番外、ある日の追憶下
次の日、早朝———
朝、目を覚ましたマーヤーは思わず悲鳴を上げそうになった。息子のシリウスが居ないのだ。その後宿の中を探し回るが、何処にも居ない。一体何処に?
———もしや、誰かに連れ去られた?誘拐された?
そう思った直後、宿の客の一人がその姿を見たという。何と、シリウスは早朝の4時頃に一人で外に出たというのである。何故、声を掛けなかったのかとマーヤーが問うたが、声は掛けたようだ。
不思議に思ったその客が声を掛けたが、シリウスはふらふらとそのまま出ていってしまったと。
その瞳は、何処までもぼんやりとしていたという。何処か、夢うつつという感じだったと。
母、マーヤーはその言葉に顔を蒼褪めさせる。シリウスはまだ5歳、町の外には最近トレントが出没していると聞いている。もし、シリウスが町の外に出ていたらと考えると・・・
マーヤーは急いで外に出た。その際、娘のミィを宿に預ける事を忘れない。
宿を出たマーヤーは、息子を探して回った。直後、町の外で騒ぎが起こる。
どうやら、湖のほとりでオーガとトレントが戦っているらしい。そう耳にした。
・・・・・・・・・
時は遡って、少し前の事・・・
現在、僕は町の外にある湖のほとりに居た。今頃、母は心配しているだろうな。そう、まるで他人事のように考えていた。ぼんやりと、湖の水面を眺める。それだけで、落ち着いた気分になる。
それで、納得した。ああ、僕はやっぱり一人になりたかったんだなと。
独りになりたかった。孤独が良かった。きっと、僕はそういう人間なんだ。
思考に耽りながら、僕は膝に顔を埋める。母と妹、二人の居る世界はとても暖かい。けど、きっと僕からすればあの世界は窮屈でしか無かったのだろう。そう思う。
僕にはあの場所は、重すぎたから。だから、きっと僕は逃げ出したかったのだろう。
「もう、逃げ出そうかなあ・・・」
「逃げ出してどうする?」
独り言に、ふと返事する者が居た。振り返ると、其処には一匹のオーガが。僕は目を僅かに見開く。
しかし、そのオーガは知的な雰囲気を漂わせている。僕に襲い掛かる雰囲気ではない。
凶暴な魔物で有名なオーガとしては、かなり珍しいだろう。理性的な様子だ。
オーガは、僕の横にドカッと腰を下ろした。
「何故、オーガが?」
「そんな事はどうでもよろしい。私は質問している、逃げてどうすると」
オーガは僕の方を見て、問い掛けてくる。その瞳は何処までも穏やかだ。
ああ、きっとこのオーガは気性の穏やかな個体なのだろう。そう、思った。
「・・・・・・どうもしないよ。お前に何が解る?僕は独りになりたいんだ」
「そうか・・・。だがな、人間は群れで生きる種族だと聞くぞ?」
そうかもしれない。けど、けど僕は・・・・・・
僕は更に膝の中に顔を埋める。きっと、今の僕はこれ以上なく暗いのだろう。自分で理解出来る。
「そうかもな。けど、きっと僕は人の群れに馴染めないんだ」
「そうか・・・。だがな、きっとお前にも心配してくれる者が居る筈だろう?」
「ああ、そうだな。けど、僕自身がそれに耐えられないんだ」
即答した。そう、僕が耐えられない。きっと、暖かい世界は僕には重すぎるんだ。潰れそうで、僕はそれに耐える事が出来ないんだろう。優しすぎる世界は、僕に似合わない。釣り合わない。
そう答えた僕の頭を、オーガはわしわしと撫でた。
「大丈夫だ、お前はまだ幼い。先はまだ永いんだから、きっと道はある筈だろう?」
「お前に何が解るんだよ・・・・・・」
「解らないさ。お前の事は私には解らない。けど、それでも理解しようとする事は出来るだろう?」
そう言って、オーガは笑った。豪快な笑みだ。
・・・ああ、そうかもしれない。僕は納得した。けど、僕はソレを求めているのか?黙り込んだ僕に対して苦笑を浮かべるオーガ。しかし、それでもオーガは話し続ける。
「私はな、はぐれなんだよ」
「はぐれ?」
「群れから飛び出した、変わり種なのさ」
魔物は基本、群れで行動する。群れから離れて一匹で行動する者をはぐれと呼ぶらしい。オーガは笑いながら自身の事をはぐれと言った。なら、このオーガも僕と同じなのか?
そう考えていると、オーガは言った。
「私はな、自分が他のオーガとは根本的に違うと感じていた。きっと、それは正しいのだろう」
「・・・・・・・・・・・・」
「だがな、独りになって気付いたのさ。群れで生きる事の大切さを」
「群れで生きる事の大切さ?」
そうだ、と。そのオーガは答えた。
オーガはにいっと牙を剝いて笑った。その笑顔が、何ともたくましい。
「きっとな、生きている以上は孤独には耐えられない。そういう風に生物は造られているんだ」
「そう、造られて・・・・・・」
「ああ。きっと、群れで生きるからこそ無限の可能性は活きるんだろうな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
解らない。そんなの、僕には理解出来ない。
僕は不貞腐れたように眉間に皺を寄せる。ああ、その表情すらも煩わしい。その感情も鬱陶しい。
そんな僕に、オーガは苦笑を向けた。
「まあ、何れ解るさ」
「解らないよ・・・・・・」
「今は解らなくても良い。けど、何れはきっと・・・・・・」
「解らないよ・・・」
僕は、まるで駄々をこねる子供みたいだ。そう、自分で思った。きっと、その通りなのだろう。
解らない。もう、何も解りたくないよ。
そう考えていると、ふと、周囲が暗い影に覆われた。
「む、いかんな・・・・・・」
「?」
見ると、其処には人面の樹が夥しく生えていた。いや、これは・・・・・・
これは、只の樹ではない。魔物だ。
「これは、トレント?」
「うむ、最近この付近に住み着いた魔物だな」
そう言い、オーガは獰猛に牙を剝く。えっと、もしかして僕が狙われている?
実際、トレント達は僕の方を一斉に見てよだれを垂らしているみたいだし?
「動くなよ?下手に動くと守り切れん」
そう言い、オーガは肩をゴキリと鳴らした。鳴らして、獰猛に笑った。
そして・・・
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!!!」
「がああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!」
トレント達とオーガの戦いが始まった。
・・・・・・・・・
オーガの力は圧倒的だった。トレント達をへし折り、引きちぎり、砕き割った。
圧倒的なまでの暴力。その化身が、其処に居た。
しかし、それでも互角の戦いだった。単純に、トレント達の数が多かったのだ。勝負が長引くとその分だけ戦況は悪くなってゆく。オーガも傷付いてゆく。
しかし、それでもオーガは戦う。一体何の為に?何故、見ず知らずの僕の為にこんなに傷付く?
解らない。解らない。解らない。
「解らないよ、オーガ」
それでも、オーガは戦いを止めない。深く傷ついても、それでもオーガは戦い続ける。やがて、その戦いは決着の時を迎える。オーガが最期のトレントを拳で打ち砕いて勝利した。
しかし、トレントも只では殺られない。太い枝で、オーガの左胸を貫いた。
「っ、ぐふう!!!」
どう足搔いても、致命傷。鮮血が、周囲に舞う。
オーガはトレントと共に崩れ落ちた。
「オーガ!!?」
オーガに駆け寄る。オーガは既に、虫の息だ。
どの道、もう助からないだろう。そう、理解出来た。
「おお、無事だったか。良かった」
「何で?何故、僕をそこまでして守る必要があった?」
僕は、悲痛な声を上げる。自分で、それが理解出来る。しかし、まるで他人事のような感覚だ。
解らない。理解出来ない。そんな僕に、オーガはふっと笑う。力の無い笑みだ。
「そんなの、お前が私にそっくりだからだろう?」
「っ!!?」
「要は、放っておけなかったのさ。只、それだけだ・・・・・・」
・・・最後に、オーガは悔恨の念を籠めて呟いた。
「ああ、最後に弟と会いたかった・・・・・・」
そう言って、オーガは事切れた。
黙り込む僕。言葉が出ない、何も言えない。そんな僕に、近付いてくる者が一人。
・・・母だ。とても、悲痛な顔をした母が居た。
「シリウス・・・・・・」
「どうして・・・何で・・・・・・」
母はこの惨状を見て、溜息を吐いた。恐らく、途中から見ていたのだろう。その瞳は痛ましい。
そっと、僕を包み込むように抱き締める。そして、言った。
「シリウス、今は忘れなさい。今のあなたにこの記憶は辛すぎる・・・・・・」
そう言って、母は何かを呟いた。その言葉を聞いた瞬間、僕の意識は遠ざかった。
次に目を覚ました時、僕はこの時の記憶を一切失っていた。
・・・・・・・・・
全てを思い出した。鎖に繋がれた今、僕に自由は無い。
暗い地獄の中、僕はぼんやりと考える。どうして、こうなったのか?
解らない・・・。きっと、今の僕には解らない。きっと、もう二度と理解出来ないのだろう。
未開の大陸、世界樹の神殿で僕は意識を閉ざした。




