6、神王と邪神
邪神ヤミ。その名を聞いて、僕とリーナは思わず目を見開いた。その名を僕達は知っている。
その名は、このウロボロスの世界において有名すぎるほどに有名な、おとぎ話の怪物だ。
「ヤミって、あのおとぎ話に出てくる邪神のヤミですか?」
「その通りだ。邪神ヤミ、全ての悪徳を司る者。宇宙の原罪。悪性精神生命」
「・・・・・・・・・・・・」
ヤミ・・・。悪性の精神生命。
その名はこのウロボロスの世界において、余りにも有名な邪神の名だ。誰だって、子供の頃におとぎ話として親から聞かされる。そういう類の物語だ。
僕も、子供の頃に母から枕元でよく聞かされていた。要は、そういう類の話。
邪神ヤミと神王デウスの戦いは、今となっても尚語られる有名な物語。神話だ。
黒い竜と神王の神話———
・・・それは、ウロボロスの世界の創世より少し前の話。ウロボロスの世界が存在する前から、宇宙は数多く存在していた。神王はそれらの宇宙を渡り歩いていたという。
宇宙は元々、調和と調律によってバランス良く整っていた。しかし、だ・・・
ある日、宇宙から零れ落ちたどす黒い悪意の雫が一つの生命として命の炎を灯した。それが、一匹の黒いドラゴンの姿になる。それが、生まれたばかりのヤミだ。
余りに邪悪で醜悪だった。こんな生物がいて良いのか?存在して良いのか?神々は疑問を抱いたと。
一言で言えば、歪みだった。歪で醜悪だった。
ヤミは憎悪や憤怒、嫉妬などの負の感情の集合体である精神生命だったという。即ち、本質的には神霊種と同質の存在だった。故に、彼は邪神と呼ばれた。
正と負の違いはあれど、それは間違いなく神霊種と同質の何かだった。只、根本的にそれは神霊種とは違う何かであっただけだ。同質で、しかし根本的に違う何か。それがヤミだ。
産まれたばかりのヤミは暴れまわった。己の衝動のまま、破壊の限りを尽くしたという。嘲笑しながら破壊と殺戮を繰り返した。その姿はまさに、邪神と呼ぶに相応しい。
腕の一振り、尾の一振りで星々を破壊した。口から吐かれる閃光は、それだけで神々を滅ぼした。
ヤミを前にした神々は混乱し、逃げ惑った。一匹の邪神を前に神々は戦う事すら出来なかったのだ。
しかし、それを前に只一人。否、一柱だけは逃げなかった。それが、神王デウスだ。
当時の神王はヤミを相手に、全知全能たる力の全てを駆使し戦った。しかし、それでも尚、彼は苦戦を強いられたという。あらゆる智慧、あらゆる権能を駆使しても、その邪神を倒すには至らない。
精神生命の力は、即ち精神の強度に依存する。心の強さこそが、精神生命の力の根源だ。
・・・即ち、心の質量だ。想いの強さが精神生命の強さに直結する。
邪神の有する圧倒的な精神力は、超質量となって無限にすら匹敵する力を生んだ。その超質量の精神力がヤミを最強の座に押し上げたのだ。要するに、そもそも精神生命としての格が違ったのだ。
しかし、それでも神王は諦めなかった。戦い、戦い、最後まで戦い抜いた。
剣が折れ、矢が尽き、血に塗れて土に塗れても尚、それでも彼は戦った。
神王の最強の武装である勝利の槍と王の鎧、それらが全く通用せず。鎧が自身の血に染まり、ボロボロになり果てても戦い抜いた。槍を手に、最後まで戦った。
そして、ようやく神王はヤミを封印する事に成功したという。どのようにしてヤミを封印する事に成功したのかは語られていない。しかし、神王はヤミを封印した。
封印されたヤミは、深淵の奥深くに封じられたという。厳重に、強固な封印だ。
神秘の鎖で縛り、その上から二重にも三重にも封印を重ね掛けして、厳重に地下深くに封じた。
・・・そのヤミが、復活寸前だという。僕もリーナも、思わず閉口した。
神王は真剣な表情で、僕を真っ直ぐ見た。その瞳には、強い想いが籠められていた。
「実際はあの時、俺の他に二人の協力者が居たんだ。その二人こそ、世界で初めて固有宇宙に目覚めた男とはじまりの巨人だった。その二人の協力が無ければ、俺はヤミに勝てなかっただろう」
「「!!?」」
断言する神王に、僕とリーナは愕然とする。神王がそう言う程なのだ。恐らく、かなりの物だろう。
僕は思わず、息を呑んだ。果たして、僕はその邪神を封印する事が出来るのか?
そんな疑念が、ふと頭をもたげた。それを察したのか、神王が苦笑を浮かべる。
そして、神王は大丈夫と口にした。
「大丈夫だ。リーナ=レイニーの巫女としての資質と、お前の持つ聖剣があれば可能性は充分ある」
「・・・・・・何だって?」
僕は思わず、怪訝な声を上げた。しかし、神王は相変わらず真剣な表情で頷く。その表情が、必ず成功させるという覚悟を宿している。その覚悟に、僕は気圧された。思わず押し黙る。
その瞳の奥に、僕は神王としての強さを垣間見た気がした。
「お前の持つ聖剣の力とリーナ=レイニー程の才能があれば、確率はかなり上がる。いや、必ずや成功させて見せるとも!!!絶対にだ!!!」
神王のその瞳には、強い意思の炎が燃え上がっていた。絶対に封印を解かせる訳にはいかない。そんな意思の力が宿っていた。その覚悟の強さに、僕は閉口する。
一体、神王の過去に何があったのか。それは解らない。けど、恐らくは何かあったのだろう。
そう、感じ取った・・・。
・・・・・・・・・
同時刻、地下牢獄タルタロスへと続くとある建物の中。ある一室に大量の死体が積み重なっていた。
余りに惨く、凄惨な現場だった。ほとんどの者が、死んでいた。生きている者など・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
生き残りの青年は、死体の中で必死に息を押し殺す。押し殺して、身をひそめる。
血の海だった。その中心に、青年と悪魔の二人が居る。終末王とΩだ。二人は血の海の中、静かに嗤いながら佇んでいるのだ。その不気味な光景に、唯一の生き残りは血の海の中でゾッと怖気が奔った。
余りに惨い光景に、生き残りは嘔吐を堪えた。吐き気がするのを必死で堪える。
もう、耐えられなかった。息をひそめる事に耐えられず、青年は問いを投げ掛ける。
「な・・・ぜだ・・・・・・?何故、こんな事を・・・・・・?」
「あ?」
見下ろす・・・。
終末王は、その生き残りの青年を見下ろした。青年はその瞳の中の闇の深さにゾッとする。一体どのような歪な人生を歩めば、このような目をする事が出来ると言うのか?彼には解らなかった。
しかし、青年は恐怖を押し殺し、叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
「何故だ?封印を解けば、どのような事になるか解っているのか⁉」
「そんな事、僕にとって望むところだね‼」
「っ、な!!?」
終末王は嗤った。その歪な笑みに、青年は絶句した。終末王は嗤いながら、剣先を振り下ろす。
周囲に血の華が散る。赤が更に、濃度を増した。
そして、再び室内は静寂に閉ざされた。血の海に、立っているのは二人のみ。終末王とΩのみ。
「往くぞ、ディー。邪神の復活は近い・・・」
「くはっ、わくわくして来たっ♪」
終末王は嗤う。Ωも嗤う。二人は嗤いながら、地下へと足を踏み入れた。
・・・その光景を、物陰から見ている者がたった一人。その少年は、がたがた震えながら呟く。
少年は恐怖に震えた。少年の頭には、先程殺された兄弟の絶望の顔が焼き付いていた。そう、先程殺された青年は彼の兄弟だ。殺された青年は、実の弟を庇う為に犠牲になったのだ。
それを理解している少年は、恐怖を押し殺して物陰から這い出す。
「は、早く・・・。早く神王陛下にお伝えせねば・・・・・・。大変な事に・・・・・・っ」
少年は震える身体に鞭を打ってその場を後にした。其処に、もはや生きている者は一人も居ない。
再び場は静寂に満たされた。邪神の復活まで、あと僅か。




