あれは、夢?いいや、夢じゃなかった!
「匠太くーん、匠太君よね?そろそろ起きて」
「…………へ?」
僕は、アイさんに名前を呼ばれて起きた。
目を開くと、アイさんがコーヒーカップを片手に、僕を見下ろしていた。
「アイさん?なんで、僕の家に……」
「ここは楓の家よ。匠太君、昨日酔っぱらってここで寝ちゃったのよ。覚えてない?」
「へ?」
僕は、アイさんの言葉に、混乱して身を起こす。長い髪が、目の前に垂れてきて、視界を覆う。思わず髪の毛を振り払ったとき、その髪の毛が染めてあるものだと気づいた。
しかも、眼鏡をかけていないのに、視界ははっきりしている。
「あ、あれ?僕、新見さんの姿ですか?」
「え?ええ、そうよ。まだ、入れ替わったままだけど……」
アイさんは驚いたように僕を見る。
「昨日、戻ったんですよ。元に戻って、僕は自分の家に帰って寝たんです」
「……夢じゃない?匠太君の姿の楓は朝からどこに行ったのか、いないんだけどね」
アイさんはそう言って、カップに口をつける。
僕は、自分の顔をペタペタと触りながら、呆然とした。
確かに、この体は新見さんの体だ。胸はあるし、裸眼なのによく見えるし、下にあるべきものはない。
(あれは夢だったのか?……ちょっと待てよ、どこまで夢なんだ?あの、キスは……)
そこまで考えて、顔が赤くなった。
夢だったのかもしれないが、あの唇の感触は、確かに覚えている。かすかに触れただけだったけれど、ありありと思いだされた。
「まったく、楓の奴、どこに行ったのかしら?」
アイさんがそう呟きながら、キッチンに行く。キッチンからは美味しそうな香りが漂っていた。
「匠太くーん、トーストと目玉焼き作ってるんだけど、食べる?」
アイさんが、キッチンから聞いてきた。
「は、はい、いただきます」
僕は答えて立ち上がる。
手伝おうと、キッチンへ向かいかけ、廊下に出たところで、玄関が目に入った。
僕は踵を返して、玄関に向かった。
もし、昨夜のことが夢でなければ、玄関に僕が滑りこませたカギが落ちているはずだ。しかし、カギはなかった。
「…………やっぱり、夢だったのか……」
「夢って?」
後ろにアイさんがいた。
「あ……さっき、僕が言った話です。僕、夢で元の体に戻って、自分の家に帰ったんですけど、僕が外に出るとこの扉の鍵が開いたままになるから、そこにあるカギでカギをかけて、新聞受けから中に放り込んだんです」
アイさんは、僕の話を聞くと、「あ……」と呟いた。
「カギが落ちてたわ。朝……楓が落っことしていったのかと思って、拾ってそこに戻しておいたんだけど……」
「……その時扉を開けましたか?扉のカギは?」
「ううん、触ってないわ」
僕は扉に手をかける。カギが閉まっていて、開かない。
「……新見さんがいないんですよね?カギはここにあるのに、外に出た新見さんはどうやってカギを閉めたんでしょうか?」
「…………合鍵?」
「どうして、わざわざ合鍵を?カギは玄関のここにあるのに」
靴箱の上の小さな籠が、カギの置き場所だ。わざわざ合鍵を取り出して使う理由とは何だ?
僕は扉の鍵を開けて、外に出る。
隣の自宅の扉にもカギがかかっている。
僕は、インターフォンを鳴らした。
アイさんが、僕の行動を不思議そうに見ている。視線を感じながら、オレはインターフォンを二度、三度と鳴らす。
しばらくかかって、家の中から足音が聞こえてきた。
「……はーい?」
出てきたのは、気分が悪そうな僕の姿をした新見さんだった。
「あ、楓!なんで、匠太君の家にいるのよ?」
「……なんでだろう?……頭が痛い……」
新見さんは、青い顔で頭を押さえながらうめいた。
「新見さん、来てください。話があります」
「えー?今?」
新見さんは、億劫そうにそう言ったが、僕の顔を見ると、しぶしぶ靴を履き始める。
「なんで、私、匠太君の家にいたのかなあ?ここで寝たと思ったのに……」
新見さんは、痛むのか、頭を押さえながら言った。
家の中に入り、新見さんはキッチンに向かい、水を飲んだ。
「うー……気持ち悪い……」
「調子に乗って飲みすぎるからよ」
アイさんが、新見さんのためにコーヒーを淹れている。僕にも淹れてくれた。
「新見さん、覚えていませんか?いつ僕の家に行ったのか」
「んー……全然覚えてない……だいたい、匠太君の家の鍵だって、どこにあるのか知らないし……」
新見さんはそう言って、キッチンの椅子に座ってテーブルに突っ伏す。
「…………やっぱり、夢じゃなかったのかも……」
「夢って?」
僕は昨日のことを、キスの話は抜きにして二人に話した。いきなり家に帰った理由は誤魔化した。
「え?じゃあ、私が匠太君の家にいたのは……」
「たぶん、新見さんじゃなくて、僕のせいです。そして、どういうわけか、また、入れ替わりが起きた」
「……でも、どうして?お酒?お酒が原因?」
アイさんが、昨日飲んだお酒の空き缶や空き瓶を見て、言った。
新見さんは、もう、そんなもの見たくもないというように、そこから目を逸らす。
「でも、お酒って……最初に入れ替わった時は、一滴も飲んでないわよ、私」
「僕もです」
「そう……それじゃあ、何が原因なの?」
アイさんは、難しい顔をして、昨夜のことを懸命に思い出そうとしている。
その隣で、僕は冷や汗を流していた。
(まさか、キス……じゃないよな……)