元に戻った!
「ウィスキーにまで手を出していたからね……と、お酒の話はおいておいて、試してみる価値はあるんじゃない?キス」
アイさんが、僕と新見さんを見て、言った。
「…………そうよね……」
新見さんが僕を見て、うなづく。
「……そうですね……」
僕も試す価値はあると思っている。しかし、キスだ。
そう、簡単にできるものではない。
「もう、二回やってんだし、三回も四回も一緒よ」
僕の思考を読んだようにアイさんが言った。
「かるーく触れるだけでいいんでしょう?」
新見さんは乗り気だ。
「…………わかりました……でも、ちょっと心の準備をする時間を下さい」
僕はそう言って、深呼吸をする。
「どんなキスがいい?私からリードする?あ、壁ドンしちゃう?」
新見さんは、まだ、酔っているのか、そんなことを言いながら笑っている。
新見さんがリードしてくれると、助かるなあ、なんて僕が考えていると、新見さんが立ち上がって僕のところに来た。
「さ、ちゅちゅっと済ませよう」
「ちゅちゅっとって……」
僕が新見さんのあっけらかんな様子に、半ばあきれて顔を見ると、その顔は少しだけ緊張したように引きつっていた。
(あ……照れてる……)
新見さんは、気楽な事、と、口では言っているが、内心は緊張していることが分かった。そりゃそうだ、なにせ、キスをするのだから。
「……そうですね、ちゅちゅっとやっちゃいましょう」
ここで僕が下手に緊張したりすると、余計やりにくくなる。
僕も、何でもないことのようにふるまいながら、僕の姿をしている新見さんを見る。
「……私、隣に行ってようか?」
アイさんがそう言ってくれたので、僕たちは頷く。
二人きりになり、向かい合うと、僕の心臓がどきどき言い始めた。
(ああああ、緊張してきたー!)
顔には出さないように頑張ってみたが、たぶん強張っているのは隠せてないだろう。
「ふふふ……オキャクサンりらっくすシテね~」
新見さんが、風俗嬢のようなセリフを言って、僕の頬に手を伸ばしてきた。片言の日本語という事は、外国人設定なのか……
「……リードを任せて、いいですか?」
「いいわよ。じゃ、目を閉じて……」
「はい」
僕は素直に閉じる。思わず唇を固く引き結んでしまったので、そこは緩めておく。
かすかに、新見さんの吐く息を感じて、ますます緊張は高まってしまう。
(自分の体にするんだから、なにも照れることはない……だけど、この体は新見さんのだし……ああ、もう……)
僕は頭の中でぐるぐると考えながら、ひたすら目を閉じ、その時を待った。
「ちょっと待ってね……」
新見さんの声が聞こえ、目を開けると、新見さんが真っ赤になってうつむいている。
「ごめん、自分からキスって、あんまりしたことないから……」
「あ、いえ……」
僕もつられて赤くなるかと思いきや、そうではなかった。
(そうか、新見さんは誰かとキスしたことあるのか……ちゃんと、男のほうがリードして……)
僕はどうしてか、そのことに少しだけショックを受けていた。
(当たり前だよな僕たち、もう、いい大人なんだし……驚くようなことじゃないじゃないか……)
僕はそう考えてみたが、心のもやもやは取れない。
目の前で盛んに照れている新見さんを見ていると、そのもやもやは大きくなるばかりだった。
僕は、新見さんに手を伸ばした。
「僕がリードしますから、目をつぶっててください」
「……匠太君が攻めキャラ?な、なんか意外だわ」
新見さんは、そう言って照れ隠しに笑い、目をぎゅっと閉じた。
顔かたちは、僕のものなのだが、少しだけおびえた様子のその顔は、明らかに新見さんのものだった。
昨夜見た寝顔が思い出される。
その時の、可愛らしい寝顔と、今の表情が重なり、僕の心臓が大きく跳ねた。
そろりと、顔を近づけ、お互いの吐息のかかるところまで来ると、新見さんが一度小さく震える。
「お客さん、リラックスしてね」
「ぶ……」
僕のたどたどしい言葉に、新見さんが噴き出す。
そのまま、僕は唇を合わせようとした。
しかし、その時……
「あ……」
「え?」
僕たちは元に戻った。
「も、戻った?」
「……戻りましたね……」
僕たちは、至近距離で見つめあい、驚きに目を見開く。
今、オレはオレの体に、新見さんは新見さんの体にいた。
「え?なんで!?キスした?」
「いえ、してません」
「じゃあ、どうして、戻るの?」
「さあ……?」
僕たちはしばし見つめあい……
「と、とりあえず、やったわね」
「そうですね」
未遂に済んだキスだったが、緊張しまくった上の未遂なので、どうも、もやもやしたままだ。僕たちの緊張を返せと言いたくなる。
「あ、アイ!アイ!来て来て!戻ったわ!」
「戻ったの!?」
アイさんが、新見さんの呼びかけに、すぐに部屋に駆け込んでくる。
「本当に、楓?そっちは匠太君?」
僕たちを見ながら、アイさんは確認するように聞く。
「はい、僕が匠太です」
「私が楓よ。やったー!」
新見さんはアイさんの手を握って、ピョンピョン跳ねる。
「やっぱり、キスだったの?」
「ううん、違ったみたい。キスする前に戻ったの」
「え?じゃあ、なんで?あ、また、おでこぶつけたとか?」
「ううん、なんでか、何もしないうちに戻ったの」
「……なにそれ、いったいどういう事よ……」
アイさんは困惑顔だ。もちろん、僕たちも意味が分からない。わからないけど、元に戻ったことには、万々歳だ。
「う!?」
両手を上げて喜んでいたのもつかの間、僕は、こみあげてくる吐き気に、口を押えた。