震えながらの 告白
気が付けば、新見さんの舞台挨拶は終わっており、自分の番が来ていた。
「匠太君、頑張って!ライトが眩しいから気を付けてね!」
新見さんに、背中を叩かれ、僕は舞台へと上がった。
しかし、僕の頭のなかで、映画化の事は片隅に追いやられていた。それよりも、さっき新見さんとした会話が、頭の中を駆け巡っていた。
(結婚はしない……恋人は募集中……)
僕は、舞台に上がり、司会者たちの話を聞きながら、ぼけっとした顔を晒していたと思う。
新見さんと近藤さんの結婚式に参列する夢まで見て、最悪の気分で目を覚ました事さえ、自分の勘違いから生まれたことだったなんて……
(最悪だ……なんてことだ……こんなことって……)
僕は、いつの間にか手渡されていたマイクを握りしめ、唇を噛む。
そうでもしていないと、顔が緩みそうになるのを堪えきれなかったのだ。
(嬉しい……僕にはチャンスがあるんだ……)
今は仕事中なんだから、堪えろと、いくら頑張ってみても、頬は緩んでしまう。
舞台の上に立ち、パーティーの参加者に注目されているのに、全然真面目な顔ができない。いや、舞台あいさつなのだから、笑顔を振りまく方が良いに決まっているのだが、そういう場所に求められる笑顔と、今の気分の笑顔はまるで違ったものだろう。
唇を噛んで俯いていると、小町が「顔をあげろよ。何変な顔してんだ?」と横から小突かれた。
「……それでは原作者の風見先生に質問です。この原作では、主人公の男性が恋に落ちることから、これまでの人生が一変してしまう経験をするわけですが、先生もこんな経験をされたんですか?」
「……はい」
僕は、慌てて司会者の質問に答える。
「それはやはり、恋ですか?」
司会者の少しおどけた質問に、会場から笑いが起きる。
「……そうです。僕も、そんな経験をしました。今までの人生が、ほんの少し変わったような……小説では、その気持ちをかなり正直にぶつけています」
「おいおい、それは聞いてないぞ。どんな経験だ?振られたのか?」
突然割り込んできたのは、小町だ。何故か、小町もマイクを持っている。
「それはぜひ聞いてみたいですね」
三浦さんまでそんなことを言い出した。
会場からも、ヤジが飛ぶ。
僕は少し笑って、口を開いた。
僕の心は、ウキウキと浮き足立っていた。今なら、おだてれば何でも喋りそうだった。
「実は、かなり間抜けな話なんですが、僕はとある女性に告白しようと決心していました。でも、告白する前に、その女性が結婚することになりまして……」
会場から「ありゃー……」と同情の声が聞こえた。
「ですが、なんと、彼女が結婚するという話は間違いで、結婚するのは彼女の友人だったんです。僕は、そうとは知らず……ついさっきまで、この恋は諦めなければと思い込んでいました」
「ん?ついさっき?」
小町が僕を見る。
「はい、ついさっきまで。ついさっき、僕にもチャンスがある事が分かりました。なので、ちゃんと告白するつもりです」
僕の言葉に、一泊置いて、会場から拍手と「頑張れ!」という声援が飛んだ。
「ありがとうございます。あ、小説の方に影響はないと思いますが……もしかしたら、ラストが変わっちゃうかも……」
そう言って、三浦さんの方を見ると、三浦さんは「楽しみです」と微笑んでくれた。
僕は「頑張ります」と言って、マイクを司会者に返した。
意外な盛り上がりを見せて、僕たちの舞台挨拶は終わった。
拍手の中、僕たちは舞台を降りる。その途中で、舞台袖にいた新見さんと目が合った。
大きな目をまん丸にして、新見さんは僕を見ていた。
僕は、舞台を降りると、その勢いで新見さんの元へと向かった。
「新見さん、話があります。一緒に来てもらえませんか?」
僕がそう言うと、新見さんは何度か口をパクパクさせた後、「……は、はい」と消えるような声で言って、照れたように頷いた。
「あ、あの、匠太君……」
僕が立ち止まると、新見さんは落ち着かなげに、僕の名前を呼んだ。
僕たちは今、パーティー会場であるホテルの中庭にいた。
綺麗に整えられた花壇の周りには、ほのかな灯りのライトが点灯してあり、場所的にはとてもロマンチックだと思う。
ただ、今は一月。ものすごく寒い。
晴れ渡った夜空には、綺麗な月が浮かんでいるが、それすら寒々しく見えてしまう。
僕はスーツを着ているが、新見さんは二の腕もあらわなワンピースだ。僕は上着を脱いで新見さんに羽織ってもらったが、やはり寒そうだ。
「……すみません、やっぱり、中に行きましょう」
「駄目よ。中じゃあ、人がいて……その……私は大丈夫だから!」
新見さんは、少し緊張した顔で、そう言った。
その表情は、緊張半分、困惑少々、寒さで強張っているのがもう少しと……僕の思い違いで無ければ、少しだけ嬉しそうだった。
「……ありがとうございます、それじゃあ……」
僕は新見さんに向き合い、姿勢を正す。
新見さんも僕につられたように、背筋が伸びた。
なんだか、愛の告白というよりは、何かの宣言の場面のようだ。
「さっきのスピーチで、もう気づいちゃったかと思いますが、僕、新見さんの事が好きです」
「……う、うん」
「それで、年末は、新見さんが結婚するんだって勘違いして、落ち込んで実家に引っ込んでいました」
「……そ、そっか……」
新見さんが、照れたように顔を俯ける。
新見さんは、僕のスーツの上着をしっかり握りしめ、身を縮めている。
僕の上着で暖を取っている新見さんを見て、少し嬉しくなった。
新見さんは僕を嫌ってはいない。嫌いな男のスーツを、こうもしっかりと握りしめはしないだろう。それに、寒さに耐えて僕の告白に付き合ってくれるのも、僕の事を多少は好きだという証だと思う。
「突然、こんなことを言ってすみません。僕たちは、もう、三年くらいお隣さんをやっているけど、会話を始めたのは、ほんの二カ月前くらいですもんね。そんな短い間しか付き合っていないのに、好きだなんて言っても信じてもらえないって思ったんですけど……」
僕は一度息を吸い、吐き出す。
言いたいことは決まっていた。
年末に、自分の気持ちを小説にぶつけ続け、文章に書き起こしているのだ。嫌になるほど書き直し、推敲してきた。
「新見さんが結婚するって勘違いしてから、僕は、自分の気持ちを伝えられたなかったことを後悔しました。すごく悔しかった」
新見さんが顔を上げる。
僕は、その目をまっすぐに見て、続けた。
「振られてもよかった。ただ、言いたかったんです。新見さんに好きだって伝えたかった。まだ早いかなって、二の足を踏んだことを、ずっとうじうじと後悔してました」
僕はだんだんすっきりとしていく心を感じながら、自分の気持ちを吐き出す。
「僕は、新見さんと出会ってから、少しだけ世界が変わった気がしたんです。って言っても、そんなに大げさなものじゃあないんですよ?ほんの少し……カーテンの影に隠れていたものを発見したような、そんな変化です。でも、それを見つけてから、僕は……すごく楽しくて、幸せで……新見さんの事を考えている時、僕は時間を忘れました」
僕の視線の先で、新見さんの目が、ライトに照らされて、キラキラと煌めいている。綺麗だなと思いながら、僕は続ける。
「好きです、新見さん。ずっと新見さんの事を考えていたい。小説の事を考えている時以上に、幸せです」
「……もう、匠太君……すごく嬉しいわ」
新見さんはそう言って、少し泣きそうな顔で笑ってくれた。
僕も、自然と笑顔になる。
新見さんが、僕の気持ちを聞いてくれて、嬉しかった。
「恋人になってくれとは言いません。僕たちはまだ、そこまでお互いを知っている訳じゃないから……でも、新見さんが嫌じゃなければ、これからも、友達として付き合ってほしいです」
僕が言い終わると、新見さんはちょっと考えるしぐさをして、僕を見上げた。
「押しが弱いわ。恋愛ものを書く少女漫画家としては、もう少し、強引に来てほしい所ね」
「え……すいません」
「そんなところも好き」
「え……」
その時、少しひんやりとした感触が、僕の手を包んだ。
新見さんに手を握られたのだと気づくと、僕は途端に緊張し、体が熱くなった。
「私、男女の交際は、友達以上恋人未満から始めてもいいと思っているの。友達以上の交際をして、初めてわかる事があると思うのよ。こんな素敵な告白をされて、友達になんか戻れないわ。どう?」
新見さんの言葉を聞き終え、その意味を理解し終えるのに、僕は少しの時間が必要だった。
「是非!」と答える時には、二人の体はすっかり冷えていた。
僕たちは走るようにして、ホテルに戻る。
腕も足も、背中も冷えていたが、繋いでいた手だけは温かく、いつまでも離し難い熱を生み出していた。