きっかけは、キス?
(まさか、キス……じゃないよな……)
僕は、冷や汗をかきながら、考える。
最初の入れ替わりの時は、キスなどしていない。ぶつかったのは、新見さんのおでこと、僕の鼻であって、唇は一切触れなかった。
しかし、昨夜のことを考えると、元に戻った後に起こった出来事と言えば、キスをしたことか、僕がしりもちをついたことくらいだ。他には何もない。だって、新見さんは眠り続け、僕もベッドで丸くなって眠ったのだから。
(このことを言うべきか……いや、言ったほうがいいんだろうけど……)
僕は頭を抱えながらコーヒーを飲んでいる新見さんに目をやって考える。
あれは事故だ。僕は酒で足元がおぼつかなかったし、決してよからぬことを考えていたわけではない。酒を飲みすぎていたことは、新見さんが今、身をもって体験している。っていうか、足元をふらつかせるほど飲んだのは、新見さん自身だ。きっと説明すればわかってくれるはずだ。
だが、言い出すのには少々勇気がいる。
僕が深呼吸をしてタイミングを計っていると、新見さんが立ち上がった。
「ちょっと、顔洗ってくるわ……」
そう言って、洗面所へ向かう。
その背中を見送ると、アイさんが僕を見てきた。
「ねえ、匠太君、あなたが昨夜元に戻った後に、何かあったんじゃないの?思い出して、何かあったのよ」
アイさんの言葉に、オレは、もう隠しきれないと判断し、うなづいた。
「はい、ありました」
「覚えているの?」
「はい……実は……」
僕が白状しようとした時、洗面所のほうからかすかに悲鳴が聞こえた。
すぐに、新見さんがタオルを手にこっちに走ってきた。新見さんはものすごく慌てた顔で、僕を見た。
「ご、ごめん匠太君!私、ちゃんと反省していたのよ!こんなことするつもりは全然なくて、でも、酔っぱらって、悪ノリしちゃったんだわ!」
いきなり、謝ってくる新見さんに、僕とアイさんは首をかしげる。
「どうしたんです?悪ノリって何のことですか?」
「口にグロスがついてたの!きっと、昨日の夜、匠太君が寝た後に化粧しようとしたんだわ!」
新見さんの言葉に、僕は自分の顔がに血が上るのを感じた。
新見さんの唇に……体は僕の唇に、だ……グロスがついているということは、キスの決定的な証拠である。昨夜、僕は化粧を落とした記憶がない。
あれ?でも、グロスなんかつけてたっけ?
しかし、そんなことはどうでもいい。これは、キスの決定的証拠だ。
僕が観念して土下座しようとした時に、アイさんがさらりと口を開いた。
「ああ、違うわよ。確かに昨日、匠太君が寝た後に、あんた化粧ポーチを取り出したけど、自分にじゃなくて、寝ている匠太君にしてたわよ」
「え?匠太君に?ってことは、私の顔に?」
「そうそう」
新見さんの言葉に、アイさんがうなづく。
「女装しているところを匠太君に見つかって怒られたから、もう、二度としませんって言って、寝ている匠太君に塗りたくってたのよ。だから、ほら、あんたの顔、化粧してる」
アイさんは僕を指さして言った。
なるほど、それで、グロスがついていたのか……
「げ……化粧したまま寝ちゃったってこと?」
「正確に言うと、寝た後にわざわざ化粧したのよ」
「あーもー……肌が荒れちゃう……」
新見さんが、僕の顔に手を伸ばして、頬に触れる。
「あれ?じゃあ、どうして、今の私の唇にグロスがついているの?」
「匠太君にグロス塗った後に、指で触っちゃったんじゃないの?」
アイさんの言葉に、「なるほど、ありうる」と、新見さんは納得したが、そうではないことを僕は知っている。
「……あ、ちょっと待って、あんたたち、昨日キスしてたから、その時ついたのよ」
突然、アイさんが思い出したかのように爆弾を投下した。
「キス!?キスって、なによ!?」
新見さんが、頭痛を忘れたかのように立ち上がった。
僕は、今度こそ土下座の時だと覚悟を決めた。しかし、アイさんがまさか現場を見ていたとは思わなかった。
「あんたが酔って、キスしまくったのよ。私にもしたんだから」
アイさんの言葉で、別の事実が発覚した。
「…………え?」
「あんた酔うとキス魔になるのね。いつも、すぐに酔いつぶれるから知らなかったけど……いや、もしかして、キス魔になるのは匠太君の方?」
アイさんがオレを見て、そんなことを言う。
「い、いえ、そんなことは……」
「あはは、冗談よ」
アイさんが笑う隣で、新見さんが土下座をしようとしていた。
「ごごごごごめんなさい……私ったらなんてことを……」
「全くよ。私、旦那がいるんだからね。よりにもよって、匠太君の口でキスするなんて……」
アイさんがそう言って、ため息をつく。
「ま、待ってください。あの……おあいこ……ですから……」
そう言って、僕もその場に正座する。
「おあいこ?」
「どういうこと?」
アイさんと、新見さんが、僕を見て尋ねる。
僕は正座をして昨夜のことを白状した。事故だったことは強調し、頭を下げて謝る。
新見さんも、アイさんも驚いたようだが、二人とも目を輝かせる。
「ってことは、入れ替わりの原因はキス!?」
「もう一回したら、入れ替わるかしら?」
新見さんは、僕を顔を見て、まるで獲物を捕まえようとする猛禽類のような目をしていた。
「元に戻れば、この気持ち悪いのとおさらばできるわ」
「動機が不純です。っていうか、ひどいです。僕に二日酔いを押し付けようとしていますね」
僕は、新見さんから少し離れる。
「だって、本当に気持ち悪いんだもん~」
「どんだけ飲んだんですか?いくら強いって言っても、限度があるでしょう」
「ウィスキーにまで手を出していたからね……と、お酒の話はおいておいて、試してみる価値はあるんじゃない?キス」
アイさんが、僕と新見さんを見て、言った。