たっくんと涙3
俺は一刻も早く、誰かの為に生きられる強さを持ちたい。
その為に出来る事は受験勉強をする事だった。
橘先生は言うが、俺は以前よりもはかどるのは、意欲的に取り組んでいるからだ。
そう思うと、以前の事を考えて今と重ねてみると、あの時も、フリースクールで心に傷を負った人たちの役に立ちたい気持ちだったが、どこかにそれとは違う気持ちも存在していた。
それは百パーセントそうではなかったが、周りに流されて、大学に行かなければいけないと言う、不純していた気持ちも存在していたからだと思う。
まあ、人間には色々な気持ちがあるのだから、そんな不純した気持ちは今はないと言ったら、それは嘘になるが、以前よりも、その不純の気持ちは小さくなっていると思う。
だから今はそれで良いのだと思う。
その事を橘先生に聞いてみようと思ったが、それは俺がこの長い道のりの中で、答えを探して見いださなければいけない事だと思って聞かなかった。
勉強している最中、何の因果でそうなったかは分からないが、俺は橘先生に取り付かれている。
質が悪いことに、その存在と声は俺にしか分からないのだ。
最初は本当に嫌になって、すぐに消えてもらいたいと思ったが、今は俺にはまだ教えてもらいたい事がたくさんあるので、消えてほしいとは思えない。
考えてみれば、夢を見つけられたのは、この人のおかげだ。
その件に関しては感謝している。
それに人間は一人では生きていけない事を身を持って知った事だった。
俺はこれから色々な人に出会わなくてはいけないだろう。
たとえ、それが残酷な真実を見いだしてしまう人との出会いであっても。
勉強して気がついたが、俺は花里さんを傷つけてしまった事に対して、蟠る気持ちは感じられなかった。
日々、俺に少しでも力を持つために、何でも頑張っているからか?以前よりも心が強くなったのだろう。
バイトでも勉強でも、毎日毎日一歩ずつ。
楓ちゃんのような子の力になりたいために。
それが叶わぬ夢であれば、せめて誰かの為に生きられる強さを持って幸せに生きる事を目標としている。
そんな中でやはり、たまに心配になるのが、楓ちゃんの事だった。
彼女を救えない自分の力のなさにふがいない気持ちに陥るが、その悔しさも何か一歩でも前に進めるエネルギーに変えている。
以前の俺なら、恥ずかしい事に正直いじけていたが、夢を持った俺は+も-の感情もすべて前向きに生きる力に変わる。
それに先ほど傷つけてしまった花里さんに対して傷つけてしまった事にも。
今の俺に恐れるものはない。
そう恐れるものは何もないと思っていた。
そんな充実した毎日を送る俺に、何か不穏な真実が迫ろうとしていると感じたのはあれから数日後の、正確には平日の木曜日だった。
いつものようにバイトが終わって、帰ると、自宅のドアの前でセーラー服を着た女の子が体躯座りをして俺の帰りを待っていたようだ。
その女の子は俺がよく知っていて、夢に頑張れる動機をくれた女の子だ。
彼女を一目見たとき、また何か悲しい事があって俺を必要として来たのか?分からないが、何か困ったのやら嬉しいのやら気持ちがあたふたとしながら、その名を呼ぶ。
「楓ちゃん」
と。
楓ちゃんは気がつき、俺を見た瞬間、目を丸くして、背中を向けて俺に言う。
「ごめんなさい」
と。
そんな楓ちゃんを見て分かったが、彼女は何か悲しいことがあって俺のところに勝手に来て迷惑をかけていると思えた。
後ろを向いて見えないが、彼女は泣いているのが分かった。
そんな楓ちゃんを見て、楓ちゃんに対する心配する気持ちが少し薄れて、何かほっとしてしまったんだな。
とにかく楓ちゃんに、
「まあ、また何かあったんだろ。力になれるかは知らないけど、話は聞くから、中入れよ」
すると楓ちゃんは、楓ちゃんの中でたまっていた何かが放出するかのように泣き出しながら、俺に抱きついてきた。
何となく橘先生の方を見て、先生も何かほっとした感じで目があって互いに微笑んだ。
楓ちゃんを部屋に招いて、テーブルにおいてある参考書や勉強道具を片づけて、それを見ていた楓ちゃんは、
「隆さん勉強をしているんですか?」
と聞かれて、
「ああ、とにかくまた勉強して大学に行きたいと思っている」
「どうして?」
と楓ちゃんはマジマジと俺の目を見つめて興味深そうに聞いてきた。
だから俺は思わず、
「楓ちゃんのような子の力になりたいと思ってな」
そういって俺は何かこっぱずかしかった。それに笑われるんじゃないかと思ったが楓ちゃんは。
「隆さんって本当に純粋な人なんですね」
にこりと笑って、そういう。
俺はそんな事を言われたのは生まれてこの方初めてだった。
どんな返答を返そうか黙っていると楓ちゃんが気にした様子で、
「ごめんなさい。私、変な事を言いましたね」
と、俺に対して、失礼だと思ったみたいだ。だから俺は、
「いや俺は別に気分を悪くした訳じゃないから」
何て、俺は楓ちゃんが蟠っていると何か嫌な気持ちになるので、誤解を解いておく。
そんな楓ちゃんを見て俺は、
「そんな事を気にする楓ちゃんも充分純粋な人間だと思うよ」
「私はそんな・・・。」
視線を俯かせて、悩ましげな顔をして言う。
何て事を話していて、お湯を沸かしたヤカンが沸騰して音をあげた。
楓ちゃんがここに来た本題を聞こうと思って、コーヒーを入れて、居間に運んだ。
「お待たせ」
と言って暖かいコーヒーを差し出した。
「ありがとうございます」
と手にとって一口すする。
コーヒーを入れたことによって、本題に入ろうと思ったが、楓ちゃんは何を話せば良いのか困惑した感じで、俺も何を聞けば良いのか黙ってしまう。
でもさっき思い切り俺の胸に飛び込んで泣いたからか?先ほど見た、絶望に苛んだ表情よりも綻んでいた。そんな時橘先生が、
「楓ちゃん。さっき思い切り泣いた事によって、気分が晴れたのかもしれないね」
と。俺と同じ事を思っていた。だから俺は橘先生の台詞を代弁するように、
「さっき思い切り泣いて気分が少しだけ解れたんじゃない?」
笑顔でそう答えると、楓ちゃんは胸に手を当て、その目を閉じて考えている仕草をして、
「そうかもです」
と笑ってくれた。
俺はその笑顔を知っている。
それは嬉しいときに見せる笑顔だと。
それで楓ちゃんは立ち上がり、
「今日はありがとうございます」
と恭しくお辞儀をして、
「今日の所は帰りますね」
「飯ぐらい食っていけよ。あまりおいしい物は作れないけど」
何か楓ちゃんをこのまま帰したら、何か心許なくそういった。
「大丈夫です。何かさっき思い切り泣いて、気分が落ち着きました」
「そうか。じゃあまた何かあったら、また来いよ。その時力になれるかどうか分からないけど」
「ありがとうございます」
そういってもてなした温くなったコーヒーを飲み干して、立ち上がり「じゃあ」と言って一瞬少し寂しそうな顔をして去っていった。
それで俺は最後に見せた楓ちゃんの寂しそうな顔が目に焼き付き、ちょっと心配になって、考えごとをしてしまう。
そんな俺を察したのか?橘先生が、
「たっ君は自分に力がないなんて言っているけど、充分楓ちゃんの力になれているじゃん」
「えっ」
と疑問の仕草を橘先生に言う。
「先ほどたっ君は、楓ちゃんに何かあったかは知らないけど、その悲しみを受け入れた事で、彼女は明日頑張れる勇気になったと思うよ」
「そうなのか?」
と聞いてみる。
「うん。きっとたっ君は僕の予想だと、きっと過去に辛い経験をしていると僕は思うんだよね」
言われてみれば、そうかもしれないが俺は「それが何かあるの?」と聞いてみる。
「悲しみを知っている人間は楓ちゃんのような悲しい事情を持った人達に優しく出来るだと思う。だからたっ君はまんざら力がない訳じゃないと僕は思うんだよね」
「でも俺は楓ちゃんをどうする事も出来ない」
「あれで良いんだよ」
「あれって?」
「実を言うと僕だってどうする事も出来なかったよ。だからさっきのたっ君のように、ただその気持ちを受け止めるだけでも良いと思うよ。ただそれだけで彼女は明日につながる勇気に変えて行ったのだから」
「つまり俺が経験した悲しみが、楓ちゃんの勇気に変わったって事」
「そうだね。僕にとってその優しさは、知識である勉強よりも百倍大切なものだと思っている」
そう言われると、何だろう?涙が胸の奥からこみ上げるように流れ落ちた。
これは初めて味わう経験だが、俺はこの涙を知っている。きっと、俺は嬉しくて泣いているんだと。
少しだけ、その嬉しい余韻に浸り、俺は夢に向かって勉強を始めた。
橘先生は勉強よりも、本当の優しさを知る方が百倍大切だと言っていたが、それでも勉強をおろそかにしてはいけないと思う。
きっとこうして学んでいる勉強も、いつかは役に立つときが来ると俺は信じている。
そう思うと、世の中に意味のない事なんてないのかもしれない。
そんな事も知らないで、世を憂いながら生きている人間が愚かだと思う。
以前、橘先生に取り付かれるまで俺はそんな愚かな人間だった。
だから俺はそんな人に伝えたい。
この熱い思いを。
だが悲しい事に、世の中の人間がすべて救われる事はないと思う。
でも俺は一人でも良い。
仮に俺の夢が叶わなくても、その一人の為になるのなら、それで良いと思っている。
たとえ手がなくても足がある。
足もないなら、尻の穴で笑ってやると。
そしてその俺の思いが、全力で夢を叶えようとする無限のエネルギーに変わる。
俺には橘先生曰く、勉強よりも大切な優しさを持っていると言っているが、優しさだけでは生きられない。
だからこうして俺は残酷な運命にあらがうように勉学に励み、悲しみ、苦しみを吹っ飛ばす強さと勇気が必要だと思い立ち向かっている。
人は一人では生きられない。
だから先ほど、涙を俺に打ち明けてくれた楓ちゃんがいたんだ。そして楓ちゃんと出会って、夢を見つける事が出来たんだ。
残酷な出会いばかりに恐れて一人で閉じこもろうとしていたが、そればかりじゃない。ああして楓ちゃんと出会ったことによって、嬉しい出会いが出来たのだ。
そう思うと出会いとは人生の宝探しだとも思える。
だから俺はいつも思うが、これから先、色々な人たちと出会わなくてはいけないと。
残酷な出会いであっても俺は、それを思い出にして、突き進んでやる。
そんな事を思い、毎日を繰り返し、過ごしていた。
毎日を充実した日々を送る。
でもそんなある日の土曜日、今日は以前ついとは言え、花里さんにひどいことを言ってしまったっけ。
まあ俺の心が強くなったのであまりその事で蟠り苛む事はなかったが、いざ対面するとなると、何か緊張する。
だから花里さんにどんな対応をしたらいいのか、昨日から今日と言う日を恐れていた。
客観的に見たら、大した事ではないと思われがちだが、俺に取っては重大だ。
過ぎてしまえば、それは大した事じゃないと後々思うだろうけど、それを分かっていても、恐れてしまう自分に苛む。
とりあえず、仕事場であるコンビニにたどり着いて、花里さんが出勤することを恐れてしまっている。
そして時間になり、花里さんは出勤してきた。
顔や姿形見るだけでも恐れていたが、とりあえず朝の挨拶をする。
「おはよう」
と。すると花里さんも、ちょっと不機嫌そうな表情で「おはよう」と返してくれたことによって、俺の心の中にある蟠りは少しいえた感じで、ほっとした。
花里さんは着替えて、レジに入った時、俺は真っ先に「「この前はごめんなさい」」と互いにハモってしまった。
どうして俺が謝れるのか、「「えっ」」と反応する声もハモってしまい、とりあえず俺は、
「どうして謝るの?悪いのは俺の方なのに」
「いやあたしが、松本さんの事を知りもしないで」
どうやら見えてきたが、彼女は俺を怒らせてしまった事に蟠っていたみたいだ。
俺もつい怒鳴ってしまって蟠っていた。だから俺は、
「とにかくごめん」
と改めて謝っておく。、
「あたしの方こそごめんなさい」
それで先週の件は丸く収まって、ほっとした。そんな時橘先生が、
「案ずるより生むがやすし」
何て本当にその通りだった。
とにかくお互いの蟠りも解消したし、早速仕事に移ろうとする。
俺は俺に対する彼女の気持ちを知っていた。
だから俺は徐々に距離を置くことにする。
彼女がレジをやっているのに対して俺は棚の品出しをしていた。
彼女の鋭い視線を感じる事もあるが、それはそれで仕方のないことなのかもしれない。
今日も賢明に仕事に専念できた自分を誉めている。
まあ花里さんに対する視線は気になったが、それも慣れてくると心の整理がついた。
コンビニを出て、空を見上げると、綺麗に黄昏ていた。
そんな時である。後ろから俺を呼びかける声が聞こえてきた。
「ねえ」
と。
振り向くと不機嫌そうに唇を噤んだ花里さんだった。
「はい」
と返事をしておく。
彼女のシフトが終わるのは俺が帰る一時間前だ。
どうやら彼女は俺が終わるのを一時間近くずっと待っていたみたいだ。
身を乗り出して俺に近づいて来て、
「どうしてあたしの事を避けるのよ」
「・・・」
確かに避けていた。でもそう問いつめられて何を答えれば良いのか分からず、言葉も出せなかった。だから俺はとりあえず、
「別に避けてないよ」
と嘘を言う。
「どうしてそんな嘘をつくの?」
彼女のその鋭い視線が俺の胸に突き刺されているかのように痛かった。続けて彼女、花里さんは、
「松本さんはあたしの気持ちを知っているんでしょ」
確かに知っている。でも俺はその気持ちには答えられないし、もしかしたら彼女を傷つけずには避けられないのかもしれないと思ったが、どんな言葉を返して良いのか分からなかった。
「答えなさいよ」
その藍色のお洒落なポーチを振り回して、俺の肩に殴りつけた。
痛みはなかったが、それよりも心が痛んだ。
出来れば花里さんを傷つけてはいけないと思ったが、こればっかりはもう仕方がない事だと思って、その口を開いた。
「花里さんは俺のどこが良くて、そんな気持ちになったの?」
すると花里さんはその鋭い視線から、潤んだ瞳で、
「分からないよ」
とにかく俺は、
「ごめんね」
と一言口にしてその場を後にした。
こんな俺を好きになってくれた気持ちは正直嬉しい。でもこれは仕方がないのだと俺は思った。
彼女を傷つけてしまったが、それは本当に仕方がない。
だって俺にはその気もないし、仮につき合ったとしても、俺は花里さんを守るような強さは持っていない。
そこで俺は思い出す。
以前橘先生の塾に通って受験勉強をしていた時、俺に勉強を教えてくれる女性を好きになって、避けられた。
でも回りくどい降られ方で、きっとあの人も俺を傷つけたくなかったのだろう。
それで俺の気持ちは高ぶって、ストーカー紛いな事もしてしまった。
だからここで花里さんを傷つけても良いから、きっぱりとダメだと断言した方が良いのだろう。
それはお互いの為だろう。
今日もいつも通り、自宅に帰り、花里さんを傷つけてしまった事に対して、多少蟠ってしまった。
そんな気持ちで勉強に励もうと思ったが、今一集中できなくて、俺に取り付いている橘先生はそんな俺に気がついていたみたいで、
「たっ君。こんな時にまで勉強はしない方が良いかもしれないね。とにかく今はその気持ちを整理した方が良いかもしれない」
言われて見ればそうかもしれないので、俺は外にでて何となく宛もなく歩いた。
当然俺の側に橘先生もいる。だから俺は、
「この気持ち、いつになったら落ち着くんですか?」
「とにかく焦って整理しようと考えない方が良いかもしれないね。
勉強も大事かもしれないけど、前にも言ったけど、その気持ちは勉強何かよりも百倍大事な事だからね」
と言われて、しばらく歩いていると、気持ちが少しずつ晴れていき、俺は確信する。
また一つ俺は優しさを知る事が出来た。
気持ちも落ち着いてきて、自宅に戻った時は、午後十一時を示していた。
寝る前に少しだけ勉強をしようと思う。
橘先生はあまり無理しない方が良いと言っていたが、少しでも一歩前に進むために、勉強を始めた。
少し経過して、俺の携帯に電話がかかってきた。
こんな時間に何だと思って着信画面を見ると、花里さんからだった。
とりあえず、携帯に出て、
「はい。もしもし」
と言ったが返答がなかったので、
「もしもし花里さん?」
と名前を呼んでみる。すると花里さんは、
「明日、松本さん。バイトはお休みだよね」
「うん」
と返事をして、何かに誘われそうだと予感して、その通りであり、
「明日、あたしにつき合ってよ。待ち合わせ場所は平井駅前で九時に待っているから」
何て高飛車な態度で、少しだけいらつくが、それはそれで良いとして、
「もう君とはつき合えないよ」
と言ったが、携帯を切られてしまい、その言葉は届いていないようだ。
どうしよう?
とりあえず、携帯にかけなおして、もう一度、君とはつき合えないとはっきりと伝えようとしたが、彼女は出なかった。
これは橘先生に聞くまでもなく、すっぽかすしかない。