3、堕天の明星
「ふむ、よもやあの巨人王が倒されるとは・・・」
「っ!!?」
空から声が、降り注ぐ。
突如聞こえた声に、僕は驚愕と共に振り向く。其処には、何時の間にか一体の堕天使が居た。
僕は、思わず戦慄した。思考が真っ白に染まる。絶望が、其処に在った。
美しい、とても美しい堕天使。思わず息を呑む程に美しい堕天使だった。輝く光輝を纏ったそれは正しく明けの明星の化身だろう。全ての堕天使の長、その名は・・・
「堕天使・・・ルシファー・・・・・・?」
「ほう?私の正体に気付きますか・・・・・・」
拙い・・・。そう、素直に思った。今、僕は巨人テューポーンとの戦いで消耗している。その状態でこのレベルの難敵を相手にするのは得策ではない。しかし、逃げられるとも思えない。
否、逃がしてくれる筈が無い。この堕天使が逃がさないだろう。
状況は半ば詰みに近い。下手をすれば、即刻死ぬ。それ程の脅威が目の前に居た。
どうする?苦戦を承知で一戦交えるか?それとも・・・
僕は、僅かに腰をかがめて身構える。今なら、何とか逃げられる可能性も無くもないだろう。その場合恐らく僕は奴の気を僅かに逸らす必要がある。その手段は?
僕は、軽く冷や汗をかく。さて、どうやって相手を出し抜くか?戦うにしても逃げるにしても、一体どのようにして相手を出し抜くか?全てはそれ一つに尽きるだろう。
僕が覚悟を決めたその瞬間、ルシファーが動いた。その手を僕に差し出す。
「・・・・・・?」
その意味が理解出来ず、僕は怪訝な顔をする。しかし、ルシファーは構う事無く告げた。
傲慢に笑いながら、堕天使は告げた。
「素直に投降する事をおすすめします。無銘の少年よ」
「っ!!?」
一瞬、言われた意味を理解する事が出来なかった。思考が真っ白になり、呆けてしまう。
それを理解したルシファーは、もう一度言った。
「素直に投降して下さい。貴方では私に勝てません。特に、今の手負いの状況では尚更です」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
その言葉の意味を深く考え、吟味し、そして・・・
僕は、その手に握った木剣を強く握り締める。瞬間、音を置き去りにして僕は奴に斬り掛かった。
今の僕じゃルシファーに絶対に勝てない。それを突き付けられただけで、僕の中の何かが切れた。
それは、安っぽい見栄やプライドのような物だったのかもしれない。しかし、それでも僕は、それを見過ごす訳にはいかなかったんだ。僕の中の何かが許さなかった。
音を置き去りにした、超速の一撃。捉えられる者など居ない筈だった。しかし・・・
しかし、それをルシファーは容易く長槍で受け止めた。何時の間に槍を出したのか?それは解らないがその槍が只の槍ではない事は理解出来る。その槍から、途轍もない力が感じられる。
明らかに、超常の神秘を宿した槍だった。
拙い。そう直感し、僕は即座に距離を取ろうとした。しかし、それよりもルシファーの方が速い。
刹那、樹海の大部分が一瞬の内に消え去った。それは、決して比喩ではない。
槍を薙ぎ払う。それだけの動作で、僕ごと森が薙ぎ払われた。広大な樹海の大部分が、意図も容易く薙ぎ倒されるのを、僕の視界が捉える。その壮絶さに、僕は絶句した。
軽く槍を薙いだ。それだけで、樹海の大半が見晴らしの良い空き地になったのだ。
無様に吹き飛ばされる僕。地面に勢いよく叩き付けられる。肺の中の空気を、血と共に吐き出した。
地面にゆっくりと降り立つルシファー。
「無駄です、貴方に私を倒す事は絶対に不可能。0,1%の確率もありません」
「ぐ、あ・・・・・・」
ルシファーは僕の首を無造作に摑み、ゆっくりと持ち上げる。みしりと、首が絞まる。
徐々に、首を絞める力が増してゆく。それは、単純に絞め殺す為ではない。
単純に、僕の首の骨をへし折る為だ。みしりと、僕の首の骨が軋んでゆく。骨が、悲鳴を上げる。
そんな中、それでも僕はルシファーを睨み付けた。瞳で、不屈を訴えた。
「あ・・・あ・・・・・・っ」
「終わりです。さようなら無銘の少年よ」
刹那———
ぼぎゃっ!!!僕の首から、致命的な音が響いた。僕の意識が、失われていく。僕が、消えてゆく。
腕に、身体全体に力が入らない。自然、だらんと腕を垂らす。
僕が、僕は・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ルシファーは僕を放り投げると、そのまま長槍を僕に向けて投擲した。音速を超えて、光速の三分の一に到達する勢いで、僕を貫く。そのまま、ルシファーは結果を見る事なく踵を返した。
瞬間、鮮血が舞った。
・・・・・・・・・
直後、無銘の中で何かが切れた。ルシファーの背後に回り、光すら置き去りにして木剣を振るう。
「っ、何!!?」
空気との摩擦により、炎を纏った木剣がルシファーの背中の翼を焼き切る。絶叫を上げながら、彼は地上に落下していく。しかし、彼が落下するより先に、無銘は空間を足場にして距離を詰める。
炎を纏った木剣で、更に何十、何百と切り刻んでゆく。その神速の斬撃に、木剣が軋みを上げる。
「・・・っ、馬鹿なっ‼そんな馬鹿なっ!!!何故生きている。何故、こうして立ち向かえるっ!!!」
何故、無銘は生きているのか?確実に殺した筈。もう、生きている筈は無い。その筈だったのに。
無銘には、首を折った跡など無かった。どころか、傷一つ無かった。ありえないっ、ルシファーは心の中で絶叫を上げる。馬鹿なと・・・ありえないと・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ルシファーのその問いに、無銘は答えない。答えられない。
今の無銘は、云わば暴走状態だ。無意識下で固有宇宙を振るう、それしか出来ない。要するに、理性の完全に消失した獣同然の状態だ。これを暴走と言わずに何というのか?
そして、それを理解したルシファーは小さく舌打ちした。
「図に乗るな、理性なき獣風情がっ!!!」
長槍を手元に引き寄せ、それを力一杯に投擲する。それは、光速の約三分の一を超えるありえない速度で無銘に向かって飛んでくる。だが、それを無銘は無造作に摑み取る。
衝撃波が、周囲一帯に可視可能な波となって広がった。ルシファーは目を大きく見開いた。
「・・・・・・・・・・・・」
「馬鹿なっ、ありえない!!!私の力を超えるなど、断じてありえないっ!!!」
ありえないと喚くルシファーに、無銘は無造作に空間を蹴って距離を詰める。そして・・・
ドスッ!!!鈍い音と共に、炎を纏った木剣が、ルシファーの胸を貫いた。
「あり、えない・・・・・・。断じて・・・ありえ・・・ないっ・・・・・・っ」
そう呟いて、ルシファーの瞳から光が消えた。そして、そのまま地面に崩れ落ちた。
堕天の王の、傲慢な王の、それが最期だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ」
ばたりっ。無銘はそのまま、力尽きたように地面に崩れ落ちる。その瞳は、何処までも空虚だ。
・・・その傍に、近寄る影が一つあった。
・・・・・・・・・
多次元並行宇宙。その何処でもない、真の外側にその男は居た。
宇宙樹の外側で、男は楽しそうに笑っている。
「やれやれ、まさか暴走するとはな。危うくまた、巻き戻す所だったぞ?」
「そういう貴方も、随分と楽しそうですけど?」
男に無造作に近付いてくる女性。年若い、まだ十七歳とも思える若さの女性だった。
童顔なのも手伝って、少女と呼んでも通じそうだ。今一実年齢が読めない。
その女性に、男は笑みを返した。
「お前か、アンナ」
「本当に、貴方という方は物好きですね。チーフ」
「ははっ、そう言ってくれるなよ」
そう言って、二人は視線を元に戻す。其処には、倒れ伏す無銘とそれに近付く影があった。
倒れる無銘、それに近付く謎の影。アンナにチーフとは一体?
謎は深まる。




