼ばれていない席であるのに、今回は無理に頼んで、私とソフィア様の二人を呼んでもらえるように手配したのだから。
ベルナドール家は商売ごとにとても熱心な子爵家で、いつも次に流行しそうなものをいち早く嗅ぎつける商才がある。
けれどそれは貴族間ではお金にがめつく品がないと言われ、軽んじられている部分のあるベルナドール家を、レッドマイネ家は高く評価し、出資もしていた。それというのもオースティン様の使っている薬の何割かが、ベルナドール家が他国や他大陸から入手してきたものだからだ。
さらに持ちつ持たれつの協力関係にあるベルナドール家は、都合の良いことに品格と歴史を重んじるヘレフォード家とは犬猿の仲で、今回のジェームズ様の心変わりに関しても相当こちらに同情的である。
要するに当日は、かなり優秀な人材をソフィア様の婚約者候補として集めてくれているということだ。おまけにベルナドール家は商売を生業にするだけあって、夜会などに招く身許確認がかなり厳しい。これで学園内では邪魔ばかりしてくるバルクホルン様も弾くことが出来る。
何もバルクホルン様ではいけないということではなく、公平性を期してのことだ。現状だと彼の独占状態で選ぶどころの話ではない。次こそソフィア様には素敵な男性を見つけてもらうのだから。
最終的に、どうしても、バルクホルン様しかいないならまだしも、最初から邪魔をされて候補者がいないのではどうにもならない。これは忖度ではなく、必要な手段だ。レッドマイネ家の至宝を預ける男性は、知性と、資産と、地位が最低でもヘレフォード家よりも高くなければ。
特別あの方とあの方のお家を相手取って、ソフィア様を裏切った恨みを晴らしたいわけではない。けれど衆目に晒された上で《婚約破棄からの真実の愛劇場》を見せられるのだけは、断固拒否したいのだ。
私がジッとオースティン様に視線で訴えかけていると、それに気付いて下さったオースティン様が僅かにこちらに頷いた。
「では、当日は三人で出席すると返事を出しておこう。ああ、それとソフィア、すまないんだが紅茶のお代わりを頼んでも良いかい?」
けれどそう微笑むオースティン様に向かってソフィア様は「あら、申し訳ありませんお兄様。ポットの紅茶はさっきの一杯で最後でしたの」と眉を下げる。
ここですかさず「では私が頼んで参りますわ」と私が腰を浮かせば、ソフィア様が「それは駄目よ。子豚のくせに、紅茶を淹れる楽しみをわたくしから取り上げるつもりなの?」とわざとらしくツンと顎を上げて、居丈高な物言いをした。
少しの沈黙の後に小さく湧き出す笑いの中で「美味しい紅茶を用意して、すぐに戻って参りますわ」とソフィア様が部屋を出て行く。その背中を見送ってからすぐさまベッドのオースティン様へと近寄ると、彼も話したいことがあったようで、こちらに顔を寄せてきた。
「これが今分かっているだけの出席者のリストだ。その中から知っていそうな名前を探してみてくれ。他の夜会などの出席者名簿リストで、ブラック入りしたことがない人物か調べる」
「了解ですわ。こちらが私が調べてみた、今回の夜会に出席されそうな方達のリストです。その中にこれまでに女性関係でやらかしたことのある方がいないか、確認をよろしくお願いしますわ」
オースティン様はベッドマットの隙間から。私はドレスの隠しポケットから。それぞれ小さく折りたたんだ紙を引っ張り出すと、押しつけ合うように相手の手に握らせて、素早く開いて中に書かれた名前に視線を走らせる。
一行目、安全。
二行目、大丈夫。
三行目、いける。
四行目、おっと……?
「「四行目に一人気になる人物を発見」」
ほぼ同時にそう口にしていたせいで一瞬声が重なって、どちらの口から出た情報だったのか判断しかねた。けれどお互いにオススメ人材から一行目、二行目と続ける癖も同じだったので、同じ人物名に指先が突きつけられていると分かった私達は、どちらからともなく噴き出してしまう。
「真似をする奴があるか」
「そちらこそ、私の真似をしないで下さいませ」
ククッと喉を鳴らして笑うオースティン様の横顔は、前回寝込んで痩けた陰もすっかりなくなって、ソフィア様のお兄様らしく美しいお顔に戻っていた。きっと後もうちょっと血色が良くなれば、妻になりたいと名乗りを上げるご令嬢も大勢出てくるわ。
「この男は確か先日婚約者が出来たばかりだ。直前のことだったから記載が漏れたんだろうな」
長い睫毛に縁取られた、サファイアを思わせる中にやや紫の虹彩が混じる不思議な瞳が、厭世家な彼にしては珍しく優しく細められた。これは……当日までに何としても体重をキープしておかなければならない。
そうすればきっと当日は、この近寄りがたい美貌の兄妹の隣にいる私の姿に勇気づけられて声をかけてくる人が出るだろうから。その時はそっとその場を離れて、二人の婚約者候補を見極めることに専念しよう。
そんなことを考えながら、ぼんやりとその綺麗な瞳が瞬きの為に目蓋の下に隠れたのを見た時、ふと。出逢ったばかりの頃に彼から言われた懐かしい、今も私のお守りになっている言葉を……初めて恋をした時の言葉を思い出させた。
『ああ、やっぱりそうだ。君は伏せてしまうのが勿体ないくらい綺麗な瞳をしているね。これからは俯かないで前を向いて、その瞳で色々なものを見て知るべきだ。そうして、熱で臥せるわたしの枕元でその話を語って聞かせてくれないかい?』
今に至るまであんなに褒められたことがなかった私は、あの言葉にすっかり参ってしまって。この兄妹は私を生かす為に天から遣わされた天使様なのだと、本気で思った。
当時のオースティン様の面影を残しているのに、あの頃とは全然違う大人になった横顔を眺めていたら、視線に気付いたオースティン様が急に顔をこちらに向けて「どうかしたのか? 早く他の名前も確認するぞ?」と眉根を寄せたので、慌てて「寝癖がついていたのが気になりましたの」と笑って誤魔化す。
その嘘を真に受けたオースティン様が「笑うな。どこだ?」と髪の毛に手を伸ばして撫でつける。学園を卒業して、ソフィア様が結婚し、オースティン様が家督を継げば、恐らくこの至近距離で二人と話が出来ることもなくなるだろう。
貴重な残り時間を精一杯二人のお役に立つように勤めることが、今の私の存在意義だ。
ひっそり痛んだ胸の奥に気付かないふりをしたまま「ここですよ」と、ありもしない寝癖を直すような仕草をすれば、オースティン様は大人しく本当は跳ねてなどいない落ち着いた金色の髪を無防備に触らせる。
ソフィア様の蜂蜜色の華やかな髪も綺麗だけれど、オースティン様だってなかなかのものだ。
「――……おい、直ったのか?」
いつまでも摘まんだり撫でつけたりを繰り返していたら、訝しんだ声がかけられて思わずビクリとしてしまった。
「はい、もう直りましたよ。さぁ、ソフィア様が戻っていらっしゃるまでに、ちゃちゃっと続きを確認しましょう」
声音を明るく、サクッと意識を切り替えて。
同じ名前を同じ順番で連ねた、違う筆跡の紙を確認する作業は、ソフィア様の押すワゴンの音がドアの前で止まるまで続いた。その日から私の夕食の付け合わせの野菜だけは、すべて油で揚げるように料理長に頼んでおくことも忘れなかった。