番外、ある日の追憶上
それは僕が、シリウス=エルピスがまだ幼少期の頃。まだ5歳の頃の話だ。
山で熊に遭遇し、大怪我を負った僕はある日母に連れられて、少し遠い町に来ていた。其処は、一言で言えば温泉街だった。どうやら、母は僕の療養の為にこの町に連れて来たらしい。
ミィは初めて見た温泉街に、少し興奮気味だ。僕や母の腕を引っ張ってはしゃいでいる。ああ、本当に面倒臭いと僕はうんざりとした気分で付いてゆく。母はやっぱり、こんな時でもにこやかな笑顔だ。
何時も母は、にこにこと笑顔で僕達を見守っている。優しい母、よく懐いてくる妹。
僕は、そんな家族に囲まれていた。
「ほら、ミィ?あんまり一人でうろうろすると迷子になるわよ」
「はーいっ♪」
ミィも母も何だか楽しそう。僕も、その空気につい苦笑を浮かべる。まあ、旅行の時くらいは少しくらい楽しまないと損かな?そう、僕自身思った。其処はやっぱり、僕も普通の人間だったのだろう。
実際、僕自身転生して初めての旅行に少しだけわくわくしていた事は否定しない。事実だしな。
前世では、そう言えばよく家族に連れられて旅行に行っていたっけ?
と、その時僕達に話し掛けてくる人達が居た。見た所、冒険者か何かか?男女二人の冒険者だ。
「あら?其処に居るのはマーヤーじゃない?」
「ん?おお、本当だ‼マーヤーさんじゃねえか‼」
そう言って、二人の冒険者は僕達に近付いてくる。いや、誰だ?この人達は?僕は、ほんの少しだけ警戒心を強めて身構える。その姿に、母は苦笑した。ミィは、突然の事にびくっと震えていた。
僕の頭をぽんぽんと撫でて、母は大丈夫と言う。
「大丈夫よ、シリウス。この二人は私の古い知り合いだから。ほら、ミィも・・・」
「・・・・・・・・・」
僕は、黙って構えを解く。警戒されていた事に気付いた二人は、苦笑を浮かべて僕とミィを見た。
ミィはそっと、僕の後ろに隠れた。今度は僕が苦笑する。
ミィは、家族以外の人間には警戒心が強いのだ。
「可愛いわね。貴方の子供?」
「ええ、私とあの人の子供よ?」
あの人、というのは解らないが。恐らく僕とミィの父親だろう。母は嬉しそうに笑っている。やはり僕と妹の父親は優しい人らしい。母の言によるとだが。
すると、男の冒険者が僕の方を見て笑みを向けてきた。
「おう、子供にしては中々良い体格をしているじゃないか。鍛えているのか?」
「・・・・・・悪いか?」
僕は、目を細めて睨む。男はカカと笑って僕の頭をがしがしと乱暴に撫でた。
「悪くはねえ。そう睨むんじゃねえよ」
「・・・・・・・・・・・・」
妹のミィが、その粗野な男の態度に不機嫌な表情になった。妹は基本、僕や母にはべったりだがそれ以外の人間には中々気を許さないのだ。猫のような子供である。
そんな僕達に、母と女冒険者は苦笑を浮かべた。男冒険者は相変わらずカカと笑っている。
・・・呑気なものだ。
「ところで、二人はどうしてこんな所まで?」
「・・・ああ、うん。私達はこの近くに出没したトレントの討伐に来たのよ」
トレント?と、僕達は一斉に首を傾げた。トレントとは、樹木の魔物だ。割と珍しい魔物だ。まあ樹木の魔物と言うよりも、樹木に近い形態の魔物と言った方が近いだろう。
厳密に言うと、樹木では無いし。
奴等、普通に肉食だし。内臓も存在するらしい。樹木に擬態した魔物と言った風情か?
閑話休題・・・
「マーヤーさんも坊主達も、この近くの森には気を付けてくれよ?」
「じゃあ、私達はそろそろ仕事に戻るから」
そう言って、冒険者の二人は去っていった。最後まで、妹は彼等を警戒していた。
・・・・・・・・・
その日の夕方ごろ・・・
宿屋で温泉に入り、部屋に戻った頃には空は既に赤く染まっていた。ベッドに潜り込み、僕はあくびを噛み殺しながら母に問い掛けた。妹は既に、夢の中だ。
「ねえ、母さん?」
「なあに?シリウス」
母は僕をベッドに寝かしつけながら、優しく微笑み掛ける。とても優しい笑顔。何時も、母は優しい笑顔で笑い掛けてくる。けど、僕は今まで不思議に思っていた事を率直に聞いた。
それは、もしかしたら藪蛇かもしれないけど・・・
「えっと、父さんの話だけど?」
「・・・・・・うん」
この時、僕は母が少しだけ遠い目をしたのを見逃さなかった。しかし、それを指摘出来なかった。
僕は、少しだけ間を置いて聞いた。
「・・・・・・えっと、父さんはどんな人だったの?父さんの事が聞きたい」
「ええ、とっても優しい人よ。優しくて、強い人・・・」
「強いの?」
「ええ、心の強い優しい人」
この時、僕はその強さの意味を今一つ理解出来なかった。その強さが、解らなかったんだ。だからこそ僕は本当は弱かったのかもしれないけど・・・
強さを求めながら、それでいて本当の強さという物を理解出来ていなかった。だからきっと、本当は僕は何処までも弱い人間だったのだろう。強さを求めながら、それでも僕は弱いままだ。
何時までも・・・弱いままだ・・・・・・
まあ、それはともかく・・・
「・・・僕には解らないや。けど、だったら何で父さんは此処に居ないの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
その時、母がとても悲しそうな顔をしていたのを覚えている。とても悲しそうな顔。
何故、そんな顔をするのか。その時の僕には解らなかった。けど、きっと母は母なりの理由があるのだろうとそれだけは僕にも理解出来た。だから、僕はそれ以上は聞く事が出来なかった。
どう言えば良いのか、解らなくなったその時・・・僕に、後ろから妹が抱き付いてきた。
「うにゅ、すぴーーーっ。おにい・・・ちゃん・・・・・・」
・・・寝ぼけている?
隣で寝ていたミィが、寝ぼけてぎゅっと抱き付いてくる。とても安らかな寝顔だ。
思わず、僕と母は苦笑を浮かべる。母は、くすくすと笑いながら言った。
「母さんはね、あの人と貴方達を守る為に自ら出ていったのよ」
「えっと、母さんが出ていったの?父さんと僕達を守る為に?」
僕は、意味を理解出来ずに首を傾げた。母は、優しげに笑みを浮かべて頷いた。
事情を理解出来ない僕は、首を傾げる事しか出来ない。けど、もしかしたら僕にも何か・・・
いや、やっぱり僕には出来る事は無いか。そう、思い直した。
「そう。けど、もしかしたらそれ以外の方法もあったかも知れないわね」
そう言って、母は遠い目をした。少し、悲しそうな瞳だ。きっと今、母は僕とミィの父の事を考えているのだろうと思う。もしかしたら、あったかもしれない可能性の話を。
だから、僕は今はこれだけ言う事にした・・・
「大丈夫だよ」
「うん?」
「きっと、大丈夫。何時か、皆で一緒に笑える日がきっと来ると思うよ?」
———きっと、何時かそんな日が来るよ。
今は、それだけしか言えないけど。それでも僕はそれだけは言う事にした。真っ直ぐ、母の目を見てそれだけは伝えた。月並みな言葉だけど、きっと伝わると信じて。
その言葉に、母は一瞬だけ驚いた顔をして僅かに涙ぐんだ。そして、僕をぎゅっと抱き締める。
暖かい、とても暖かい抱擁だった。
「ええ、そうね。ありがとうね・・・シリウス」
「・・・・・・・・・・・・大丈夫だよ。きっと大丈夫」
僕は、そっと母の頭を撫でる。僕に出来るのはきっと、それだけだろうと思うから。
ふと、思う。僕は一体何をやっているのだろうか?本当は、僕はきっとこんな場所は・・・
僕は、必死に思考を切る。こんな事、考えても仕方が無い。
今はそんな事、関係ないだろうに・・・。僕は、邪魔な思考を斬り捨てた。
こんな事、考えるなんてどうかしている。今はそんな事、考えても仕方が無いだろうに・・・
本当は僕はこんな場所、居心地が悪いだなんて・・・・・・
下に続きます。




