10、覚醒の時・・・
瞬間、燃え盛っていた筈の黒炎が突如消し飛んだ。一度発火すれば、宇宙そのものすらも焼き尽くすとされている黒き炎がだ・・・
その光景に、呆然と見ていたハクアとミトロギアも、嘲笑を浮かべていた悪魔Ωすらも、驚愕の表情を浮かべて我が目を疑っている。しかし、黒炎を放った当人である筈のナハッシュはさも当然のようにその光景を見て笑みを浮かべている。それもその筈、ナハッシュはこの展開を固く信じていたからだ。
そう、ナハッシュはこの展開を固く信じていた。
・・・今なら解る。そう、ナハッシュは本気で僕を信じていたのだ。僕の真の覚醒を。
黒炎を払ったその手で、僕は天を指差す。そして、厳かにある言霊を唱える。
———覚醒の言霊を。新たな時代の到来を。
「覚醒の時は来た。さあ、全ての人類よ———目覚めよ!」
その言霊は全ての宇宙、全ての次元に伝播し、そして人類を覚醒に導く。その瞬間、全ての多次元並行宇宙で全人類が固有宇宙に覚醒を果たした。それは、即ち宇宙が新たな時代を迎えた事の証明。
・・・宇宙の更新の時だ。宇宙が、新しく生まれ変わる。
それを見ていたΩは心底悔しそうな笑みを浮かべ、その場から消え去った。Ωの気配は既にこの場から完全に消失している。それこそ、今まで居た痕跡すらも最初から無かったかのようだ。
そして、ナハッシュはその光景に感極まったような笑みを零す。実に嬉しそうに、笑みを零す。
それはまさしく、待ち望んでいた時がようやく来た事を喜ぶようだ・・・
「素晴らしいっ!実に素晴らしい!これで、これで私は・・・・・・」
「これで、お前は役目を終える事が出来る・・・か・・・・・・?」
歓喜に満ちた笑みを浮かべるナハッシュに、僕は問い掛ける。ナハッシュは黙って頷いた。
・・・やはり、な。やはりそうだったか。
「エンシェントロード、ナハッシュ。お前はやはり、もうゆっくりと眠りたかったんだな」
「・・・うむ。そもそも私は既に過去の遺物。もう既に引退して然るべき存在故な」
ナハッシュは元は、原始宗教の時代の女神だ。そもそも、今の神王が台頭した瞬間に過去の存在と成り果てた旧時代の女神。しかし、そんな彼女が今まで生き続けた。それは、偏に人類の為だ。
人類が存続する為、彼女は今まで存在を保ち続けてきた。しかし、それももう終わりだ。もはや人類が未来を手にした今、その役目を完全に終えたも同然だ・・・
・・・ナハッシュの姿が、僅かに薄くなる。存在が、曖昧になって消えてゆく。
エンシェントロード、ナハッシュ。その表情はとても晴れやかだった。
しかし、それでも僕は何処か納得がいかなかった。理屈ではない。感情が納得出来なかった。
「・・・お前は、本当にそれで良いのか?ナハッシュ。これからの人類の行く末を、只見守っていくとしてもそれでも誰も文句は言わない筈だ」
「ああ、それはとても素晴らしいのかもしれない。しかし、私は既に過去の遺物だ。そんな私が何時までも居て良い筈が無いだろう?」
「・・・それは、っ」
「それは違うよ・・・」
割り込むように、ハクアが言葉を挟んできた。ハクアの顔はとても真剣だ。ミトロギアも、至極真剣な表情で此方を見ている。少しばかり、怒っているのかもしれない。
そう、二人は怒っているのだろう。勝手に納得して、勝手に消えていくナハッシュに。
理屈ではない。感情の問題だ・・・
「ふむ・・・、違うとは?」
「ナハッシュ・・・確かに、貴女は既に過去の時代の女神なのかもしれない。しかし、それが貴女が消えなければならない理由にはならない筈だ」
「ふむ、しかし私が何時までも居座り続ければ、後の人々に迷惑がかからないか?」
ナハッシュは僅かに瞳を揺らしながら、そう問い掛けた。僅かに、心が揺さぶられているようだ。
彼女とて、本当はもっと人と寄り添っていたいのだろう。本当は、人類と共に歩みたいと、そう感じているのかもしれない。だから、揺さぶられている。
そんな彼女に、ハクアは首を左右に振った。
「一体誰が迷惑に思うと?誰も迷惑になど、思う筈が無いだろうが・・・」
「いや、しかし・・・・・・」
それでも尚、首を縦に振らないナハッシュ。そろそろ焦れてきたハクアだが・・・
其処に一人、言葉を挟む者が居た。
「なら、俺がその身柄を預かろう・・・・・・」
「っ、お前は・・・」
そう言ってきたのは、竜騎士のグレゴリーだった。グレゴリーは憑き物が落ちたような、実に晴れやかな顔をして僕達を見ていた。どうやら、彼なりに結論は付いたらしい。
或いは、彼も固有宇宙に覚醒した故に何か答えを見たのかもしれない・・・
グレゴリーは、僕の方を見て僅かに笑みを零した。それは、事実答えを得たような笑みだった。
「固有宇宙、だったか?それに覚醒を果たした今、俺にも答えが見えた気がしたよ・・・」
「答え、ね・・・」
彼の固有宇宙が一体何なのかは解らないが、それでもどうやら答えは得たらしい。ならば、彼はそれで良いのかも知れないと、僕はそう感じた。
「ああ、お前の言い分も理解した。しかし、その上で俺はそれでも正義を信じたい。だから、その上で俺はまずエンシェントロード、ナハッシュの身柄を預かりたい」
そう言って、グレゴリーはナハッシュに手を差し伸べた。それは、迷いの無い真っ直ぐな視線だ。
正義を疑うのではなく、それでも正義を信じて貫く。それもまた、当人の生き方というものだ。それは決して誰にも否定出来るものでは無いだろう。故に、僕は黙って聞いた・・・
彼の生きる道は、彼だけのものだろう。それは誰にも否定は出来ない。否定はさせない。
「エンシェントロード。貴女の身を名目上王国が預かれば、貴女はある程度の自由が許される筈だ」
「いや、しかし・・・それでは・・・・・・」
「俺は、貴女には生きていて欲しいし生きているべきだ。そう思ったのだが?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ついに、ナハッシュは黙り込んでしまった。生きていて欲しい。その言葉に嘘はないだろう。しかしそれは果たしてその男の信じた正義と呼べるのか?ふと、そう感じた。
・・・しかし、今はそれもどうでも良いだろう。今は、黙って聞いている。
既に、ナハッシュは存在を今の時代に固定されつつある。それは、ナハッシュが消えたくないと揺れつつあるからなのか。或いはグレゴリーが持つ固有宇宙が原因か?
それは解らない。解らないが、しかしそれでもナハッシュは消滅を免れたらしい。
「・・・一つ、聞きたい」
「何だ?」
ナハッシュが、グレゴリーに問う。グレゴリーも、真剣に聞く様子を見せる。
「それは、本当にお前の正義に殉じるものか?お前の意思により決めた正義に殉じるものか?」
「そうだ、間違いなく俺の正義だ」
グレゴリーは、一切のためらいなく答えた。それは、自身の正義を一切疑わない言葉だ。
事実、彼はその意思によりある固有宇宙に覚醒している。その名は善悪の天秤・・・
彼はあらゆる罪と罰、善と悪を計る天秤をその身に宿した。それ故、彼はもう一切迷わない。
正しく善と悪を計り、見通し、見定める事を可能とする。それは、彼が己の中の正義を信じる限り一切変わらないだろう。故に、彼は一切揺らがない。揺らいではならない。
善悪を計る為の眼と意思は彼に宿っているのだから。だから、彼の意思は強固に固い。
それを、ナハッシュは理解した。
・・・やがて、ナハッシュは諦めたように深く溜息を吐く。
「・・・解った。その方の言う通りにしよう」
そう言って、彼の手を取った。それは、彼の正義をナハッシュが信じた事に他ならないだろう。
こうして、一連の事件は幕を下ろした・・・




