閑話、妹
これは僕がまだ、5歳の頃。ある日の出来事。
僕は家の前でひたすら素振りを繰り返していた。木剣を握り、ひたすら無心に振り続ける。
そんな僕を村の人達は変わり者と笑っていた。しかし、僕はそれでも木剣を振り続ける。
只、強くなりたいから。弱い自分が嫌だから。弱い自分が許せないから。
だから、僕は自分を鍛える。只、ひたすら鍛え続ける。
そんな僕に、近付いてくる人が一人居た。妹のミィだ。勢いよく僕に抱き付いてくると、にっこりと歯をみせて笑った。中々良い笑顔だ。
「ミィ、危ないぞ」
「大丈夫だよ。お兄ちゃんは私の事を傷付けたりしないから‼」
笑いながらそう言う妹。
いや、そういう問題では無いのだが。僕は溜息を吐き、抱き付いたまま放れない妹の頭を撫でた。
「んふふ~っ」
妹は気持ち良さそうに目を細める。何で、こんなに懐かれるんだろうか?
懐かれる理由に心当たりがない。全くの皆無だ。
「・・・はぁっ。じゃあ、僕は裏山に行って来るからミィは大人しく家で待ってなよ」
「え~っ」
心底嫌そうに僕を見る妹。そんな目で僕を見るんじゃない。
僕はうんざりとする。
「いやな?山道で転ぶと危ないだろう?」
「それはお兄ちゃんだってそうじゃない‼」
「僕は良いんだよ。こうして身体を鍛えているんだから」
妹はむぅっと頬を膨らませる。そんな顔をしても駄目な物は駄目だ。
「だったら、私もお兄ちゃんと一緒に鍛えるもん‼」
「・・・は?」
僕は一瞬、呆気に取られた。今、何て言った?
「私も一緒に鍛えるもん‼」
「いや、お前は止めておけ」
「なんでよ!!?」
「何でもだ」
意地でも僕に付いて行こうとする妹に、僕は深く溜息を吐く。本当、何でこんなに懐いたんだろう?
そんな僕に、母は微笑みながら言った。
「良いじゃない。裏山ならそんなに危険は無いでしょう?」
「いや、でも母さん」
「それとも、妹と一緒じゃ嫌?」
悪戯っぽく笑う母に、僕は溜息混じりに降参する。参りました。
「解ったよ。連れて行くよ」
「やったぁ‼」
うんざりとした顔で答えた僕に、妹はぱぁっと表情を輝かせた。やれやれだ。
・・・・・・・・・
結果、僕は妹の面倒を見る羽目になった。裏山を歩きながら妹にじゃれ付かれる。
「あははっ‼見て見て、あの木の模様何だか人の顔みたい‼」
「・・・はぁ。人面樹だな」
「お兄ちゃんお兄ちゃん‼あそこに野兎が‼」
「野兎なんて珍しくも無いだろうに」
「お兄ちゃん、大好き‼」
「へいへい・・・」
・・・はぁっ。こいつの相手は本当に疲れる。僕、なんでこいつに懐かれているんだ?
前世では妹萌えとかあったが、ぶっちゃけ面倒なだけだろう。そんな奴等の気がしれない。
僕の方がおかしいのか?
考えるほど、憂鬱な気分になった。そんな僕の気も知らずに、妹は無邪気に笑う。
「お兄ちゃんお兄ちゃん‼」
「あ?何だよ・・・」
「・・・・・・あれ」
言われて、見る。すると、其処には滅茶苦茶巨大な熊が居た。大体、二メートルくらいはあろうか。
大型の熊が僕達を見て、唸り声を上げる。どうやらかなり興奮しているらしい。
いや、何でさ。何故、この山にこんな大型の熊が居るのさ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うわぉ」
「あははっ‼熊だ!!!」
いや、笑っている場合では無いだろう妹よ。僕は顔を蒼褪めさせる。
ははっ、何でこう・・・面倒事ばかり。僕が空笑いした———
その瞬間、熊の腕が振るわれる。咄嗟に僕は妹を突き飛ばした。
「・・・えっ」
妹の呆けた声。直後、僕の身体に激痛が奔る。ぐぁっ!!?
吹き飛ばされ、激しく木の幹に身体を打ち付ける。一瞬、意識が飛んだ。
「ぐ・・・あっ・・・・・・」
「ひっ‼お、お兄・・・・・・」
「ぐるるるるるっ」
熊の視線が、妹に向く。どうやら、標的を妹に変えたらしい。
さっきとは打って変わって、怯える妹。僕は、木の幹にもたれ掛かったまま動けない。
さっき、背中を打ち付けたせいだ。
「た、助け・・・」
「ぐるあああああああああっ!!!!!!!!!」
「ひぃっ!!!」
僕は、咄嗟に手元の石を熊に投げ付けた。石は熊の背中に命中した。
「妹に・・・手を出すな・・・・・・」
「お、お兄ちゃん・・・・・・」
涙ぐんだ目で僕を見る妹。ああ、だから面倒なんだ。こういうのは・・・。
「ぐるあああああああああああああああっ!!!!!!!!!」
突進してくる熊。僕は、もうすぐ傍まで迫ったそいつに木剣を突き立てた。
木剣は熊の胴に深く抉るように刺さった。
「がああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!」
「ガッ!!?」
熊の絶叫。僕は、熊に弾き飛ばされた。身体が何度も地面をバウンドする。
「お兄ちゃん!!!」
朦朧とする意識の中、それでも僕は唇を嚙んで意識を保つ。
熊を真っ直ぐ睨む。そんな僕に、妹が駆け寄る。
「ぐるるるるるうっ」
僕を睨み、唸り声を上げる熊。そろそろ駄目か。そう思った直後———
「ファイア!!!」
鋭い声が響く。直後、熊を紅蓮の炎が包み込む。
「グギャアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!!!!!!」
炎の熱が、僕の肌を焦がす。かなりの熱量だろう。
炎に呑まれ、やがて熊は灰となって消えた。
「・・・・・・・・・・・・」
其処に居たのは母親の姿だった。鋭い瞳で熊を睨む、母の姿。その姿は、息を呑むほど凛々しい。
もう、限界だ。
僕の意識は、其処で途切れた。意識が暗転する。
・・・・・・・・・
次に目を覚ましたのは翌日の昼頃だった。目が覚めると、其処は自分の家だった。
僕は、ベッドに寝かされている。ふかふかの羽毛のベッドだ。
どうやら、帰ってきたらしい。
「目を覚ましたようね」
「・・・・・・母さん」
母親は優しい笑顔で僕を見ている。どうやら、さっきまで看護していたらしい。僕は俯く。
見ると、僕のお腹を枕代わりに妹がすやすやと寝ていた。その頭を、そっと撫でる。
妹が安心したように微笑んだ。胸の奥が痛む。けど、これは妹を想ってでは無い。
「・・・・・・ごめんなさい」
「あら、何に対して謝っているのかしら?」
「妹を、危険な目に会わせて・・・」
母と目を合わせられない。僕が兄なのに、妹を危険な目に会わせた。怖い思いをさせた。
それが、申し訳なかった。
しかし、それに対する母の返事は優しい言葉だった。
「馬鹿ね。貴方が気を負う必要は無いのよ」
「けど・・・・・・」
それでも食い下がる僕を、母は優しく抱き締めた。優しく、温かい抱擁だ。
「妹を守ろうとしたんでしょう?その想いだけでも充分よ」
「・・・・・・でも」
僕は、兄として誇れるような人間じゃ無い。僕は・・・僕は・・・。
「貴方は兄として立派よ。充分誇っても良いわ」
「でも・・・それでも・・・・・・」
「うう・・・んんっ・・・・・・」
どうやら、妹が目を覚ましたらしい。目をこすりながら僕を見る。
「お兄、ちゃん・・・?」
「・・・・・・・・・・・・っ」
「お兄ちゃんっ!!!」
妹は僕に抱き付き、わんわんと泣きじゃくる。そんな妹を抱き締め返しながら、僕は想う。
(違うんだ、母さん。こんな状況でも、僕は面倒にしか思っていないんだよ)
そう、僕は兄失格だ。僕は妹が危険な目に会った時でさえ、面倒だと感じていた。
結局、僕は何をやっているんだろうか?
・・・じゃあ、何故僕はあの時妹を助けようとしたんだ?
ふと、疑問に思った。そういえば、何故僕は妹を助けようと?
何故、僕はそれほど大切でもない妹を助けようと思ったのか?解らない。一体、何故?
考えても、僕には理解出来なかった。僕には、解らなかった。