9、山神再び
僕の前には、山の神ミコトが居た。一体これはどういう事だ?
確かにミコトは死んだ筈だ。僕がこの手で殺した筈の山の神・・・そいつが今、目前に居た。
・・・一体全体これはどういう事だ?
「お前、確か死んだ筈では・・・?」
「ああ、確かに死んだな。まあ、完全に死んだ訳ではないけどな」
ミコトはあっけらかんとそう抜かした。僕に殺された事を、別段何とも思っていない様子だ。
・・・というか、完全に死んだ訳ではない?
それは一体どういう事だ?思わず、僕は首を傾げて怪訝な顔をした。死んだ奴は蘇らない。それは自然の道理の筈だろう?それに、僕はあの時、確かにミコトの魂の根源まで断ち切った筈だ。
そんな僕の様子を見て何が可笑しかったのか、ミコトは不敵に笑った。確かに、此処に居るミコトは本物に間違いは無いだろう。伊達に八年の間、こいつの許で修行をしていた訳では無い。
・・・顔を見れば、本物か偽物かは理解出来る。その程度の見分けはつく。
「・・・それはつまり、どういう事だ?」
「つまりだ・・・、俺は最後にバックアップを用意していたんだよ。例え死んでもバックアップを介して蘇生が出来るようにな・・・」
「・・・?バックアップ?」
「要するに、俺は修行中お前の中にこっそりと俺の魂の欠片を保存していたんだ」
・・・ああ、なるほど?そういう事か。僕はようやく納得した。
つまり、ミコトは僕の中に自身の魂の欠片を保存し、バックアップとして残しておいたらしい。
「つまり、最初からお前は修行の果てに僕によって殺される事を覚悟していたという事か?」
「ああ、お前はあまりにも強くなり過ぎた・・・。いや、お前の独りになりたいという願望があまりにも強すぎたと言うべきかな?まさか、固有宇宙に覚醒するとはな・・・」
「・・・それはどういう事だ?」
独りになりたいという願望が、固有宇宙に覚醒する鍵なのか?
僕の疑問に、ミコトは不敵な笑みで答えた。
「まあ、つまりだ。固有宇宙に覚醒する第一の要因は神域を超える程の強い意思の力だ。しかし、それ以上に強い要因がある。それが、孤独に対する強い願望だよ。要するに、個で宇宙を凌駕する意思だ」
「孤独に対する・・・強い願望?」
「そうだ。少し難しい話になるがな、世界を構成する第一要素は観測だ。世界は観測される事により構築されているんだよ・・・」
「観測・・・。量子論か?」
量子力学において、観測される事によりあらゆる存在は存在を確立させるという。つまり、観測されるまであらゆる存在は不確定となる。箱の中の猫だったか?
僕の言葉に、ミコトは静かに頷いた。おおむね、それで正しいらしい。
「そして、観測には主に二種類ある。他者観測と自己観測の二種類だ」
「他者観測と自己観測ねえ?つまり、他人に観測される事と自身で観測する事か?」
つまり、他人の目や耳で観測される事と自分が自分を認識して観測する事か・・・
つまり、他人の目で認識され観測される事。そして、自分の認識で自己を観測する事。
要するに、観測さえ成立すればそれが他者による物か自身による物かは別段問題無いという事か?
恐らく、この宇宙は意思と思考によって構築されているのだろう。だからこそ、観測が必要だと。
「そうだ、神霊種は生きる事自体には他者の信仰を必要としない。しかし、人間に認識されるには信仰という他者観測が必要となる。つまり、他者観測と自己観測が混在した種という訳だ」
「ふむ、それでそれが固有宇宙とどういう関係が・・・?」
「固有宇宙は完全な自己観測型だ。自己観測宇宙とも呼ぶか・・・」
「!!?」
完全な・・・自己観測型・・・?
それは・・・つまり・・・。どういう事だ?僕は混乱のあまり、思考を上手く整理出来なかった。
しかし、僕以上に混乱している者がこの場に居た。ざりっと、足音がその場に響き渡る。
思わず、僕は勢い後ろを振り返った。
「・・・・・・それは、どういう事ですか?」
「っ、リーナ!!?」
リーナ=レイニー。彼女が息を切らせて、僕とミコトを愕然とした表情で見ていた。
・・・・・・・・・
「どういう事なんですか?それは・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・っ、リーナ」
リーナは混乱した顔で僕達を見ている。僕は突然の事で何も言う事が出来ない。この状況下で一体どうすれば良いというのだろうか?僕には解らなかった。
しかし、ミコトは平然としたままそれに答えた。
「どういう事かって?つまりだ、無銘は固有宇宙に覚醒した時から完全な自己観測型だ。生きる事に他者の存在を必要としない。それを望んだからこそ、その強い願望が固有宇宙となったんだ」
「っ、そんな・・・・・・!!?」
それを望んだからこそ。その強い願望が固有宇宙に覚醒させた・・・
リーナは愕然とした表情で膝を着く。咄嗟に、僕がリーナの肩を支えた。
そう、完全な自己観測型とは即ち生きる事に他者の存在を必要としないという事だ。僕は以前、只独りきりになりたいとそう思っていた。その強い想いが、きっと固有宇宙に覚醒した本当の理由だ。
固有宇宙は真に個に目覚め、人類という集合体から外れる事だったんだ。僕が、僕自身がきっとそれを望んだからそれに覚醒したんだと思う。いや、個で人類の総体を上回ったから覚醒したのか。
強い意思の力が、固有宇宙に目覚める要因になると以前神王が言っていた。意思の力とは、即ち魂の放つ熱量だとそうも言っていた。つまり、魂の熱量が爆発的に増加する事で覚醒するという事だ。
しかし、それだけでは不完全だ。固有宇宙に覚醒する真の切っ掛け。それは即ち・・・
自己を強く認識し、その上で神域を超える程に強く個である事を望む意思。即ち、自己観測。
真に自己に目覚め、その上で総体から脱却する強い意思をみせる事。それが覚醒条件なのだろう。
そして、それは即ち本気で心底から孤独を望んでいたという事に他ならないだろう。つまり、それは僕が誰に対しても心を開いてはいなかった事に等しい。そう、リーナ=レイニーに対しても。
その事実が、リーナの心に絶望感をもたらす。さて、誰が知ろうか?無銘という少年が、本当に心の底から誰に対しても不信をもって生きていた事を。誰の事も信じてはいなかった事を。
誰が知ろう?僕が本当に孤独を望んで、その通りにならない人生にジレンマを感じていた事を。
・・・孤独を望みながら、それでも完全に独りになり切れない事に絶望していた事を。
———それでも、僕は。今の僕は・・・
「・・・リーナ」
「っ!!?」
リーナの肩がびくっと震える。彼女の顔は蒼褪め、怯えを含んでいる。
そんな彼女に、僕はそっと近付いた。
「リーナ、僕は・・・」
「いやっ、聞きたくない!!!」
リーナは耳を両手で塞ぎ、いやいやと頭を左右に振る。それでも、僕はリーナに近付く。彼女に近付きその肩を優しく抱き締める。リーナは聞きたくないと言いながら、それでも抵抗しない。
抵抗せずに、涙目で僕を見上げてくる。
「・・・・・・放して」
「嫌だ・・・」
「・・・・・・・・・・・・っ」
僕は、そのままリーナをぎゅっと抱き締める。
「聞いて欲しい。確かに僕は最初誰も信じてはいなかった。本当に心底から孤独を望んでいた」
「ムメイ・・・・・・」
「けど、リーナと一緒に過ごす内に君の事を愛しいと思うようになった。最初は心の内側に入り込んでくる君の事を鬱陶しいと思っていた。けど、それでも・・・」
「ムメイ・・・?」
僕は言う。リーナに、今の素直な想いを。素直な気持ちを。僕の心を・・・
真っ直ぐに伝える。
「リーナ、僕は君という存在に救われたんだ。だから、どうかずっと僕と共に居て欲しい」
———リーナ、君の事を愛してる。
そう、真っ直ぐに物怖じする事なく伝えた。その真っ直ぐな言葉に、リーナは涙を零す。
「・・・・・・え?あ、う」
「リーナ=レイニー。どうか、僕と結婚して欲しい」
「っ、うんっ!!!」
一転。リーナは満面の、咲き誇るような笑顔で頷いた。




