漫画と小説
その後、簡単に明日の事について、打ち合わせをした。
新見さんのアシスタントさんは、ここ一年固定のようで、まず、名前と顔から覚えることになった。漫画のNico先生のアシスタントは、アイさんも含めて、5名。全員女の子だ。
「この茶髪のミドリちゃんは、少し前の新人賞で入賞した子なの。今は担当さんがついて、連載会議に出すネームを作ってるわ。こっちの黒髪のユイちゃんは、大学生で漫研の子なの。それから……」
顔と名前と、簡単なプロフィールを説明してもらい、僕は必死で覚える。
明日は、僕も新見さんと一緒に奥の部屋にこもることにはなっているが、朝の挨拶や、昼の休憩、お茶休憩などは顔を出すことになっている。できるだけ、アイさんが助けてくれる予定になっているが、話題について行けなければ、不審に思われるだろう。
「話題はたぶん、今度映画化される、同じ雑誌の漫画の事になると思うわ。楓もその漫画大好きだから、一度読んでおいた方が良いわね」
アイさんにそう言われて、漫画10冊を渡された。
幸い、噂に聞いたことのある漫画だった。僕の小説の担当さんが好きな漫画で、よく勧められていたのだ。
僕はその日、新見さんの家に居座り、アシスタントの子達のプロフィールを覚えたり、漫画を読んだり、時々、新見さんの手伝いをして、漫画の書き方というものを教わった。
枠線引きや、消しゴムかけくらいしかできなかったが、原稿用紙一枚を仕上げるのに、多大な労力がかかることを、初めて知った。
「漫画って、本当に、点と線でできているんですね……」
僕は、ペン入れ途中で乾燥させている原稿を見ながら、ため息と共に呟く。
作業自体は単純だが、その分時間と根気がいる。
簡単に済まそうと思えばできのだろうが、その分、絵に勢いや、目を引くものがなくなる。
もう、完成だろうと思っていたコマに、新見さんが何度もペンやトーンを足していくのを見て、驚いた。手をかければかけるほど、原稿用紙の上の絵が、どんどん輝いていくのだ。
「すごい。一コマ一コマに、こんなに手がかかっているなんて……」
僕の呟きに、新見さんはペンを動かしながら笑う。
「まあね~。絵は凝れば凝るほど、良いものができる時があるけど、そればっかりじゃないからね。ストーリーも考えなきゃだし、かといって、ストーリーばっかりで絵が雑だと、読んでもらえないし……」
「僕の小説は、文字ばかりなので、こういう苦労はないですね……」
「でも、小説って、文字で全部を表現しないといけないんでしょう?それはそれで大変だわ。漫画はほら、一コマでバーンと見せられるじゃない?」
新見さんはそう言って、一枚の原稿用紙を僕に見せる。
その原稿用紙のページには、セリフはほとんどないが、主人公の女子高生が、何かに悩んでいる様子が描かれていた。
憂い顔の表情、伏せられた目元だけのアップ、ため息をつく仕草……
セリフが無くても、絵だけでわかる構図だ。しかも、主人公の切ない表情が心に響く。
「だしかに、それは思います。詳しく説明したくても、あんまり説明が長すぎると、読者もリズムよく読めませんしね」
「でも、その代わり、説明できるところは、細かいところまでできるわよね。漫画って小物とかにこだわっても、さらりとページめくられる時があるからねえ……ちょっと悲しいけど、その辺って作者のエゴみたいなところもあるし……」
新見さんは、苦笑しながらそう言った。
「同じ創作の仕事なのに、全然違うわよね、漫画と小説って……」
「そうですねえ……」
その日、僕は遅くまで新見さんの部屋にお邪魔して、漫画と小説談議をした。談議と言うほど、高尚なものではなかったが、違う視点で物語を描くことについての話は、とても面白かった。
夜遅くなったことに気付き、慌てて家に帰っても、妙に気が高ぶっていて、眠れそうにもなかった。
こんな、奇異な経験をしているのだから、当然かもしれないが、僕は明日、新見さんの家に行くのが楽しみになっていた。
(あんな人が、隣に住んでたんだなあ……もっと早く、知り合いたかったかも……)
そんなことを考えていたら、家のチャイムが鳴った。
こんな遅くに誰だろう?と思って、出たら、新見さんだった。
「匠太君、お風呂まだよね?メイクちゃんと落としてから寝てね!」
そう言って、クレンジング剤を差し出された。