第2章 後編 出会いがあれば別れもある。
自分の経験でしかモノを書けないというのは時折つまらなさを感じる。
「ふぅ~、いや~面白い物見せてもらったよ少年。」
ようやく笑いから解放されたヴァネッサは持っていた酒をグビグビと飲みはじめていた。酒には強くないのか、もう顔が赤くなっている。ご機嫌な彼女とは裏腹に、エルゼは少年の側で未だにすすり泣いていた。あまりにも哀れに感じた少年はハンカチを貸してやることにした。
「しっかし、最初は警戒してたのによぉ~お?随分とお優しくなったじゃあねぇえのぉ?」
呂律があまり回っていないのかすごく訛って聞こえる。彼が住んでいた地域にも訛っていた者はいたが、ここまで酷くは無かった。相当酔っているのだろう、よだれを垂らしてても気にしていない。
「確かにな…ところでアンタらは裕福な家の出なんだろう?何故盗賊なんかに?」
「盗賊なんかって言うなよ!!!俺の生きる道だぞ!?わがっどんのがゴラァ!!」
アーヴェンの質問に対し、怒った様子でヴァネッサは言った。即座に落ち着いてまぁいい、と言って彼の隣に座る場所を移し、火を見つめながら彼女は話し始めた。
「さぁて、どっから話しゃあいいかなァ…、ああ、アタイは元々ベーレンスの貴族の家に生まれたんだ。だがよぉお?俺が可憐な乙女の年によ?親父がバカやらかして昨日までは大金持ちだったのに次の日には没落しちまって、俺が売られなきゃならねぇほどに貧乏になっちまった。嫌々行かされた家は貴族ではあったがとんでもない変態でなぁ。えーっと何だ?うーん、あ!そうそう!ペドフィリアって奴だったんだよ!!」
ペドフィリア、小さい子供に性的愛情を抱く者を指す言葉が出てきた時、少年は相当酷い事を聞いてしまったのではないかと後悔した。そういう手合いにはあまり良い人間がいたためしがない事を彼は知っていたからだ。奴らは人さらいを雇って、周囲の貧乏そうな家からあどけない少年や少女を攫わせ、自分のモノにする。そういった問題がベーレンス本国で横行していた頃、アーヴェンは両親から外に遊びに出る事を禁じられていた。そして外に出る時は必ず母か父のどちらかと行動を共にしなければならなかったのだ。
まさか目の前の傷だらけの女がその被害者だったとは。少年はもういい、と止めようとしたが、ヴァネッサの目が完全に据わっており、その状態で淡々と話し始めるものだから恐ろしくて口出しが出来なかった。
「そのペドの貴族の野郎がな。相当なサディストで子供を痛めつけて興奮する質でよ。俺も何度も折檻という名目で殴られたり、鞭で打たれたりしたよ。さっきお前が見た俺の身体の傷にはその時のモノも混じってる。」
傷だらけの腕を擦りながら彼女は続けた。
「相当なトラウマでさ。今でも寝ている間にその時の事を夢に見てうなされるんだよ。あの時の痛みと恐怖は未だに俺を苦しめているのさ。」
けどな、と言って彼女は酒をあおり、大きく息を吐くと腰のサーベルを抜いた。それは火に照らされ、見事な曲がり具合の刀身を光らせた。
「これは、ある時盗賊が盗みに入ってな。俺はその盗賊と鉢合わせちまったんだ。でもさ、殺されるって思って泣いてたらよ。突然その盗賊が俺にこのサーベルをくれたんだ。お前の主人から頂いたものだが自由に使ってくれて構わんって言ってさ。今までレイピアも持ったことがない俺はそれを使って前後不覚に寝ているあの変態貴族を殺したんだ。今思うと良く殺せたもんだ。けれど、その盗賊、いや、俺のとこの団長なんだけどよ、あの人のお陰で俺は自由を手に入れることが出来たのさ。」
それからヴァネッサは当時まだ一介の盗賊だったの団長についていく形で盗賊団に入り、長い年月盗賊としての腕を磨き続けた。盗みに入った先で戦闘になることも多く、その度に傷と戦利品を持ち帰ってきた。
そして彼女曰く、エルゼと出逢ったのは最近の事らしい。ふらっと現れて何故か盗賊団に仲間入りし、今の今まで傷一つ受けることなく組織に金を収めているらしい。
「何でこんなからっきし剣も振れないような女が盗賊やってんだと思うがよ、持ってくる金だけは多いんだよなこの女。」
「確かに盗賊を生業にしているアンタには気に入らん話だろうね。」
ヴァネッサとアーヴェンは2人並んでエルゼを見つめていた。当の本人は既に寝息を立てて寝ていた。
全く呑気なものだ、と呆れたようにヴァネッサは言い、勢いよく後ろに倒れ込んだ。潰れたのかと思い、少年は顔を覗き込んだが、相変わらず目が据わったままだった。
「酔っぱらいの長い話をよく聞いたな。少年。」
「いや…。」
「今日は冷える。風邪を引くんじゃないぞ。旅を始めたばかりなんだろう?」
「え、なんでそれを?」
少年が聞いた時にはもう瞳を閉じて眠りについていた。しかし、マントを脱いだ状態で寝ては風邪を引くだろうと少年はヴァネッサのボロボロのマントを彼女に被せておいた。
「優しいのね。坊やは。」
すっかり寝ていると思っていたエルゼは寝ころんだ状態で少年に話しかけてきた。
「何だ起きてたのかよ。」
「まぁね。彼女と仲良くしているのを邪魔するわけにもいかないし。それとも眠っていた方が良かった?お姉さんに悪戯し放題よ??」
「ああそうかい。じゃあ今度目いっぱいやらせてもらおうかね。」
少年はいちいち誘惑に突っかかるのも面倒に思えて適当に返事をしたのだが、相手は驚きに起き上がり、本気なのかと目で聞くようにこちらを見ていた。呆れた表情で見つめ返しながら少年は言い放った。
「綺麗な花には棘があるってよく言うだろ?」
「あら?坊やも褒めるのが上手ね?」
「阿呆。アンタが病気持ちでないとは言い切れないって話だよ。」
と少年が言い放つと彼女はまるでしょげた犬の様に意気消沈した。あまりにも犬っぽい仕草であったため、少年にはまるでエルゼに犬の耳と尻尾があるように見えた。
「(こいつが犬だったら可愛くてしょうがないってなるだろうけど。ただのでっかいお姉さんだしなぁ。)」
少年にはこの女が犬でない事を非常に残念に思っていた。しかし、この女もヴァネッサと同様に裕福な家の出であるのだ。少年は彼女にも事情を聞いてみることにした。
「そういえばアンタも裕福な家の出なんだろ?おまけに美人とくればその後の人生も大して心配する事もないだろうに。」
「あらまぁ、随分と言ってくれるわね。それ貴族の生まれに対する偏見よ?」
エルゼは少年をキッと睨み付けると、たき火の方に向き直り話し始めた。
「まず私はエルゼって呼ばれているけど本当はエリアノーゼ・カーンっていう名前なの。アナタの故郷のベーレンスの北のオーファン首長国連邦の騎士の家の生まれなの。」
「カーン?聞いたことないな。」
「あら?オーファンの騎士、ヴィルメシュ・カーンと言えば相当な有名人よ?私のお爺さんなんだけど。」
「知らんね。オレがいたところは情報が全くと言っていいほど入ってこないんでな。」
するとエルゼはそう、とだけ言ってうなだれてため息を吐いた。
「まぁ、あの爺さんももう長くはなかったしね。昔の武勇伝なんか皆忘れるわよ。」
とエルゼが小声でつぶやいたのを少年は聞いた。どうやらヴィルメシュ・カーン本人は亡くなっているようだ。しかし、哀れかな。少年はカーンの事など全く以て記憶に無かったのだ。
「で?高名な爺さんを血族に持つアンタが何でその家を捨てるまでに至ったんだ?」
「それは…私が寂しがり屋さんだったから。」
「え?」
「高貴な家の生まれでもそれなりの悩みがあるってものよ。家を捨ててしまいたくなる程にね。」
そういうと彼女はその場に横たわった。もう眠くなってきてしまったらしい。
「ごめんね、続きはまた今度会ったときにね?」
少年がおい、と声を掛けても彼女は反応する事はなかった。もう寝息を立てて眠ってしまっていた。
「また今度って言ったって、また会える保証も無いだろうに。」
少年はそうぼやくと彼も眠りについた。そして浅い眠りの中で彼は家族の夢を見た。父と母と過ごした穏やかな日々。そしてそれは思い出の中に消えていってしまった。
「おい。」
少年は自身にかかる謎の重さに目を覚ました。腕も動かせない状況で目をこらすと、二人の女が自分にくっついていることが分かった。2人とも眠っているから拘束している訳ではないが、重い。実に重い。
少年は息を大きく吸い込むと、
「起きろって言ってんだよ!!いつまで乗っかってるつもりだ!!!」
洞窟内に響き渡る程の声量で少年が叫ぶと、彼にしがみついていた女二人は目を覚まして飛び起きた。
「な、何!?襲撃??」
「おい、敵は何処だ…って、少年しかいないじゃないか。」
「何がお前しかいないだ!!お前らのせいで押し潰されるところだったんだぞ!!」
重圧から解放された少年は起き上がり、身体をほぐし始めた。腕は血流が止まっていたせいか、少々しびれを感じた。たき火はとっくに消えていたが、それも気にならない程今日は温かな日のようだ。
「さてと、すまなかったな。少年、重かったろう??」
「そりゃあね。アンタはエルゼ程じゃなかったけど。」
と少年がヴァネッサに答えると、エルゼは恨みがましい目線をこちらに向けていたが、彼は無視した。少年たちがそれぞれ準備を整えると、洞窟の前で彼らは別れの挨拶をした。
「私たちのアジトは玄城公国とオーファンの境にある山道にあるんだ。とは言っても古い道だからあまり人は使わんのだが。」
「そうねぇ、かと言って人通りの多い所で構えるのもリスクが高いからね。でも通る事があれば私たちの名前を出せば顔パスよ。じゃあね。」
少年は半信半疑であったが、考えておくよとだけ答えておいた。玄城公国とオーファン首長国連邦には確かに険しい山がそびえていて、余程の事が無い限りそこを通って玄城とオーファンを行き来する者はいない。近道ではあるのだが、大抵の者はベーレンスを経由してオーファンへと向かう。しかしベーレンスは戦争中だ。となるとその山道を通ることも視野に入れねばならないと少年は考えた。
女盗賊の二人と別れた少年はサヴァン帝国へと向かって南へと進み始めた。今日は随分と晴れていて気分もまぁまぁよかったものだから彼はそのまま街道を通っていくことにした。
「サヴァン帝国か…。」
地図を見ながら少年はサヴァンについての情報を整理していた。
サヴァン帝国。それは昔オーファンから抜け出した一人の王子が南の地で出逢ったバルバリ族という部族と共に創り上げた帝国だ。サヴァンというのは建国者であるその王子の名前であるというが、実際はどうなのかは不明だ。しかし、サヴァンという名は帝国にとっては偉大な名であるらしく、その名を貰う子供が多いのだという。
そして永らくオーファンとは抗争を繰り返していたが、ベーレンスが出来上がる10年前、つまり今から200年程前に彼らは関係を修復し、今では良き同盟国となった。長きにわたる確執が無くなった事で北と南の平和が確立され、ベーレンスが生まれる事に繋がったのだ。現在サヴァンの皇帝はサヴァン・ニーダハルト・クルスであり、現オーファン首長のポール・オーガスト・ナイトハルトの甥にあたる。というのもサヴァン皇帝の母君がポール首長の妹であるのだ。この事から相当国家間の関係は良いと判断できるだろう。
「しかし、ベーレンスとの関係は良いとは言えなさそうだね。」
少年が地図をしまって進み続けると、突然多くの男たちに囲まれた。大きなクロスボルト(少年のものが小さすぎるのもあるが)をこちらに向けている。少年はその場から動かずに周りを見回すと、自分を囲んでいるのはサヴァンの兵士たちのようだ。
「そこのお前、ベーレンス人か?」
兵士たちの一人が彼に聞いた。少年は黙って頷いた。
「そうか。ならば我々と共に来てもらおうか。」
すると少年は突然周りの兵士に押さえつけられ、後ろ手と両足を縛られてしまった。そして大きな布にくるまれ、少年は何処かへと運び込まれていった。
「騒ぐなよ?でなきゃ俺たちはお前を殺さなきゃならなくなる。」
少年の視界が解放されたのはそんな警告を受けてからしばらくした後だった。そこは窓の無い石の壁で囲まれた牢屋だった。
「サヴァン帝国のダンジョンにようこそ。出ようなどと考えるなよ。でなきゃお前の命を保証できなくなるからな。」
自分を牢に放り込んだ兵士は格子戸にカギを掛けると、そのまま何処かへと行ってしまった。
「荷物は殆ど取られちまったか…。」
少年は牢屋の寝床に腰を下ろし、時間が過ぎるのをただ待っていた。時折現れるネズミに石を投げつけたりして遊びながら。
彼の旅はここで終わってしまうのだろうか?そもそも何故ここに入れられたのか?答えは時間通りにやってくる奴らが知っているだろう。
盗賊と少し仲良くなり、雨を凌いだアーヴェンは向かった先のサヴァン帝国に捕らえられた。何故捕まるのか?ベーレンスと戦争しているのは何処なのか?答えは次回のつまらない話で。