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*8* 初めまして、この野郎。



 見据えた視線の先で語り合うソフィア様に気を払いながら、招待客の隙間を縫って知り合いを探しているオースティン様の方へも意識が向かう。


 夏の日差しが全く似合わない彼の体調が心配になるが、それを気にすることは今の私の仕事ではないし、今日ついてくると仰ったのはオースティン様だわ。


 ただそれでも気になって視線で追えば、こういった場から離れて久しい彼を、会場内にいた知り合いの方が先に気付いて声をかけてくれた姿を見て、今度こそソフィア様にだけ集中出来る。


 ソフィア様達が立っていた場所へと視線をやれば、まだそこにいらしたソフィア様と偶然にも視線が合う。会場内には他にも人がいて視界を遮るのに、一瞬で目が合うだなんて……これはきっと以心伝心と言うやつだわ。


 私はさっきまでのご令嬢達との会話などなかったことにして、弾む足取りで、見た目的には弾むボールのようにお傍へ馳せ参じた。その間に男性の方をチラリと見たけれどやはり面識はない方だと確信する。


 汗をかいている姿では美々しい二人に近寄りがたくて、二歩分ほど間を開けた私の腕を、ソフィア様は全く気にすることなく引き寄せ、おまけに「もう、汗をかいたらこまめに拭かないといけませんわよ子豚ちゃん?」と笑いながら、ご自分の可愛らしいチーフで拭って下さった。


 繊細なレースのあしらわれたチーフの縁が、私の汗で湿気ることが恐れ多くて途中から「自分の分がありますので平気ですわ。そんなに可愛らしいもので拭いて頂くとくすぐったいです」と固辞すると、ソフィア様は拭うのを止めて「気にしなくても構いませんのに」と微笑んだ。


 美女の汗を拭うために職人が丹誠込めた一品が、私のような子豚に使用されるのはあまりに酷い。私が職人なら絶対に針を折るに違いないもの。


「それにしても……わたくしの傍をこんなに長く離れるだなんて、あなたにしては珍しいから、何かあったのかと思って心配していたのよ。お兄様とは一緒じゃないのかしら?」


 ふとそんな至極もっともな指摘をされて一瞬ハッとしてしまう。ソフィア様にしてみればここは戦場だ。いくらすぐに駆けつけられる場所に控えているとはいえ、従騎士の役所にいる私が不在ではきっと心細かったに違いない。


 さっきまでクルリと手首に感じていたオースティン様の熱が、己の不甲斐なさから一気に引いてしまった。


「遅くなって申し訳ありません、ソフィア様。少しの間オースティン様にエスコートして頂いていたのですわ。私、殿方にエスコートされたのが初めてで、ついはしゃいでしまいましたの。その後オースティン様はお知り合いを見つけたようで……あちらですわ」


 けれどここで下らない申し開きをするのは恥の上塗り。いっそ楽しんでしまったことを素直に認めて伝えた私の言葉に、ソフィア様は大袈裟に驚いた表情を作り「まぁ、お兄様が? うふふ、クロエったらそれは良かったですわね?」と意味深な笑みを浮かべた。


 そんな悪戯っ子な一面を覗かせるソフィア様に向かい、わざとらしい咳払いをしながら「そちらの方は?」と訊ねれば、相手は片眉をクッと持ち上げて……私を上から下までザッと眺めた。


 そうして、一度大仰に頷くと「彼女が君の言っていた取り巻きか。話で聞いていたよりもだいぶ貫禄がある。もっと小柄な女性だと思っていたが、意外と縦横に大きいんだな」と、初対面の女性に対して少々無礼な発言をする。


 真意を測りかねて「はぁ、恐縮です?」と中途半端な警戒心を向けると、相手は「おっと、自己紹介が遅れてすまん。オレはイグナーツ・バルクホルンだ。これからよろしく頼む」とのたまった。


 “これから”という言葉に引っかかった私が戸惑っていると、隣からそれを感じ取って下さったソフィア様が「いきなりわたくしの取り巻きにそんなことを言うだなんて。あなた、よっぽど自信がおありなのね?」と、挑発的な笑みを唇に浮かべてバルクホルン様へと言葉を返す。


 するとバルクホルン様も「勿論だ。自信もないのに勝負を申し出る男はいないだろう」と野趣溢れる笑みを浮かべた。けれど美女と野獣のような二人に挟まれる形となった私は訳が分からない。


「あの、ソフィア様……お話の内容が全く見えないのですが?」


「ああ、そうよね。あのねクロエ、今ちょうどこの方とあなたの話をしていたのよ。簡単に説明すると、このバルクホルン様がわたくしのことを気に入ったから、婚約者に名乗りをあげて下さるそうよ。だけど現状ではまだわたくしは婚約破棄をされていないでしょう?」


 その言葉に思わず「は?」と言ってしまった私は悪くないはず。この場にオースティン様がいらしたとしても、きっと同じ反応をなさるはずだもの。


 しかしソフィア様は楽しそうに目を細めて、同性であろうが見惚れる表情で「鈍いわねぇ、子豚ちゃん」と鼻の頭に指先を押しつけ、物分かりの悪い生徒に諭すように言葉を続けた。


「ですからおそらく婚約破棄を言い渡される卒業記念舞踏会に、わたくしの心を手に入れられたら、婚約者にして差し上げると言ったのよ。けれどね、クロエ。わたくしの心はあなたが一番よく知っているから――、」


 サファイアの瞳が私を正面から捉え、小鳥のように小首を傾げて謳うように囁く。美しさと可愛らしさを兼ね備えた女王様は、最後にとんでもなく名誉だけれど、それと同じくらいに責任が重すぎる発言を投下した。


「あなたがこのバルクホルン様を、わたくしの婚約者にしても良いと判断したら婚約します。あなたが選んだ相手なら、わたくし六十代の方でも安心して嫁げそうですもの」


 取り巻きの私でも滅多に見られない輝くばかりの微笑みと、その場に平伏して拝んでしまいそうになるありがたい言葉に……しかし。内心では戦慄していた。だってそれはそうだろう。


 子爵家の娘が伯爵家の娘の婚約者選びをする? 一度耳を通過した言葉を引っ張り戻し、再び頭の中で組み立てなおして再生してみたものの……結果は同じ。荷が重すぎて背負えそうにない、ということだ。


 いくらソフィア様のお願いごととはいえ、私個人で請け負うことは出来かねる案件に、ここは一旦オースティン様と審議するためにも“持ち帰り”を提案しようと口を開きかけた、のだが――……。


「へぇ? だがこのクロエ嬢が相手に金で買収でもされたり、結婚相手を紹介してやると唆されたりした場合はどうするんだ? その時も貴女は彼女が選んだ相手と結婚を?」


 バルクホルン様のこの一言にムカッと。


「しますわ。クロエはわたくしを絶対に裏切りませんもの。けれど……そうね。もしもクロエを転ばせる方がいらしたら、それはそれで面白くてよ? まぁ、絶対にありえませんけれど」


 ソフィア様のこの一言にウルッと来た。


 この勝負、釣り針が大きすぎる上に餌が上等すぎる。


 けれど悪ふざけをする殿方にソフィア様を渡す気はさらさらないし、もしもバルクホルン様が本気でソフィア様を幸せにする気概と、財力と、地位と、愛さえあれば、こんなにこちらに得しかない釣りも珍しいことだろう。


 ――それに、何よりも。


「ええ、ソフィア様。勿論あり得ませんわ。もしもそんなことになったら、私の首を物理的に落として下さっても結構です」


 私のソフィア様に対する忠誠心を試そうだなどと、烏滸がましい。それにソフィア様の仰る通りだとするならば、裁定基準は全て私の采配しだいということだ。で、あるならば。


「バルクホルン様……でしたわね? その勝負、主人の代理として受けて立ちますわ。ただし、私の心に適わなかった場合は、ソフィア様のことは綺麗さっぱり諦めて下さいね」


「ははっ、柔らかそうな見た目の割に随分とおっかないな。だがまぁ、その方が面白い。望むところだ、クロエ嬢」


 この本気の婚約者探しを面白がる不届き者に私が微笑みかけることなど、ありはしないわ……などと闘志を燃やしていた私の背後から、オースティン様が暑気あたりになられたという報せが届き、慌ててソフィア様と会場を後にしたのは少しだけ格好悪かったかしらね?

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