8、エルピス伯爵家
それからしばらくして、僕達はエルピス伯爵領の町に着いた。もう夜だが、魔法による街灯が明々と灯されて人で賑わっている。うん、かなり活気付いているな。
母から聞いた事がある。大きな町に行けば、魔法による街灯で町中が明々と照らされていると。どうやらこの町もそうらしい。
馬車は町を真っ直ぐ進んで行き、やがて大きな屋敷へと着いた。馬車が入口の門を潜る。
「此処が、僕の新しい家?」
「・・・そうだ。今日から此処にシリウスは住むんだ」
父はそう言うと、僕の頭を優しく撫でた。その顔は穏やかに微笑んでいる。
その屋敷は庭からしてとても広く、かと言って無駄にきらびやかという訳でも無い。とにかく、とても大きな屋敷だった。
馬車を降りると、其処には一人の執事が居た。白髪混じりの初老の男だ。細身だが、引き締まった身体をしているようだ。
僕は一目で理解した。この執事、かなり出来る。立ち姿に全く隙が無い。
恐らく、この場で僕の次に強いだろう・・・。そう理解した。
「旦那様、お帰りなさいませ。リーナお嬢様もお久しぶりでございます・・・。それから、こちらの少年はどちら様でしょうか?何処となく、マーヤー様に似ていらっしゃるような・・・」
執事は僕の顔をしげしげと見詰める。ああ、この執事も母を知っているのか。
「ナハト、私の息子のシリウスだ。これからよろしく頼む・・・」
「何と⁉」
執事は驚いた顔で、僕を凝視した。そんなに驚く事か?・・・驚く事か、まあ。
それよりも、執事はナハトというらしい。僕はナハトに頭を下げた。ナハトは僕をじっと見詰める。
その目は、僕を品定めするような目だ。一体何なのか?
「・・・・・・えっと、何でしょうか?」
「なるほど、隙が全くありませんな。これからよろしくお願いします、シリウス坊ちゃま」
「・・・???」
僕は思わず怪訝な顔をする。一体何なんだ?
父は苦笑しながら僕に助け舟を出した。
「シリウス。今日からお前の専属の執事になるナハトだ。お前の教育係でもある」
「・・・・・・なるほど」
僕は納得した。つまり僕はナハトに気に入られたと、そういう事になるのかな?
いや、気に入られたというよりは認められたという事か・・・。どちらかと言えば。
まあ、修行の成果で姿勢は問題ないと思うが。貴族としてのマナーや礼儀とか色々学ばねばならない事もあるだろうけど・・・。なるほど、面倒だ。
しかし、貴族の家に入る以上は泣き言を言っても居られないだろう。僕にだってそれくらいは解る。
僕はナハトに頭を下げた。
「よろしくお願いします・・・。ナハトさん」
「はい。わたくしめこそよろしくお願いします・・・。シリウス坊ちゃま」
ナハトは鷹揚に笑って頷いた。そして、僕達は屋敷へと入っていく。
・・・・・・・・・
屋敷の中に入ると、メイドや執事がずらっと並んでいた。その数は此処に居るだけで何十人にもなるだろう数が居る。それでもきっと、全ての使用人のほんの一部なのだろう。
その数に、僕は呆然とした。いや、思わず僕は硬直した。そんな僕の姿に、父は苦笑する。
「どうした?早く来い」
「あ、はい・・・」
父に背中を押され、僕は大勢のメイドと執事の前を歩く。集まる好奇の視線。中々落ち着かない。
それに気付いた父が咳払いする。瞬間、視線が逸れた。しかし、こそこそ何事か話している。それが何だか落ち着かないんだが・・・。
ふと、メイド二人の会話が聞こえた。
(あの子、誰かしら?)
(さあ?けど・・・何処かマーヤー様に似ていない?あの黒髪とか、青い瞳とか・・・)
(マーヤー様?)
(ああ、貴女は知らなかった?旦那様の奥様よ。十九年近く前だったかな?急に行方不明に———)
「ん、んんっ!!!」
父が大仰に咳込む。メイド二人は慌てて黙り込んだ。ふむ、父と母に一体何があったのか?
しかし、父の今の様子からどうも隠しておかなければ都合が悪い何かがあるらしい。
それは一体何なのか?けど、父の僕に対する対応から、邪険にされている気配は無い。メイド二人の話から考えるに、行方不明になったのは今から十九年程前。つまり僕が生まれる前だと推測出来る。
だとすれば、その直前に何かあったのだろう。僕はそう結論付けた。
・・・屋敷の中を歩く僕と父。リーナは既にある部屋を与えられ、現在はその室内に居る。
僕は前を歩く父に話し掛けた。何故だか、その話をしたくなった。
「・・・・・・えっと、父さん?少し良いですか?」
「ん?何かな?」
「母さんとは一体何があったんですか?・・・あの、さっきのメイドの話が」
「・・・・・・・・・・・・」
黙り込む父。その顔は見えないが、何処か辛そうに感じるのは気のせいだろうか?・・・いや、恐らくは気のせいではないだろう。僕はそう感じた。
・・・もしかして、話してはいけない事だったか?僅かに不安になる。
「もしかして、話しづらい事ですか・・・?」
「・・・・・・すまん、今は話せない。また近い内に話す」
「解りました・・・」
それだけ言うと、僕と父は再び歩き出した。父の背中が何処か、寂しそうに見える。
・・・恐らく気のせいでは無いだろう。何処か、父は寂しそうだ。
「・・・・・・しかし」
「・・・はい?」
「俺はお前達の事を愛している。それだけはどうか信じてくれ・・・」
父の声は何処か震えていた。それはきっと、愛する家族に拒絶される事を恐れているのだろう。
だから、此処で僕が言うべき言葉は一つだけだ。
「はい。信じます・・・」
それを言って、僕は自分で失笑した。
一体どの口がほざくのか。これまで、誰一人として信じた事のないこの僕が・・・。
けど、それでも。僕は父の言葉を信じたいと思った。信じようと思った。なら、僕は父の言葉を信じようとそう思う。それが、僕が変われるきっかけとなれるなら。
(—————————っ)
・・・もし、それで裏切られたら?ふと、そんな考えが僕の頭を過った。
もしその気持ちが裏切られたら?それで傷付くのは他ならぬ僕自身では無いのか?
それで、一体何度傷付けば気が済むのか?傷付いて、傷付いて、それで一体僕に何が残った?
次々と、それ等の言葉が頭の中を過る。しかし、僕はそれ等の言葉を全て一笑に伏す。
下らない。馬鹿馬鹿しい。裏切られたら、所詮はそれだけの事だ。結局は全部その程度だろう?
僕は、僅かに乾いた笑みを浮かべた。そんな自分自身すら、僕は信用しない。
・・・僕はそういう人間だから。つまる所、僕はその程度の人間だ。
・・・・・・・・・
僕は用意された部屋の中でベッドに仰向けになって寝ていた。目を閉じて、物思いに耽る。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
閉じた瞳に、神山を下りてからの今日の一日が浮かび上がる。
森の中でリーナと再会した。アンデッドの猟犬と戦い、アンデッドと化したセバさんを助けた。
リーナの両親を助ける為、公爵と対峙しその裏で暗躍していた魔物と戦った。そして。
その後、僕は父と出会った。父と出会い、結果僕は父の許で暮らす事となった。
・・・何だ、これは?思わず僕は苦笑した。
中々濃い一日だ。こんな事、滅多に無いだろう・・・。思わず僕は笑ってしまう。
「・・・・・・・・・・・・リーナ、か」
ふと頭にリーナが浮かぶ。何故、あの娘はあんなにも僕に好意を抱いてくれるのだろうか?
リーナは僕が優しいと言った。僕の事を優しいと言った。しかし、僕はそうは思えない。
・・・僕は、結局は甘いだけだ。優しくはない。むしろその甘さにうんざりとしている所だ。
僕には解らない。何故、リーナが僕に好意を持つのか。どうしてそんなに僕を愛してくれるのか。
・・・ずきりと、僕の胸が痛む。
解らない。考えても、僕には理解出来なかった。理解出来ないまま、やがて僕は眠りに付いた。
・・・もう、何も解らない。何も考えたくなかった。
優しさと甘さは表裏一体です。要するに、カードの表と裏ですね。




