強制イベント発生
「あのさ、楓、このページなんだけどね……」
アイさんが言いにくそうに、一枚の原稿を手に、新見さんに近づく。
「このコマ割りだと、単純すぎるんじゃないかって、ミドリちゃんが……」
「え?どれどれ?ああ、これか……」
新見さんが、原稿を手に取り、一瞥すると顔を曇らせた。
「私もいろいろ考えたんだけどねえ……」
新見さんが、机の上のファイルを手に取り、そこから紙を数枚抜き出す。
見ると、それは、問題になっているページの下書きのようだ。何種類も下書き案があり、新見さんがこのページ作りに悩んでいたことが伺える。
「担当さんとも話して、これで行こうってなったんだけど……やっぱ、気になる?」
新見さん自身も、納得していないようだ。「やっぱり、こっちかなあ……」と、下書きを見ている。
「このミノル君のセリフがあった方が、わかりやすくない?」
「うーん……でも、これ入れると、ごちゃごちゃしちゃって……」
新見さんとアイさんが、難しい顔で話し合っている。
僕も、下書きを覗き込んでみた。そのページは、主人公の女子高生が、気になっているミノル君という男の子の過去の事で、悩んでいるシーンだ。セリフはほぼ一緒だが、絵やコマ割りはすべて違う。中には、ミノル君が大きく描かれているものもある。
「匠太君はどう?どれがいいと思う?」
突然、新見さんに聞かれ、僕は戸惑った。
「僕は、通しで読んでませんし……なんとも……」
「いいの!何でもいいから、意見聞かせて」
新見さんとアイさんに、じっと見つめられ、僕は少々緊張しながら、意見を述べた。
「僕は、この書き方が分かりやすいです。過去編について読んでいない僕でも、ああ、こういうことがあったんだなって、すんなり理解できました」
下書きの中の一枚を抜き出し、僕はそう言った。
「ミノル君の、セリフも気になるところではありますし、一から読んでみようって気にもなるかな、と……」
僕が言い終わると、新見さんは無言で考え込んでしまった。
アイさんはそんな新見さんを見て、僕の隣に腰かけた。
「ありがとう、匠太君。新見が考え出したわ」
「……僕の意見、参考になりました?」
「どうかな?でも、何かしら、創造をかき立てられるものがあったんじゃないかしら?瞬きせずに考え出すと、しばらく黙っちゃうのよ。もう少ししたら……」
その時、新見さんが突然鉛筆を構えると、紙に何かを書きだした。
「そうよ!やっぱり、回想を少し入れた方が感情移入しやすいわ!それで、このセリフを削って……」
新見さんは、三枚の原稿用紙に、コマ割りを書き上げ、アイさんに見せる。
「どう?」
「……確かに、良くなったけど……3ページ書き直し?」
アイさんの頬が引きつっている。
しかし、新見さんは目を輝かせていた。
「こっちの方が絶対に、読みやすいし、面白いわ!よし、担当さんに電話……」
新見さんはそう言うと、携帯電話を開き、ダイヤルを始める。
「え!?ちょっと、楓!?あんた、声が……」
「大丈夫!昨日の夕方にも担当さんと電話したのよ。あっちからかかってきて、つい、取っちゃったんだけどね。カラオケで声潰しましたって言ったら、信じてくれたわ」
新見さんはそう言うと、笑顔で携帯電話を耳に当てた。そのまま、新しい下書きをファックスにつっこんでいる。
「……それ、本当に信じたの?」
「最初は疑ってたわ。でも、漫画の話になったら、すんなり。あ、もしもし、近藤さんですか?新見です」
新見さんは、本当に担当さんに電話してしまった。少し喉をごろごろさせながら、「ええ、まだ、声が治らなくて~」と笑顔で喋っている。
「担当さん、不審に思わなかったんでしょうか?」
僕がアイさんを見て聞くと、アイさんは「楓って、誤魔化しが上手い所があるからねえ……」と、頭を掻いた。
新見さんは、電話で担当さんにネームの変更について話をし、OKを貰ったようだ。満面の笑みで電話を切り、僕たちを振り返る。
「よし、決まり!GOサイン出たわよ!皆にも知らせてくるわ!残業してもらわなきゃ」
新見さんはそう言うと、新しい下書きを持って、部屋を出て行った。
「……え?」
「ちょっと、楓!?」
僕とアイさんは、新見さんを追う。しかし、一歩遅く、新見さんは、僕の姿でアシスタントさん達の前に、立っていた。
「みんな、これ見て!言われたところ直したわ!これでもっと、面白く……」
新見さんは、アシスタントさんたちのポカンとした表情を見て、ようやく現状に気付いたらしい。
髪がぼさぼさの、見知らぬ男が、突然満面の笑みで現れ、アシスタントさんに指示を飛ばし始めたのだ。
誰だって、驚く。
「ご、ごめんね!皆驚いたでしょう!」
僕は大慌てで、新見さんのフォローに入った。
「こ、この人私の漫画家友達なの!」
僕が出て行って、そう言うと、アシスタントさんたちは、ようやくほっとした顔を見せた。
「もう、自分の仕事場と勘違いしたのね、匠太君!ほらほら、その紙返して」
アイさんも、僕に合わせて新見さんの腕を引っ張る。
「す、すいません、僕、勘違いしちゃって……」
新見さんも、多少上ずった声でそう言い、頭を下げる。
新見さんのその行動で、場の空気が和らいだのがわかった。
この隙にと、僕とアイさんは新見さんを引っ張って、部屋へと戻った。
扉を閉めて、三人で大きなため息をつく。
「…………強制イベント発生って感じ?」
新見さんの言葉に、アイさんが拳骨をくらわした。