4、神喰らいの狼
唐突に、僕の意識は覚醒した。ぱちっと、炎の弾ける音がした。
「・・・・・・何処だ?此処は?」
何気なく、声を出してみる。かがり火が、延々と並んでいた。
其処は、途方もなく広い洞窟のような空間だった。いや、恐らくは実際に洞窟なのだろう。洞窟の中に僕は寝かされていた。一体誰に?何故?それに、此処は何処だ?僕は何処に居る?
何も解らない。どうして此処に居るのかも、その経緯も、何もかも。もしかしたらあの後、何者かに囚われたのかもしれないが、だとすればこうして拘束されていないのが不思議だ。
考えれば考える程、解らなくなってくる。それに、疑問はまだある。山のようにある。
僕は、身体の各所に手を当てる。其処は、傷があった筈の場所だ。其処に、傷が無い?
・・・それに、だ。
首の方も、折れていない。僕の身体に、傷一つ見当たらない。どういう事だ?
確か、僕はルシファーに首の骨を折られ、その後・・・。思い出して、僕はゾッとする。確かに、僕はあの時槍の投擲によって身体を貫かれた筈だ。しかし、今確かに僕は生きている?
傷も見当たらない。何故?どうして?理解出来ない。意味不明だ。何故、僕は死んでいない?
あれは、間違いなく致死レベルのダメージだった筈だ。それなのに・・・
ありえない。いや、在ってはならない。
僕の背筋を不気味な何かが這った気がした。それは、理解出来ないモノに対する根源的恐怖だ。
怖い。何だ、この恐怖は?僕は、改めてその恐怖を味わった。或いは始めてかもしれない。これ程の恐怖を経験したのは、きっと僕にとって初めてだ。初めての、恐怖だ。
人間は、理解出来ないモノにこそ真に恐怖する。解らないからこそ怖いのだろう。
そんな、理解不能な恐怖に震えている最中。僕に近付く者が居た。
「む?目を覚ましたか、小僧」
それは、灰色の髪をした浅黒い肌の男だった。その鋭い視線は、並の者なら恐らくは睨まれただけで意識を失う事だろう。この僕でさえ、僅かに息をのむほどの威圧感。自然、僕は身構える。
それを察したのか、男は手をひらひらと気だるそうに振って言った。
「よせよせ、わしは小僧と戦う気などないわい。とりあえず、落ち着け」
「誰だよ、お前・・・?」
男に僕は、一切警戒を解かずに問い掛けた。何故だか知らないが、警戒を解けば例え僕でも一瞬で食われる気がしたからだ。そんな、圧倒的捕食者の気配が漂っている。
そう、例えるなら、人食いの狼がすぐ目の前に居るような感覚か。そんな、食われる恐怖。
男は心底面倒そうに頭を搔いた。そして、僕をじろりと睨みながら名乗りを上げる。
「わしの名はフェンリル。北欧に語られる神喰らいの巨狼じゃ」
「フェン・・・リル・・・?」
フェンリル?神喰らいの、巨狼?魔狼フェンリル?
僕は、思わず絶望の声を上げた。巨狼フェンリル、北欧神話に語られる巨大な狼。
最終戦争において、主神オーディンを丸呑みすると言われる巨体を誇る、神喰らいの狼。狡猾な神ロキと女巨人アングルボザとの間に産まれた、三兄妹の一角である。
その神喰らいの巨狼が、今目の前に居る。それはつまり、今まさに巨狼に食われる寸前の獲物と等価であるという事でもある。死が、目の前に居る。食われる?
今、手元に木剣も短剣も無い。武器が無い。勝てる見込みが全く無い。皆無だ。
そんな中、フェンリルは目を鋭く細めて僕を見据える。
「安心せい、わしは小僧と戦わないと言ったであろう?」
「・・・・・・信用しろとでも?」
「それを言うたら小僧を縛り付けずに放置していたじゃろう?武器を取り上げたのは、最低限話をする為だという事を理解してもらおうか?それとも、今此処で一戦交えるか?」
確かに、その通りだろう。しかし、まだ不審な点はある。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・僕の傷は、お前が治したのか?ルシファーは?」
あの時、僕は堕天使ルシファーと戦っていた筈だ。そして、その戦いで僕は深手を負っていた筈。
その傷を、フェンリルが治したのか?そう思ったが・・・
「なんじゃ、覚えておらんのか?まあ、あの時は暴走しておったからの」
「何・・・を・・・・・・」
思わず、僕の意識が空白で埋め尽くされた。理解出来ない。したくない?
言っている事の意味が理解出来なかった。こいつ、何を言っている?
・・・或いは、只僕が理解を拒んだだけかもしれないが。フェンリルは僕を真っ直ぐ見据えて言う。
「小僧、お前はあの時暴走しておったのじゃ。固有宇宙を暴走させ、圧倒的な力で奴を倒した。傷はその時に全て快癒したよ。恐るべき力じゃったとも」
「・・・・・・・・・・・・僕が?」
「小僧が、じゃ」
そう言って、フェンリルは呵々大笑する。何が、そんなに面白いのだろうか?解らない。
僕は、余りの出来事に呆然とするしかなかった。僕が、暴走した?そして、圧倒的な力でルシファーを倒しただと?それを信じる事が出来ずに、只呆然とするしか出来なかった。
僕がルシファーを倒した?あれだけ圧倒的に力を見せ付けられたのに?それを覆して?
そんな馬鹿な?ありえない。
「・・・・・・それが、本当だとして。お前が、魔狼フェンリルが僕を助けた理由は一体何だ?」
「む?」
「僕がルシファーを倒したのは解った。けど、お前が僕を助けた理由は一体何だ?」
「ふむ・・・・・・」
フェンリルは、少しだけ思案するように顎を撫でる。僕は、じっとフェンリルを見詰める。
一体何が目的なのか?それ次第では、一戦交える覚悟を決める必要があるだろう。しかし・・・
やがて、フェンリルは静かに答えた。
「わしは、何よりも縛られるのが嫌いじゃ」
「何だって?」
僕は、思わず問い返す。それとこれと、一体どう関係があるんだ?
フェンリルは話を続けた。真摯な瞳で、強い瞳で、話を続ける。
「わしは、何かに縛られるのが嫌いじゃ。故、何者であろうとわしを縛る者は許さん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「故に小僧、わしに力を貸せ。終末王なぞと名乗る愚か者を倒す為に、わしに力を貸すのだ」
魔狼フェンリルは、真っ直ぐ僕を見据えて言った。それは、何処までも真っ直ぐな瞳だった。
僕は考える。恐らく、フェンリルの言葉は間違いなく信じられるだろう。何処までも実直で誠実な言葉だと僕は思うから、きっと彼は誠実なのだろう。それに・・・
縛られるのが嫌いだと言うのも理解出来る。彼は、最終戦争のその時までずっと縛られてきた故。
神々によって、ずっと縛られてきたが故にだ。
僕は、確認の為にフェンリルに問う。
「フェンリル、お前の話は理解した」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・うむ」
「だからこそ、お前に問おう。魔狼フェンリル」
「うむ?」
僕は、フェンリルに問う。真っ直ぐ、彼の瞳を見据えて。
「お前は、誰かに縛られるのが嫌だから反旗を翻す。只、それだけなんだな?」
「うむ、その通りだ。それこそ、わしを動かす最たる原動力よ」
即答だった。何の装飾もない、する必要のない、そんな言葉だった。
言って、魔狼は真っ直ぐな瞳で僕に笑った。それを聞いて、僕は腹をくくった。覚悟を決めた。
「そうか・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
そして、僕は魔狼フェンリルに闘志と共に笑みを向けた。
「解った。僕はお前に力を貸そう」
此処に、僕は、シリウス=エルピスは魔狼フェンリルと手を組んだ。
・・・・・・・・・
ちなみに・・・
「ところでフェンリル?少し聞きたいのだが・・・」
「む?何だ?」
「お前、その人間の身体が本体なのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・そんな訳なかろう。人化の術など珍しくもないわ」
こんな会話があったとか。
魔狼フェンリル登場。そして、まさかの共闘。




