5、道祖神
「・・・・・・・・・・・・迷った」
何処だ?此処は・・・。
深い森の中、僕は道に迷っていた。地図を取り出し、道を探すが現在地が解らない。うん、完全に道に迷ったらしい。
うむむっ・・・、どうした物か。流石にこれは、そろそろ焦った方が良いのか?
日は既に昇りきり、遥か上空にある。もう、時刻は昼だ。空腹に、足元がふらつく。
・・・ああ、ハラへった。
そんな僕の鼻に、肉を焼く良い匂いが漂ってくる。どうやら何処かに人が居るらしい。
その時、僕は空腹のあまり冷静な判断能力が欠けていた。冷静に考えていれば解るだろう。こんな深い森に人が居るのは変だと。
しかし、僕の足は、自然と匂いのする方へと進む。ああ、足が止まらない。
そして、僕は森の更に奥深くへと入り込んでいく。
・・・・・・・・・
「ふむ、こんな森の奥深くに人の子が入り込むとはのう」
其処には背丈の小さな老人が一人、肉を焼いていた。僕の視線は、自然と肉へと注がれる。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・ふむ、食うか?」
僕は黙って頷いた。腹がへって言葉も出ない。代わりに僕の腹が盛大に鳴る。
それを察したらしい老人は苦笑と共に、僕に肉の刺さった串を渡した。
僕は肉を受け取ると、そのまま噛り付いた。ああ、肉が美味い。
そのまま僕は老人に勧められるまま、串焼き肉を十本以上平らげた。ああ、美味かった。
・・・と、其処で僕はようやく気付いた。この状況の不自然さに。
この老人、誰だ・・・?
「・・・じいさん、何者だ?」
「・・・・・・ふむ、ようやく気付いたか。まあ良い」
老人はこほんっと咳払いをすると、名乗りを上げた。
「わしはこの森の土地神、道祖神じゃ」
「道祖神?それって路傍の神、境界の神の事か?」
道祖神とは、道辻などに主に石碑や石像などの形で祀られる神の事だ。
主に旅人や村の内外という境界を守護している。
「うむ、その道祖神で間違いない。まあ、此処には昔ある村が栄えておったのじゃよ」
「ふむ」
「まあ、その村も時代の流れに逆らえずに廃村となったのじゃが」
「・・・・・・そうか」
僕は淡白な返答を返した。しかし、一体その何が気に入ったのか道祖神は楽しげに笑った。
無表情を顔に張り付ける僕と、朗らかに笑う道祖神。笑う道祖神に、笑わない僕。
一体、何がそんなに楽しいのだろうか?
しかし・・・。
「はははっ、しかしまあ。お前さんはどうやら前世を覚えているようじゃな」
「・・・・・・何故、その事を?」
初めて、僕の表情が一変した。その表情を何と表現するのか、僕は知らなかったが。
けど、間違いなくこの時の僕は警戒心が一気に上がっていただろう。
道祖神は相変わらず笑っている。
「ははっ、そう睨むでない。そのくらい見れば解るわい」
「・・・・・・神様の力って奴か?」
「いやいや、長年の勘という奴じゃよ」
勘。勘と来たか。
僕が胡散臭げに見ると、道祖神は楽しげに笑った。何がそんなに楽しいのか?僕には解らない。
「勘は大事じゃよ?どんな時でも役に立つ」
「はぁ、さいですか」
全く、大した自信だ。呆れた視線を道祖神に向ける。しかし、それでも道祖神は気にしない。相も変わらず笑っている。
僕はそろそろ立ち去ろうと、腰を上げる。しかし・・・。
「まあ待て。少し、わしと話をして行こうでは無いか」
「・・・・・・・・・・・・何故?」
「身構えるでない。わしもお前さんと話がしたいだけじゃ」
・・・その表情に邪気は無い。話がしたいと言うのも嘘では無いだろう。
僕は構えを解いた。しかし、警戒はまだ解かない。僕はまだ、この道祖神を信じてはいない。
「・・・・・・何だ?」
「まあ、何じゃ・・・・・・そうじゃな。この世界の事でも話そうかの」
「・・・?この世界の?」
僕は思わず、怪訝な顔をした。道祖神は尚も笑う。
「お前さんはこの世界に対してどのような認識でいるのかの?」
「ふむ・・・」
渾沌世界———ウロボロス。七つの大陸と、大海で出来た世界。
人類、魔族、幻想種、巨人、神々。様々な種族が混在する世界。剣と魔法のファンタジーな世界。
「ふむ、なるほどの。粗方の知識はあるか」
「・・・・・・・・・・・・はぁ」
「まあ、そう不服そうな顔をするでない。要は、このウロボロスの世界は物質世界と精神世界の両側面を持った世界なんじゃよ」
「・・・・・・・・・・・・」
・・・その後の話を纏めると、つまりこういう事らしい。
人間の住む物質世界。悪魔や神々、幻想種が住む精神世界。その両側面を兼ね備えた渾沌世界だ。
全ての確率世界や因果律の上位に位置し、多元宇宙の外側に存在する。
「つまりじゃな、この世界は全ての可能性と因果を超えた果てに存在する神造世界じゃ。世界そのものの存在密度も桁が違う」
「存在密度?」
「要は、世界そのものの質量ともいうべきものじゃ」
世界そのものの質量。・・・つまり、何か?この世界は他の世界よりも密度が高いから、遥か上位に位置しているという事か?
「・・・・・・???」
「まあ、深く理解する必要性は無い。今はその認識で構わんわい」
「・・・・・・はぁ」
何れ解る。そう道祖神は言った。相変わらず、その顔は笑っている。
結局、あまり良くは解らなかった。解った事なんて、この世界が神の力で創られた事ぐらいだ。
「ふむ、そろそろ頃合いか。お前さんも行くあてが無いなら、此処から東方にある神山に行くが良い」
「神山?」
「その神山に棲む山神が、お前さんを導いてくれる筈じゃ」
「・・・・・・・・・・・・はぁ」
僕はそれだけ言って、道祖神が指差した方へと行った。
別に、あの道祖神の言う事を聞く義理は無い。しかし、今の僕に行くあてが無いのは確かだ。ならその神山に行ってみるのも良いだろう。
そう思い、僕は森を進んで行った。
・・・・・・・・・
少年が森を去ったのを確認した道祖神はおもむろに背後の空間に声を掛けた。
「これで良かったのかの?」
「ああ、上出来だ」
道祖神の背後に、一人の青年が現れる。
燃えるような黄金の髪に輝く黄金の瞳。浮かべる笑みは超越者の風格を漂わせている。
神。まさしくこの男こそ、神の名に相応しい力強さを感じさせる。
「まさか、おぬし程の者が一人の人間に肩入れするとはの。神王デウス」
神王デウス。そう呼ばれた男はふっと意味ありげに笑った。
「私とて驚いているさ。しかし、現にこうして一人の人間を転生させている」
「そうか。・・・しかし、良いのか?あの少年、おぬしの事を忘れておるぞ」
「・・・確かに、あれは私も予想外だった。前世の記憶を引き継がせて転生させたのは良いが、私と会話した事を丸ごと忘却するとはな」
そう、彼の少年をこの世界に転生させたのは神王デウスだ。
決して報われぬ人生を送った彼を哀れんだ神王。そんな彼に、あの人の子は言った。
『僕を哀れに思うなら、僕を僕のまま次の生を送らせて欲しい』
人の子は言った。特別な力も権限も要らない。只、僕は僕でありたい。
僕は自分が自分であると誇りたいと。
その言葉に深く感動したデウスは彼を彼のまま、厳密には記憶を保持したまま転生させた。
「何より、あの少年は生きる事を諦めていなかった。一度は絶望し、自殺したにもかかわらずな」
そう、少年は生きる事を諦めてはいない。むしろ前世の事を激しく悔い、必死にあがいていた。
其処で、道祖神はなるほどと納得した。
つまり、この神王は彼を気に入っているのだ。深い絶望の中、それでもあがきつづけるその魂を。
本来、生きている事自体おかしいのだ。それほどの絶望を宿しながら、それでも彼は生きている。
何時自壊してもおかしくないボロボロの魂。それでも、彼は輝いていた。
その輝きを失わせたくない、そう感じたのだろう。故に記憶を引き継いだ転生という特別を許した。
それを理解した道祖神は薄っすらと笑った。