プロローグ
・・・時が過ぎ、あの日の少女は少しだけ大きくなった。
かつて、少女だった彼女はもう18歳だ。
レイニー伯爵家の一人娘、リーナ=レイニーは森の中を走っていた。険しい山道を、彼女は息を切らせて必死に走り続ける。必死に逃げ続ける。
リーナは必死に走る。息を切らせ、土に塗れようと、それでも足を止める訳にはいかなかった。
足を止めれば、瞬く間に追手に追い付かれてしまうだろう。・・・そう、リーナは追われていた。
一体誰に?リーナを追っているのは何者か?・・・それは。
「ぐるあああああああああああああああっ!!!」
獣の絶叫が、森の中を響く。そう、リーナは魔物に追われているのだ。
それも只の魔物では無い。猟犬の姿をした、黒い魔物だ。それも、アンデッド。屍の魔物だ。
「はあっ・・・はあっ・・・」
走る。走る。リーナは必死に走り続ける。追い付かれないように、足を止めない。
足を止めれば、瞬く間に追い付かれるだろう。そうなれば、リーナは魔物に食われるだろう。魔物の餌となりその糧となるだろう。
そうなれば、リーナを逃がした父と母の苦労が水の泡となる。それだけは避けねばならない。
それだけは、絶対に嫌だった。
それに、リーナはまだ死にたくない。まだ生きたい。こんな所で朽ち果てたくなかった。
だから、必死で逃げる。必死に逃げ続ける。まだ、死にたくない。こんな所で死ぬ訳にはいかない。
足がもつれようと、悲鳴を上げようと、それでも走り続ける。逃げ続ける。
・・・そして、必死に逃げ続ける中、リーナは目の前に一人の青年の背中を見た。
何故、こんな所に人間が⁉リーナは目を見開いて、驚く。
早く、青年に逃げるよう言わなければ。青年を巻き込んではいけない。そう、思った・・・。
・・・しかし、何故だろう?リーナの心の中で何かが引っ掛かった。この感覚は、懐かしさ?
ふと、頭に浮かぶのはかつて自分が初めて恋した少年の姿。その、後ろ姿と青年が重なる。
何故、こんな時に彼の姿が浮かぶのか?何故、彼と目の前の青年が重なるのか?
不思議と胸が高鳴った。心臓が鼓動を速める。
「・・・あっ。あの、其処に居たら危ないですよ!!!」
気付いたら、リーナは青年に声を掛けていた。はやる鼓動を抑え、その青年に声を掛けたのだ。
息を切らしながらの、掠れた声だった。しかし、それでもリーナは何とか声を掛けた。
声を掛けずに居られなかった。
「・・・あ?僕か?」
怪訝そうな声。その声は、この状況に余りにも似つかわしくない軽い物だった。
青年が振り返る。その姿を見て、リーナは愕然と目を見開いた。思わぬ運命のイタズラに、思わず彼女は卒倒しそうになるのを必死にこらえた。
見間違えようも無い。その顔、その雰囲気。そして、何よりもその黒髪に青い瞳。
リーナの中で、一瞬時間が止まる。彼女の心臓が早鐘を打つ。
そう、彼こそリーナの初恋の人。無銘の少年と再会した瞬間だった。




