8、ナハッシュの真実
「・・・・・・・・・・・・な、っ」
ハクアの口から掠れた声が漏れた。それは、目の前の悪魔から語られた世界の真実を受け入れる事が決して容易ではないからだ。隣では、ミトロギアも愕然と口を開き言葉も出ない様子だ。
———今、この悪魔は一体何と言ったのか?
・・・いや、ある意味その真実をハクアは知っていた。ハクアには未来視の超能力がある。世界のその真実を彼は既に気付いていた筈なのだ。しかし、それに気付いていながらとても信じ難かった。
そう、それは即ち・・・世界の終末。
「世界はこのままでは確実に滅びる。エンシェントロード、ナハッシュはそれに気付いたのさ。それ故に彼女はそれでも人類に未来を創る為、人類に希望を与える為にその方法を模索した・・・」
悪魔Ωは嗤っている。相変わらず、その口元は嘲笑を浮かべている。
当然だ。この悪魔にとって世界が滅びようがどうでも良い。Ωにとって世界が滅びようと、最後の一瞬までその快楽を満たす事が出来ればそれで良いのだ。それ故、彼は悪魔なのだ・・・
しかし、その口から語られる言葉は全て真実だ。それを、ハクアもミトロギアも理解した。理解したが故に彼女の心の中の絶望を正しく読み取る事が出来た。ナハッシュの心を読み取る事が出来た。
・・・そして、それはナハッシュから直接聞いた無銘も同じだった。
・・・・・・・・・
僕は、自分の意識が空白に満たされるのを自覚した・・・
「人類が滅びる・・・?どうあっても・・・・・・?」
その言葉は、少なからず僕の心に強い衝撃を与えた。僕は既に、ハクアから世界の滅びについてある程度の話を聞いていた。それ故、ハクアが人類に救済の未来を与える為に行動した事を知った。
人類に救済の可能性を創る為に、世界を再創造しようとした事を。僕は聞いていた筈だ。
・・・しかし、ナハッシュは言った。どうあっても人類は滅びる運命だと。今のままでは人類は滅びるしか無いのだとそう言った。それは即ち、既に人類に滅びが確定しているという事だ。
愕然とする僕に、ナハッシュは静かに頷いた・・・。その表情は、何処か憐憫を感じさせた。
そう、ナハッシュは本気で人類を哀れに思っているのだ。本気で救済しようとしているのだ。
「そうだ、このままでは人類は必ず滅びる。どうあっても滅びるしかないのだ・・・」
ナハッシュは言った。人類の自滅を回避したとしても、星に寿命がある。星の寿命を回避したとしてもそれでも宇宙そのものに寿命がある。別の宇宙に移住したとして、それでも限界がある。
・・・そう、どうあっても人類には滅びの運命しか待っていないのだ。もはや人類に未来は無い。
人類には既に、未来などありはしない。人類に、先など皆無だ・・・
それを告げられ、僕の中で何かが崩れ去るようなそんな音が聞こえてきた気がした。
・・・しかし。
僕の頭の中に、リーナの笑顔が浮かぶ。妹のミィや母のマーヤー、父のハワードの顔が浮かんだ。
国王イリオやクルト王子、ビビアン騎士団長やギルド長のガーランドの顔が浮かんだ。そう、皆がいたからこそ僕はここまで来れたのだろう。皆が居たからこそ、僕はここまで成長出来た。
ああ、そうだ。だからこそ、僕が此処で諦めるなど言語道断だ。あってはならない。
・・・だからこそ、僕が諦める訳にはいかない。僕は、愕然と開いた口をぎゅっと引き締めた。
真っ直ぐ、ナハッシュを見据える。
「だが・・・、だとしても僕は。僕達は諦める訳にはいかない」
「そうだ、此処で諦める訳にはいかない・・・。だからこそ、私はその方法を模索した」
首を縦に振り、静かに肯定するナハッシュ。その表情に諦めの文字は無い。皆無だ。
その結果は?視線で僕は問い返す。
ナハッシュはゆっくり目を閉じ、僅かに思案した後に目を開いて言った。
「全人類が、固有宇宙に覚醒する事。全人類が固有宇宙に覚醒すれば、それが星々や宇宙全体にまで波及して影響し宇宙が永久化するだろう。それが、私の見付けた方法論だ」
「全人類の・・・固有宇宙覚醒・・・・・・?」
それは・・・、はっきり言って無理だろう。僕はそう思えた。
固有宇宙に覚醒するには、個人が人類の総体を上回る意思の力を示す必要がある。無論、それは並大抵の事ではないだろう。どころか、不可能だとすら言える。
固有宇宙とは・・・個人の世界が人類の総体を超越し、大宇宙を超える事で覚醒する。
それが、全宇宙の全人類規模で覚醒する。そうなると、もはや神々や神王ですら不可能だ。
現段階でも、固有宇宙に覚醒したのは神々が知る歴史上でもたった三人しか居ない。それを、全人類規模で覚醒させるとなるとそれはもう不可能だろう。しかし、それをしなければ宇宙が滅びる。
そう、文字通りに宇宙が滅びる。人類も、宇宙そのものも滅びて無くなる。
・・・一体どうすれば良いのか?そんなジレンマが一瞬だけ僕の頭に浮かんだ。
しかし、それを見越したのかナハッシュが僅かに優しげな笑みを浮かべた。その笑みは、何処となく優しく暖かい何かが含まれている気がした。そう、それはまるでようやく見付けた希望を愛しむよう。
「・・・全人類が固有宇宙に覚醒する方法はある。それは、誰かが全人類を覚醒に導く事だ」
「覚醒に・・・導く・・・・・・?」
僕はナハッシュの顔を真っ直ぐに見た。その顔は、一欠片も絶望していなかった。それは、偏に全人類を覚醒に導くという存在を知っている目だ。希望を知る目だ。
その瞳に、僕は思わず希望を見出したような気にさえなった。
「人類を覚醒に導く存在。全人類を覚醒させる事の出来る真なる霊長。それが必要不可欠だ」
「いや、しかし・・・・・・」
果たして、そんな存在が居るのだろうか?ふと僕は疑問に思った。
しかし、それをナハッシュは首を横に振り否と答える。
「既に、全人類を覚醒に導く救世主足りえる存在を見付けている・・・」
「それは、一体・・・?」
誰だ?と言い掛けて僕は言葉を呑んだ。ナハッシュの瞳は僕の方をじっと見詰めていたからだ。
その意味を、僕はようやく察する事が出来た。彼女の言う救世主、それは———
「お前だ・・・。全人類を覚醒に導く救世主足りえる器を持つ者、それがお前だよ」
「・・・っ!!!」
その言葉に、僕は思わず息を呑んだ。目を見開き、我が耳を疑った。
・・・僕が、人類の救世主?全人類を覚醒に導く者?真なる霊長だって?
信じられない。信じる事が出来ない。我が耳を疑う。一体僕は何の話をしている?僕は何者だ?混乱が頭の中を充満してもう訳が解らなくなる。
・・・そんな僕を見て、どう思ったのかナハッシュは僅かに溜息を吐いた。それは、きっと失望や失意とは全く異なるものだったのだろうけど。彼女は溜息を吐いた。
「・・・すまんな。少しばかり話が壮大過ぎたか」
そう言うと、ナハッシュの掌に何処までも黒い・・・漆黒の闇を凝縮したような炎が灯った。それはまさしくこの世の物理法則を外れた、次元を超えた黒い炎だった。
そう、闇が其処に在った・・・
「・・・それは、っ」
「万物万象を滅ぼす死の黒炎。固有宇宙すらも殺す死の概念を宿した、物理法則の真の外側」
それは、即ち固有宇宙すらも焼き尽くし死を確定させるという事に他ならない。まさしく、死の黒炎に相応しい権能だろう。それを、ナハッシュは僕に向ける。
それは、無論僕を殺すという宣言に他ならない。今、此処で更なる覚醒をしなければ殺すと。
恐らく、当たれば虚無宇宙を司る僕であろうと問答無用で焼き尽くされるだろう。それは、単純な熱量や炎の規模の問題ではないだろう。純粋にこの黒炎がそういう物だからこそ、あらゆる存在を殺す。
それが例え、虚数宇宙であろうとも問答無用で焼き尽くすだろう。そういう法則を持つ炎だ。
・・・それを、理解した。
「くっ⁉」
「無駄だ、私の黒炎は世界の果てまでも敵を追い掛け焼き尽くす。それが、宇宙の果てであろうと」
僕は向かってくる黒炎を大きく避ける。しかし、避けた筈の黒炎は気付けばすぐ目の前に。
そして、気付けば僕はその黒炎に呑み込まれた・・・。視界が黒く染まる。




