サクラコと異世界
気づけば、森の中。
テディベアを殴った構えのままだ。手にあの時のインパクトの感覚がまだ残っていて、右手を何度か握り直して、感覚を確かめる。ものすごく晴れやかな気分だった。
あの拳に全ての思いを込めることができたみたい。
「ああ、やっぱりアイツ、粉々になったな。確認しておいて良かった」
和也がそう言いながら、周りを見渡す。
「ここが異世界、か? 異世界のどのあたりなんだろう。森? それにかろうじて道になっているところがある。とりあえずこの道に沿って進んでみようか」
突然よくわからないことに巻き込まれたっていうのに、和也はすっかりいつもの調子だ。
「和也、その、もし私のこと殴りたかったら、殴っていいからね。だって、こんなことになったのも、私のせい、でしょ?」
「何言ってんの。桜子のせいじゃないし、俺は……むしろ、こうなったことを楽しんでいるかも知れない。新しい世界って感じで、うん、平気。ていうか、桜子殴ったら、俺の手の方が壊れる」
「手が壊れるって、へへ、何それ。和也も冗談言うようになったのね!」
「冗談のつもりじゃないけど……」
という和也の言葉を無視して、私も新しい世界という和也の言葉に思いを馳せた。
新しい世界。確かにそう思うとなんだか楽しそうな気がしてきた。
いや、せっかくだもの。楽しまなくちゃ!
前の世界では、武闘家の娘として生まれて、諦めていたけれど、もし生まれ変わる機会があったら、か弱くて可愛い女の子になって、王子様みたいな人のお嫁さんになってみたい、とか、色々乙女な妄想をしたことがある。今まさに、そのチャンスなんじゃないだろうか!
テディベアの神様に最後、ちょっと気になることも聞けたし。
ふふ。この世界には強い人がいっぱいいるって!
そう、私を守ってくれようとしてくれる、王子様のような、ナイトのような人がいっぱいいるかも知れない!
「和也、私ね、目標を決めた!」
「目標? ……なんか嫌な予感するんだけど」
「せっかく新しい世界に来たんだもの。長年の夢だった『か弱い女の子』に、私、なろうと思う!」
「は?」
「和也だから、特別に話すけどね、私小さい頃から、王子様に守られるお姫様に憧れてたの。でも、ほら、元の世界だと、私の家の道場は結構有名だったし、私って、か弱い女の子ってイメージと無縁でしょ? だから、あんまりそういう、守られたりとか、お姫様扱いされたりとか、なくて……。それに、男の子も、守ってあげたくなるようなか弱い女の子って好きでしょ? だから私、そういう女の子になってみたいの。それで、そのね、そう、はっきり言うとね、私、彼氏が欲しいの!」
「もしかして、最後にさ、あのぬいぐるみに強い人がいるかどうかって聞いたのって……」
「そう! 私のことを守ってくれる男の人に出会えるかどうか、気になって、へへ、聞いちゃった!」
私が顔を赤らめながらそう宣言すると、和也は何故か呆れたような顔を私に向ける。
「やっぱりロクでもない話だった」
「ひどい! 私が、恥を忍んで打ち明けたというのに! ……お姉ちゃんに協力してくれないの?」
「お姉ちゃんって……年だって、一個しか違わないし、本当の姉じゃないだろ」
「血のつながりはなくても、和也は、大切な家族……」
だと思っているのは、え、もしかして私だけ? 弟のように大切に思っているのに。
私が見つめると和也はわざとらしく大きなため息を吐いて「まあ、いいけどね。わかってたことだし、長期戦だって思ってるから」と言った。
え? 長期戦? 和也ったら、一体何を言ってるの。
何かと戦っているの? 言ってくれたら、私、和也の敵は全部叩きのめしてあげるのに。
あ! だめよ、私はこの世界ではか弱き乙女。そう、か弱いの!
そんな叩きのめすとか思わないんだから、か弱い女の子は! 多分!
「そうだ、せっかく新しい世界に来たんだし、和也もまた体を鍛えてみたら? やっぱり女の子は自分より強い人に守られるようなシチュエーションに憧れるものよ!」
「俺もそう思って頑張ったことはあったけど、どう考えても、好きな人より強くなりそうなヴィジョンが浮かばなかったから諦めた」
「和也はまだまだこれからじゃない。諦めるの早いわよ。ていうか、好きな人いたの!? 驚き! 和也はモテるのに、彼女作らないし、何故か男臭いうちの道場で鍛錬するわけもなく見学だけしに来てるからてっきり男性が……」
とまで言って、私、気づいてしまった。
そういうことだったのね。おかしいなぁとは思っていた。和也に彼女ができないの。
そう、和也ったら男の人のことが、好きなのね……。
そう考えると、納得するふしが多い。
好きな人より強くなりそうなヴィジョンが浮かばないって言ってたけれど、うちの道場の人だったのかな……。
うちの道場で一番強いのって、ワタナベさん? 56歳の独身のおじさん……でもさすがに年の差が……。
ううん、でも愛に年の差なんて関係ないのかもしれない。
あ、でも、ワタナベさんは、前の世界に……。和也とワタナベさんは、もう別々の世界の人。
和也、全然辛そうには見えないけれど、やっぱり傷ついてるんじゃないかな。だって、好きな人と離れちゃったんだもんね。
「ねえ、何黙ってるの? 『てっきり』何……? すごく嫌な予感しかしないけど」
色々と考えていると、訝しむような顔をして和也が問いかけてきた。
ああ、だめね。私って。和也は新しい世界を楽しもうって言ってくれた。その気持ちに水をさしちゃダメよ。
和也はふっきろうとしているんだ。
そうだよ、新しい世界に来たんだから、新しい恋だってあるはずだもの!
「いいえ、何でもありません。でもね、これだけは伝えておく、おねえちゃんはあなたがどんな趣味嗜好を持っていようと、あなたの家族よ!」
「ねえ、やめて。その変な勘違いは、ホントマジでやめて」
「いいの、私はいつでもあなたの味方。それさえわかってくれたらいいのよ」
「いや、まず桜子が俺のこと分かってくれる!?」
私が何やら照れてうにゃうにゃ言っている和也に暖かな目を向けて微笑むと、和也は大きなため息を吐いた。
「もういいや。まあ、とりあえず、この道に沿って進んでみよう」
となんかお疲れの和也がそう言ったので、頷こうとしたんだけど、和也の後ろの茂みになんだか嫌な気配を感じた。
和也を後ろに下がらせて、茂みに向かって構えると、茂みから気味の悪い生き物が出てきた。
頭がふくろうで、その下は羽毛でふさふさの人間みたいな体。
なにこれ。
「もしかして、あのヌイグルミが言ってたモンスターってやつか?」
引き攣るような和也の声が聞こえた。
モンスター。そういえば、テディベアが、人間を捕食する上位の生き物が居ると言っていた。
モンスターはヨダレを垂らして、私たちのことを見ている。
まさかこいつ、私や、和也のことを食べる気?
ダメだよ。和也は食べちゃダメ。私に残された……唯一の家族。
「和也、もっと後ろに下が」
と私が言い終わらないうちに、モンスターが襲いかかってきた。
翼のようなものが生えた腕、手には鋭い鉤爪がある。
私は私の頭にまっすぐ向かってきた鉤爪をギリギリのところで避けて、モンスターの懐に入ると、そのまま正拳突きを放った。
すると、ズンという今まで聞いたこともないような音がして、モンスターの胴体に大きな丸い空洞ができた。
え? なにこれ?
さっきの攻撃はただの正拳突きで、奥義でもなんでもないんだけど。
間違いなく、今まで感じたことのないほどの攻撃を私の拳は放った。
ふくろうの顔をしたモンスターは、嘴から血を吐くと、そのままうつぶせに倒れそうになったので、そっと横に避ける。
ドシンという音とともにモンスターは地面に倒れた。
背中から見てもやっぱり大きな穴が空いている。
これ、私がやったの? 奥義じゃなくて、ただのパンチだよ?
あ、ていうか、ちょっとグロイんだけど!
と思っていると、モンスターは突然霧のように霧散していなくなり、何か黄色い宝石なようなものだけが残された。
「え? 消えた?」
私が呆然としていると、和也がモンスターがいたところに残された宝石を拾ってジッと見つめる。
「透明な、石? 汚れも、血もついていないし、綺麗な状態だ。桜子、何かカバンとか入れ物、持ってる?」
和也は難しい顔で落ちていたものを観察すると、そう問いかけてきた。
改めて自分の身の回りをチェックする。服装は学校の制服のままだけど、持っていたカバンはどこにもない。あるのはポケットの中のハンカチぐらい。
「ううん、カバンとかは、なくなっちゃったみたい」
「そうか、俺も。カバンがなくなってる。まあいいか」
和也は、そういうと石をそのまま、ズボンのポケットに入れた。
「そんなもの、どうするの? 何かに使えるの?」
「よくわからない。けど、ぬいぐるみが、魔物からは貴重なアイテムが採れると言っていた。これは、そのアイテムなのかもしれない」
「ふーん、貴重なアイテム。でも確かに石はキラキラしてて綺麗だったね」
「それにしても、桜子、確か『か弱い』女の子っていうのになるんじゃなかったの? あの巨体に風穴開ける人がか弱いとは思えないけど」
和也はそう言って、笑いを堪えてる意地悪そうな笑みを口元に浮かべた。
「だ、だって、しょうがないじゃない! 突然だったし、それに和也の前で、か弱いフリしたってしょうがないでしょ? もうバレてるんだし、弟を守るのは姉の努めだもん。……なにより、私、あんな威力になるような拳を打った覚えもなかった」
と言いながら、さきほどの感覚を思い出した。ただのパンチだった。いやもちろん一発一発魂込めて、打ってはいるけれど、それにしてもあの威力は、おかしい。
私が不思議そうに思っていることに気づいたのか、和也が真面目そうな顔で口を開いた。
「多分、スキルってやつなんだと思う。あのぬいぐるみが言っていた。この世界にはスキルや魔法というようなゲームみたいな概念があるみたいだ。お詫びに多めにスキルを振るって言っていたし。……とりあえず情報が欲しいな。図書館とか、ある程度資料が見れるような場所があればいいんだけど。まずは町、人が居るところにいきたい。とりあえず。行こう。道をたどっていけば人がいる集落にたどり着くはずだ」
和也はそう言って、さっさと前に進んでいってしまった。
慌ててついて行く。
そういえば、今までよりも足の運びも軽いような気がする。これもスキルのおかげ?
よくわからないけど、なんかスキルってすごい!