恋は盲目 1
僕と、新見さんがそれぞれの体に戻って、一週間が過ぎた。
あの不思議な三日間の原因は、いまだにわかっていない。一応念のため、という事で、僕たちは病院に行って、健康診断を受けた。自営業みたいなもんなので、普通の会社員のように健康診断を受けたことがなかった僕たちは、これを機会に、と、あちこち調べてもらった。
多少お金はかかったが、二人とも検査してもらった病院では、特に何も言われたなかった。健康診断の結果が届くまではわからないかもしれないが、まあ、大丈夫だろう。
僕は、いつもの生活に戻った。
朝起きて、パソコンの前に座り、頭に思い描いた物語をポチポチと打ち込んで形にしている。時々、家を出て、買い物や散歩に行ったりする以外には、やることもなく、静かで穏やかな日々が過ぎた。
そして、ゴミ出しの日、いつもの時間にゴミ袋を持って外に出た僕は、見覚えのあるサンダルを履いている新見さんを見つけた。
「おっと!もうぶつからないわよ!」
新見さんは僕を見ると、悪戯っぽい顔でそう言って笑った。
僕も笑う。
「おはようございます」
「おはよう、なんか久しぶりだね、匠太君」
新見さんは、目の下に薄い隈を作っていたが、すっきりした顔で笑っていた。
「締め切り終わりました?」
「終わったわ。隣、うるさかった?ごめんね、今回ちょっと、大変で……」
「いいえ、そんなでもなかったですよ」
僕と新見さんは、ゴミを出し終えると、一緒に部屋のある階へと戻った。
部屋の前に来ると、新見さんは「それじゃあね、私は今から寝るわ」と言って、扉に手をかけた。
「あ、そうだわ、今度アイとアシスタントの皆と鍋しようって話になっているんだけど、匠太君も来ない?」
「行きます!」
「本当?やった!アイに言っておくわ。日が決まったら連絡するね、それじゃ」
「はい、おやすみなさい」
新見さんが部屋に入るのを見届け、僕も部屋の鍵を取り出す。
部屋に入り、扉を閉め、一人になると、胸の奥がかあっと熱くなった。
(アイさんだけじゃなくて、アシスタントの皆と一緒ってことになったら、きっと、この前の事を聞かれるよな……何か、言い訳考えないと……)
僕は、そんなことを考えながら、顔に手をやる。
顔が熱くなっている気がした。顔だけではない、体全体が熱を帯びている。
面倒な言い訳を考えなくてはならないのに、どうして「行く」なんて、即答してしまったのか……
その理由は明白だ。
(まだ、一週間しか経ってないのに、本当に久しぶりに会えた気がした……)
僕は熱の引かない顔を手で押さえ、ほう……と息を吐いた。
鍋パーティーは、10日後の月末に決まった。
その連絡をくれた時、新見さんは「すっかり忘れてたんだけど、どうやって皆を誤魔化す?」と、ちょっと慌て気味に聞いてきた。アイさんに指摘されるまで、本当に忘れていたらしい。あの時、僕は「新見さんの友達の漫画家」という事になっていた。アシスタントに指示を出すくらいだから、そこそこ腕のいい漫画家という事だ。僕の画力や知識では、漫画の仕事をしているアシスタントさんたちを誤魔化すのは無理だろう。
しかし、それについては、秘策があったので、僕は任せてくださいと伝えておいた。
僕はその日、新見さんと入れ替わっていた時に行った美容室へと行ってきた。今度はカットだけではなく、髪を染めてもらうためだ。
担当してくれたのは、偶然にも、先日と同じ眼鏡の男性だった。
美容師さんは僕に会うなり「告白しました?」と聞いてきた。僕は驚いて、思わず「まだです」と口走ってしまった。
おかげで、美容師さんは、僕が告白するために髪の色を変えに来たのだと信じてしまった。
否定しようかとも思ったが、嘘とも言い難いので、僕はそのままにしておいた。
美容師さんには、先日、いろんなアドバイスをもらったので、そのお礼を伝えた。美容師さんは笑いながら「お役に立ててうれしいです」と言ってくれた。僕の眼鏡を新品だと気づき、「良く似合ってますよ」と言ってくれた。人から持ち物を褒められるのは、嬉しいものだと気づく。これまで、服や装飾品を気にすることは無縁だったので、眼鏡を褒められただけでうれしくなってしまった。
(きっと、新見さんも、服や髪型を褒められれば喜ぶんだろうな……)
僕はそう思ったが、さて、自分にできるだろうかと心配になる。女の子の服や髪型の変化に気付くほど、僕は男としてのステータスが高くはない。
美容師さんに、その辺のコツを聞いてみようかと考えたが、これは経験則のような気もするので、止めておいた。
髪を染めてもらいながら、美容師さんに先日行った店の話をしたり、女の子の好きそうな店を何軒か紹介してもらったりした。
女の子向けの雑貨店や、最近流行りのスイーツショップとかだ。さすが女性客が多い店だけあって、美容師さんは、そういう情報に詳しかった。
どこそこの店に連れて言ったら、株が上がりますよ、と言われ、僕はその店の住所と名前をしっかり記憶した。
髪染めが終わり、美容院を出るときに、美容師さんにこう言われた。
「なんか、雰囲気変わりましたね。あの時は、女の子の事は遊び程度なのかなって思ったんですけど……そうじゃないみたいですね。応援してます、頑張ってください」
美容師さんにそう言われ、僕は嬉しくなった。
前回の僕は新見さんで、雰囲気が変わったのは当然なのだろうが、それでも、新見さんへの気持ちを応援されたことが嬉しかった。