8.
駈原が例のガラス棒のようなものをジャケットのポケットから取り出した。
「それ、何ですか?」私はタイミングを見計らって駈原に聞いた。
「霊的なスイス・アーミー・ナイフ、みたいなもんだ。純粋な天然水晶で出来てる」
「スイス・アーミー?」
「ほら、スイスの国旗がプリントされてて、缶切りやらドライバーやら、いろいろ便利ツールが仕込まれてる折りたたみナイフがあるだろ?」
見たことあるような……無いような……
「じゃあ、霊的な携帯電話、って言えばピンッと来るか? つまり霊的な存在と戦うための便利アプリが色々プリインストールされてる霊的スマホってわけ」
「はあ……」
分かったような……分からないような……
駈原がその霊的スマホとやらの表面を数回なでると、その水晶棒からブワッと圧力のようなものが広がっていったような感じがした。
「結界を張った。この部屋の中でどんなに大きな音がしようとも部屋の外には漏れない」そう言いながら水晶棒を左手に持ち替え、駈原はノートパソコンの前に座っている咲希に声をかけた。
「じゃあ、さっき言った通りの計画で……よろしく頼む」
咲希が神妙な面持ちで頷き、パソコンの電源を入れた。
……危険な賭けだ……と私は思った。
「どうしてもこの方法じゃないと駄目なんですか?」と駈原に尋ねた。「このパソコンの中にバケモノが隠れているなら、パソコンごと壊してスクラップにしちゃえば……」
「駄目だな」駈原は即座に否定した。「そんなことをしたら浮遊形態になっちまう」
「浮遊形態?」
「ある『物』に霊が取り憑くという事は、逆に言えば、その『物』によって霊が束縛されるという事でもあるんだ……これを詞雅見理論では念能エナルジーの『憑依形態』と呼ぶ」
「しがみ……って、何ですか?」
「詳しく話しているヒマは無いが、昔そういう理論を考えた人が居たんだよ……話を続けるぞ。この『憑依形態』霊は、取り憑いている『物』から一定の距離を越えて何処かへ行くことが出来ないんだ……どれだけ離れられるかは個々の霊で違う。こいつみたいに長い触手を伸ばすヤツは俺も初めて見たが……それにしたって霊の『本体』はこのパソコンからそう遠くへは行けないんだろうさ」
「憑依している『物』を破壊したら、霊がその束縛から解放されてしまう、と?」
「そうだ。念能エナルジーが『憑依形態』から『浮遊形態』へと相転移してしまう」
「自由に動き回れるようになる?」
「まあ自由と言っても空間的制約が全く無くなる訳じゃないんだが……とにかく、この『浮遊形態』に変化した念能エナルジー……俗に言う浮遊霊……は、いくつかある霊の形態の中でも飛びきり厄介な存在なんだよ。俺にも滅殺できるか、どうか」
「パソコンに取り憑いたままの状態でいてほしい、そのほうが相手にしやすい、って訳か……じゃあ、このままパソコンを何処か遠くへ持って行って捨ててしまえば良いじゃないですか。海の底に沈めるとか、穴を掘って埋めるとか……」
「それも駄目だね。咲希さんはパソコン内のバケモノに取り憑かれている……ヤツは『シニツキ虫』みたいな低級霊じゃない。俺はこの額の目で、咲希さんの念能エナルジーを見た。残念ながら、すでにヤツの精神毒に冒されてしまっていたよ。元の健康な状態に戻るためには、敵の本体を滅殺するしかない」
「一度でもドラキュラに血を吸われたら、ドラキュラ本体を倒さない限り救われない、ってことか」
「まっ、そんな所だな……さあ、OSの起動が完了したようだ。いよいよだぞ」
パソコンの画面に目をやるとデスクトップが表示されていた。
駈原は、いったん水晶棒をジャケットの左ポケットに仕舞い、「もう一度、手を繋ごう」と言った。
つまり、彼だけが見えているものを、私たちにも見せてくれるという事だ。
咲希も立ち上がり、私たち三人は部屋の中央で三角形になるような位置関係になって立ち、互いに手を繋いだ。
例の、手からエネルギーが昇って来て額の中央部に集まるような感覚をおぼえた。
今度のエネルギーは、さっきより数倍大きいように感じられた。
「わっ、比登美、それ! それ! 何ですか!」咲希が私の額を指差して大声で叫んだ。
「咲希! どうしたの! それ!」ほとんど同時に、私も咲希の顔を見て叫び声を上げてしまった。
咲希の額に、第三の目玉があった。
……と、言うことは私の額にも……
「心配しなくても良い」駈原が言った。「それは俺の念能エナルジーが作り出した擬似的な『見邪の目』だ……それによって、手を離しても暫くは俺と同じ霊視能力を維持できる。数分か、長くても数十分で額の目玉は消滅し、同時にその効果も消える」
確かに駈原の手を離しても、咲希の首とノートパソコンを繋ぐ『触手』の存在を見ることができた。
咲希が椅子に座り、パソコン画面の『アナザー・ライフ・アンダー・ザ・マジック・スカイ』のアイコンをクリックした。
しばしの起動シーケンスの後、壮大な音楽とともにタイトル画面が映し出された。
ゲームが始まった。
咲希自身をエサにした、バケモノ狩りというゲームが。
* * *
ゲームが始まって直ぐに、それは咲希の操るキャラに接触してきた。
咲希が操るのはエルフ族の男だったが、相手のキャラもエルフだった。
エルフの、女だ。
「ねえ、例のこと、ちゃんと考えてくれた?」
チャット・ウィンドウが開き、エルフ女が言った。
「私の経験値なら、どんな属性にもチェンジできる……だから、あなたの好きな属性を言ってちょうだい……土属性? 水属性? 風属性? 火属性? どの属性ならお嫁さんにしてくれる?」
咲希がキーボードを叩いた。
「水属性が良いな……水属性になったら、君と結婚してあげる」
その瞬間……液晶画面の中のエルフの女が……ただの3Dポリゴンの集合でしかない筈の女が……にぃぃっと笑った。
ゾッとするような、気味の悪い笑い顔だった。
咲希の首に巻きついた触手がビクンッと動いた。
次の瞬間、駈原が左手をポケットに入れ、水晶棒を取り出し、咲希の首に巻きついた触手を切り裂いた。
いつの間にか水晶棒の一方の端から薄い透明の刃が生えていた。
水晶の刃に切り裂かれた触手が、のた打ちながら咲希の首から外れて床に落ちた。
「これで、出て来るしかなくなったな」
駈原がパソコンの画面に向かって言った。
……いや……正確には、画面の中のエルフの女に対して、か。
「せっかく咲希さんのガードが下がっても、彼女を喰らうのに触手は使えない……早くその小っちゃな黒い箱から出てこいよ。バケモノ」
画面の中でニヤついていたエルフ女の顔が鬼の形相になり、こちらに向かって……画面のこちら側に居る私たちに向かって……歩いて来た。
どんどん……近くへ……近くへ……
そしてついにパソコンの液晶画面が割れ、太った男の上半身が現れた。
「それがお前の正体か」駈原が呟く。
画面から現れた男の両手が伸び、咲希の体を掴もうと迫る。
駈原が咲希に飛びつき、椅子から抱き上げてベッドの上に彼女を投げ出し、その体を守るように覆いかぶさりつつ、ジャケットの懐から『何か』を出して画面から出て来た男に突きつけた。
……水晶の……銃!
水晶銃の銃口が一瞬輝き、轟音が室内に響き、部屋の窓ガラスがビリビリと振動し、直後、私の耳はキンキンとした耳鳴り以外なにも聞こえなくなった。
画面から出て来た男の胸に、穴が開いていた。
弾丸は、実体が無いはずの男の胸を貫き、その向こうのパソコン画面を破壊し、部屋の壁にめり込んでいた。
男の体が崩れ始めた。
「嫌だ……消滅なんて……助けて……助け……」
ノートパソコンから出てきた男は砂絵が風に吹き飛ばされるようにして消え、穴の開いた液晶画面だけが残った。
* * *
ベッドに仰向けに投げられた咲希が、覆いかぶさってきた駈原の体の下で、顔を真っ赤にしているのが見えた。
* * *
駈原は駅前のビジネスホテルに泊まっているらしかった。咲希の家から駅前までタクシーで帰ると言った。
電話で呼んだタクシーが来るまで、私と咲希と駈原巧見は、咲希の家の玄関前で待った。
「パソコン……壊しちゃって済まなかった」駈原が咲希に言った。
「まあ、仕方ありません……格安で買ったあの中古パソコン、きっと何か悪い因縁があったんですね。いわゆる『事故物件』ってやつだったのかな」
「弁償させてくれよ」
「まあ、お気持ちだけ」
雨は小降りになっていた。
三人それぞれが自分の傘をさして、私たちは家の前の通りへ出た。
駈原はソフト帽を被っていた。でっかいサングラスと黒マスクは外したままだった。
私は彼の横顔をしばらくジッと見た。
うん。やはり絶対超絶完全無欠美形男なのは間違いない。
「あの、ひとつ聞いて良いですか?」咲希が駈原に言った。「帽子で額を隠すのは分かりますけど……なんでサングラスとマスクで顔まで隠してたんですか? 雨振りで日差しなんか無いのに」
「俺、なんか知らないけどサングラスしてないと注目されるんだよね。とくに若い女から。指差されてキャッキャ言われることもあるんだ。なんか不愉快だし目立つのも本意じゃないから、ユーチューブの動画撮ってるとき以外はサングラスで顔隠してるんだよ」
ああ……こいつ、自覚が無いタイプか……物心ついた時から鏡に映る自分の姿に見慣れてるから、感覚がマヒしちゃってるんだな。自分がどれだけ美形かって事が分かってないんだ。
それにしても『目立ちたくない』のなら、サングラスの前に珍妙な服のセンスを直すべきだと思うのだが。
「じゃあ、マスクは?」咲希が重ねて聞いた。
「天気予報で昼から雨で気温も下がるって言ってたし、最近ちょっと風邪気味でね。予防策」
「はあ、そうですか」
「俺、健康管理には気を使ってるんだ。ユーチューバーは体が資本だからさ」
間違ったプロフェッショナル意識って、なんかイライラする。
風邪の心配する前に動画のカメラアングルを見直せ。いや、そもそものコンセプトから見直せ。
「私からも一つ質問があるんですけど」
「何でも聞いてくれよ。比登美さん」
「帽子を被っていると……その……霊視能力? って、使えないんですか? 帽子ごしに透視するとか、そういうのは無理?」
「この額の目って、まつ毛が無いんだよ。ホコリとか汗とか、そういうのに弱くてさ。だから帽子の裏生地と額が密着している時は、当然、目蓋を閉じてるわけ……その、目蓋を開いたり閉じたりってのが俺の『能力』のオン/オフのスイッチになってるんだろうね。額の目を閉じている限り、能力は使えない」
「じゃあ、帽子を被っている間……ていうか、額の目を閉じている間は……」
「ま、ごく普通の人間だわな。せいぜいリフティングが得意ってだけの」
……タクシーが来た。
……後部ドアが開いた。
「じゃあ、これで」
傘を閉じて、駈原が乗り込んだ。
「あの……」咲希が、タクシーの後部座席に座る駈原に向かって言った。「属性は何を選択すればお嫁さんにしてくれますか?」
……はあ?
お前、何言ってんだ? 咲希? ゲーム脳か?
駈原巧見も一瞬、戸惑った様子だった。
そして、タクシーの後部座席で「大人属性……かな」と言った。
「酒が飲める年齢になったら、もう一度会っても良いよ。そん時は、比登美さんも一緒に、俺の奢りでパーっとやろうよ」
ドアが閉まり、タクシーは咲希の家のある住宅街の道を、大通りに向かって発車した。
「おいおい、最後に決めゼリフ残して去って行っちゃったよ……ルパン三世かよ」
私と咲希はジワジワ可笑しくなって、二人で顔を見合わせクックッと笑い合った。




