2、伝える想い
・・・僕は一体何をしているのだろうか?ふと、そう思った。
「ムメイ、ほらこっちだよ~っ!!!」
リーナが離れた所で手を振っている。とても楽しそうだ。楽しそうに笑っている。それが、何だか眩しくて僕には相応しくない気がしてきた。けど、きっとリーナは僕じゃなきゃ嫌なんだろうな。
そっと溜息を吐く。リーナは無邪気にはしゃぎまわっている。本当に、何で僕なんだろうか?そう心の片隅で暗く淀んだ気持ちが湧き上がってくる。しかし、僕はそれを押し殺す。
押し殺して、封殺する・・・
「ほら、リーナ。そんなにはしゃいだらこけるぞ?」
「もうっ、私は子供じゃないよ?・・・きゃっ!!!」
案の定、リーナはこけた。うん、まあお約束だな?やれやれ。僕はリーナの傍に歩いていき、苦笑を浮かべる彼女を起こした。全く、少しは気を付けて欲しい。そっと溜息を吐く。
「ほら、膝から血が出てる・・・」
「っ、えへへ・・・・・・」
リーナは照れ笑いをする。僕はそれをジト目で見詰め、再び溜息を吐くと水筒を取り出した。
そっとリーナの膝元に屈むと、僕は水筒の水をリーナの膝にかける。その痛みでぎゅっとリーナが顔をしかめるがそんな事は知らない。綺麗な水で土と菌を落とす。
水で綺麗に洗った後、僕はリーナに言っておく。
「少しは気を付けろよ?女の子なんだから、綺麗な肌に傷が付いたら困るだろう?」
「ムメイは、少しは私の事を女の子として意識してくれてるんだね?」
「・・・・・・はぁっ」
僕は心の底から呆れたように、溜息を吐いた。溜息を吐いて、リーナの頭にぽんっと手を置いた。
「ほら、行くぞ?」
「うんっ!!!」
元気に頷くリーナ。笑顔が眩しい。
リーナは嬉しそうに僕の腕に抱き付いてくる。いや、何故僕の腕に抱き付くのか?理解不能だ。一体彼女は何を考えているのだろうか?まあ、僕の事なんだろうなぁ・・・
リーナは楽しそうに、嬉しそうに僕の腕を引っ張る。その際ぐいぐいと僕の腕に胸を押し付けてくるのはいかがなものだろうか?全く、もっと恥じらいを持って欲しい。
・・・いや、そうじゃない。そうじゃないだろう、僕は。本当は、僕は・・・・・・
僕が立ち止まると、リーナが不思議そうな顔をした。きょとんっと僕の方を見る。
「ムメイ・・・?」
「リーナ、もう終わりにしよう・・・」
「え?な、何を・・・・・・」
静かに僕が言うと、何かよく理解出来なかったのか、リーナが戸惑ったような顔をする。いや、或いはもう既に理解しているのかもしれない。理解して、それを拒んでいるのかもしれない。
リーナは割と頭が良い。だから、僕の言いたい事をすぐに理解出来る。
だからこそ、僕はあえてそれを言う。
「もう、こんな事は終わりだ。リーナ、僕はもう君とは一緒に居られない」
「っ、そんな!!!」
リーナが悲しそうに顔を歪める。僕の胸が痛い。ああ、この気持ちも嫌だ。こんな気持ちを味わうなら彼女と最初から出会わなければ良かったのに。そう、僕は思う。
こんな気持ちを味わうなら、最初からリーナと出会わなければ良かった。出会わなければ、こんな気持ちにならずに済んだのに。そう、こんな思いを抱かずに済んだ。
周囲の人が、足を止めて僕達を見る。視線を集める。怪訝な、或いは好奇の視線を集める。
しかし、そんな事はもうどうでも良い。どうでも良いんだ。
「嫌なんだ。もう、何かを背負うのも何かに振り回されるのも・・・。もう嫌なんだ・・・」
「っ、ムメイ・・・・・・」
「本当は誰も信じてはいないくせに・・・。誰一人信じられないくせに・・・」
独りになりたいと家族まで捨てた。その筈なのに、何時の間にか僕の回りにたくさんの人が居た。
独りを願っていた筈なのに、気付けば僕の周囲は人に満ちていた。それが、苦痛だ。何よりもそれを僕自身が不快に思えなくなっているのが嫌だ。悪くないと思っているのが、嫌だ。
誰も信じられないくせに。誰一人信じていないくせに。そのくせ、何時だって半端だ。
「ムメイ、っ・・・・・・」
リーナが僕に腕を伸ばしてくる。しかし、それを僕は一歩後ろに引く事で避けた。リーナが傷付いた顔で僕を見てくるが、それでも僕は・・・
リーナを拒絶する。
「っ!!!」
「あ、待って―――ムメイっ!!!」
リーナの声を背後に、僕はその場を逃げ出した。もう、何もかもが嫌だ。限界だ。今すぐにこの場から逃げ出してやるっ!!!僕はもう逃げてやる!!!
・・・もう、何処か此処ではない何処かで独りになりたい。
・・・・・・・・・
王都の外、その外壁近くに僕は独り、寄り掛かって座り込んでいた。独りで僕は考える。
膝を抱えて座り込む。
「何をやっているんだろうか・・・僕は」
考えても一向に答えなど出ない。頭の中をぐるぐると堂々巡りだ。それが嫌で、僕は膝の中に頭を埋めて思考の海に埋没する。もう、何もかもが嫌だった。何もかもが嫌で、どうしようもない。
暗い気持ちが、僕の心に影を差す。
「・・・もう、いっそ何もかも捨ててしまおうか。そうすればきっと」
何もかも捨てて、独りになればきっと・・・
そう、考えた瞬間―――
何か、強い衝撃が僕を襲った。不意を突かれた僕は、勢いよく吹っ飛ばされる。
見ると、大熊の魔物が僕に唸り声を上げている。どうやら、僕を食うつもりらしい。思考の海に埋没するあまりに気配を察知出来なかったらしい。僕とした事が不覚だ。
けど。しかし・・・
「けど、もうどうでも良いや・・・・・・」
僕は、溜息を吐いて全てを諦めた。
殺したければ、いっそ殺せば良い。そう投げやりに僕はだらんっと五体を地面に投げ出す。
もう、何もかもがどうでも良い。いっそ死んでしまえばきっと、もう・・・・・・
その瞬間、リーナの笑顔が頭の中を過った。何故、こんな時にそれが過るのか解らなかったが、別にそれも今更どうでも良い。もう、何もかもがどうでも良いんだ。知った事か・・・
この世に未練なんて、何にも・・・・・・
そう、何も・・・・・・
「ムメイっ!!!」
聞き覚えのある声が、僕の耳に聞こえた。その声が聞こえた瞬間・・・
その瞬間、視界を鮮烈な赤が染め上げる。誰の血だ?それは・・・
「リー・・・ナ・・・・・・?」
リーナの血だった。視界の中で、大熊の魔物の爪に引き裂かれるリーナが映る。
僕を庇って、リーナが引き裂かれたのだ。地面に血が、大きな血だまりを作り出す。僕はゆっくりと起き上がり彼女に近寄る。恐る恐る、リーナの身体を抱き上げる。
大熊の魔物が再び襲い掛かってくるが、僕はそれを傍にあった木の枝を眼球に突き刺して、内部にある脳を破壊し倒した。それよりも、今はそんな事はどうでも良い。今は、リーナの事だ。
リーナは、僕を見て嬉しそうに笑う。心底、嬉しそうに笑う。
「良かったぁ・・・、ムメイが無事で・・・・・・」
「どう、して・・・・・・?どうして、リーナが?」
何故?どうして?
自分でも、何を言っているのか解らなかった。何を言えば良いのか、解らなかった。けど、それでも彼女が死ぬ事が許せなかった。彼女が、僕の為に死んでゆくのが許せなかった。
また、僕は十字架を背負う事になるのか?また、僕は僕のせいで誰かを殺すのか?そんな想いが僕の心を支配してゆくのが解る。絶望で、心が一杯になる。
リーナはそんな僕を見て、無邪気な笑顔を浮かべた。そっと、僕の頬に手を添える。
「ムメイがどう思っていたのかは知らないけど・・・、私はそんなに綺麗な人間じゃ、無いよ?本当は誰よりもムメイに見て・・・欲しいし、っ・・・ムメイに触れて欲しい・・・・・・」
「っ、それは・・・・・・」
「私だって、ムメイに私だけを・・・見て、欲しいと思って・・・いるの・・・・・・っ」
「っ・・・・・・」
僕は、何も言う事が出来なかった。何も言えなかった。胸が苦しい、心が苦しい。
心が痛くて仕方が無い。リーナが傷付く事が、それだけで辛い。痛い。苦しい。
「ムメイ・・・大好き、だよ・・・・・・。愛・・・してる・・・・・・」
愛してる。そう言って、リーナはそっと目を閉じた。死んではいない。意識を失っただけだ。
しかし、それでもこのままでは拙い。すぐに死ぬだろう。死はすぐ傍に迫っている。
「・・・・・・・・・・・・」
どうすれば良い?一体、何をすれば良いんだ?一体どうすれば・・・・・・
・・・・・・・・・
僕の意識の奥深くで、そいつは言った。僕の魂の奥深くに、そいつは居た。
僕の中に居る、人外の僕。人外の起源。
「よお、俺。ずいぶん面白い状況になっているじゃないか?」
そいつは言った。
「リーナを救いたければ、虚無の固有宇宙を遣え。お前の固有宇宙を覚醒させろ」
虚無の、固有宇宙?
僕の中で、そいつは笑った。笑って、嗤った。
「虚無の宇宙とは虚数宇宙。即ち、虚数生命に他ならない。お前の固有宇宙は・・・」
・・・僕は説明する。
虚無の宇宙とは、即ち虚数宇宙。物質界に実体を持たない宇宙に他ならない。
概念も、質量も、全てが虚数化された虚数生命だ。それを理解した瞬間、僕の中で何かが弾けた。
・・・・・・・・・
僕は、すぐにリーナの傷口に手を置いた。考えている暇は無い。それをすぐに実行する。
虚無宇宙とは、虚数宇宙の事だ。その虚数化された宇宙から、任意に実数を取り出す。そうする事が出来れば恐らくは彼女を、リーナを救えるはずだ。
まず、リーナの傷口を塞ぐ。虚数から実数を取り出す事は、即ち無からの創造だ。まずリーナの傷口を虚数化して再び実数化する。即ち、傷を跡形もなく消す。消滅させる。
一瞬で、傷は跡形もなく消滅した。リーナの呼吸は、安定している。
リーナの死は回避された・・・
「・・・・・・・・・・・・」
僕は思う。僕にとって、リーナ=レイニーとは一体何なのか?彼女は一体、僕にとって何だ?もはや此処まで来たら無関心では通せない。彼女は、きっと僕にとって・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
リーナが死ぬ。そう感じた瞬間、僕は動揺した。狼狽えて混乱した。もう何も無いとは言えない。
ああ、自覚している。自覚した。僕は、きっと彼女の事を・・・




