サクラコ、怒る
私たちは、赤い煙が立ち上っているところを目指して、駆け出した。
「もしかしたら、クエストの情報通りオウルデーモンもいたのかもしれないわね」
レイラさんが、息を切らせて走りながらそう言っている。
「同じオウルデーモンロードがもう一体いる可能性は?」
和也がそう聞くとガンジさんが、答える。
「いや、C級以上の魔物にそれは考えられない。強い魔物は、同一の魔物対して縄張り意識のようなものがある。だから、さっきオウルデーモンロードがいたこの森に、同じオウルデーモンロードいる可能性はない。だが下位種のオウルデーモンがいる可能性は十分考えられる。オウルデーモンなら、このメンバーなら余裕だ」
ガンジさんは最後明るく付け足したけれど、和也は、顔を険しくしたままだ。
「どうしたの?」
「最初にサクラコが倒しているからオウルデーモンはもういないはずなんだ。オウルデーモンもC級以上の魔物だったはずだから、この近辺にいるオウルデーモンも一匹。だから、今向かっているところにいる魔物は、オウルデーモン以外の魔物……もっとやばいのがいるかもしれない」
え? 私、オウルデーモンなんて倒した覚えないけれど?
あ、そうか、和也は、最初に倒したモンスターがオウルデーモンなんじゃないかってまだ疑っているんだ……。
そんなことあるわけないよ
だって、すごく弱かったもの。
と、思いたかったけれど……。
さっき倒した魔物を思い出して、ちょっと自信がなくなってきた。
だって、さっき倒したオウルデーモンの上位種であるらしいオウルデーモンロードと、最初に倒したオウルデーモンの姿形が、似てる。
走って向かっている先から、悲鳴が聞こえてきた。
それに、激しい風の音。
魔物に襲われている人の声? それに、血の匂いがする……。
私は、最悪の光景が脳裏によぎって、息がつまる。
「この辺りは高い木が生えていて、見通しが悪いな」
ガンジさんがそう呟く声が聞こえて、前方から何かが向かってくる足音が聞こえて、私たちは構えた。
出てきたのは、男女の二人組。
その二人は、私たちの姿を見て、泣き叫びながらこちらに駆けてくる。そのうちの一人の女性が、先頭を走っていたルークさんに抱きついた。
「助けてください! 仲間がまだ魔物に……!」
ルークさんにすがりつくように抱きついてきた女の人がそう言うと、ガンジさんが「さっきの赤い煙を上げたのはきみたちか?」と問いかける。
女の人は、言葉にならないうめき声と一緒に顔だけウンウンと頷いた。
「メイリン! だめだ、もう、あいつらは助からない。それよりももっと先へ逃げたほうがいい! 追いつかれる!」
「で、でも! オーゲンが!」
「まずは、事情を聞かせてくれないか? 向こうに何がいるんだ?オウルデーモンがでたのか?」
ガンジさんが、そういうと、男の人が思い出したくもないという風に顔をしかめた。
「オウルデーモンなんかじゃない! あれは、あんなものは……」
駆け込んできた男の人がそう言うと、ザザザっとものすごい風が吹いた。
「きやがった! もうおしまいだ! あんなもの、倒せるわけがない。だって、あいつは……」
男の人が何かそのあとも呻いていたけれど、風の音でかき消えてしまった。
一体、何がくるの?
私は無意識に和也を探して、彼の手を見つけるとギュッと握る。
和也も気がついて握り返してくれた。
和也は守らないと。私が、私が守る。
風がやむ。
頭上に何か嫌な気配を感じて、そちらに顔を向けた。
人が空に浮いていると、最初思った。
長い茶色の髪をオールバックのようにしてまとめている綺麗な男の人が、腕を組んで私たちを見下ろしている、ように見えた。
しかしよく見れば、腕の部分が羽のようになっているし、足は鳥のように鱗のある皮膚に鋭い鉤爪を生やしている。そしてその爪は鮮血で濡れていた。
魔物だ。
隣にいた和也が、呪文を唱えるのが聞こえる。
和也の手を握っていた手がビクッと震えたのが分かった。
「あれは、オウルデーモンゴッド……S級の魔物」
和也がそう震える声で教えてくれた。
「な、なんで、オウルデーモンゴッドなんて、そんな、魔物が……!?」
レイラさんの驚愕の声が響く。
「くそ、もう、ダメだ、追いつかれた」
逃げてきた男の人が吐き出すようにそう言うと、ルークさんにしがみついていた女の人が、魔物を見て顔色をより一層青くさせた。
「ね、ねえ、見て、あの魔物の爪に挟まってる、の、あれ、ジェラスの服、よ。いや、いやよ、こんなのいやよ!」
女の人が半狂乱になって泣き叫ぶと、男の人がその女の人を抱えた。
「お前たちも逃げた方がいい! 早く。あんな奴に敵うわけがない!」
そのまま男の人が、女の人を抱えて走り出そうとすると、魔物が動いた。
素早く彼らの背中に向かっていく魔物。
ものすごいスピードのそれに、ルークさんが反応して、剣を盾のようにして魔物の動きを制した。
「ルーク……!」
レイラさんが、そう叫んだ。
魔物は、足をルークさんの剣を掴むようにして止まっている。ギチギチと軋むような音がする。魔物とルークさんとの間で力の押し合いが行われているのがわかる。
でも魔物には余裕があるように見えた。腕は組んだままで、顔も心なしか笑っている。
ルークさんは魔物を睨みながら、後ろの二人の男女に「早く逃げるんだ!」と声をかけると、彼ら二人組はそのまま走っていった。
レイラさんの呪文詠唱の声が聞こえて、それにかぶせるようにルークさんが叫んだ。
「母上、僕が時間を稼いでいる間に、逃げてください! 皆さんもです!」
「な、何を言っているの!? そんなことできるわけがないわ」
レイラさんが、呪文詠唱を中断してそう叫ぶように言うと、魔物と爪を剣で押し返そうとしているルークさんはそのままの姿勢で口を開いた。
「お願いです! 早く行ってください。こいつは、まだ、俺達では倒せません……ガンジさん!」
ガンジさんの名前を呼ぶと、ガンジさんは、苦しそうな顔をして、ルークさんに飛び掛らんばかりのレイラさんを抱えた。
「ガンジ!? あなた、何を!?」
「黙っててください。サクラコちゃんとカズヤ君も逃げるんだ」
そして、ガンジさんが魔物がいる方とは逆の道を走りだそうとしたとき、風を切るような音が聞こえた。
モロゾフさんが素早く動いて、レイラさんとガンジさんを守るように盾を構えるが、ものすごい衝撃音とともにフっ飛ばされた。
何か風のようなものが吹いたのか、後ろにいたレイラさんとガンジさんも一緒に飛ばされ、木にぶつかり、地面を転がり三人ともそのまま地に伏せた。
「レイラさん! ガンジさん! モロゾフさん!」
私はそう声をかけて3人のところに行こうとすると、背中から「だめだ! サクラコさんだけでも、早く逃げるんだ!」とルークさんの必死な声に呼び止められ、振り返る。
ルークさんは、険しい顔で魔物を睨んでいる。その手に持っている剣は先ほどと変わらず、魔物のかぎづめに捉えられている。
しかし、ルークさんは魔物の力に押し負けないように、踏ん張っていて、ルークさんと対峙していた魔物のほうを見れば不敵な笑みを浮かべている。
なんだか余裕そうな顔。
そして、さっきまで組んでいた腕を広げて、仰ぐような動作をすると、ルークさんに向かって、鋭い風が吹いた。
ルークさんが剣で頭を守って、歯を食いしばって踏ん張り続ける。
風で切られたのか、ところどころに小さな切り傷が……。
あの魔物、風を生み出したの? 風の魔法?
さっきの風みたいなので、3人をフっ飛ばしたのは、あいつ?
「サクラコさん!早く……! もう持たない! カズヤ、サクラコさんを……!」
魔物を睨んでいる私の耳にルークさんの声が聞こえた。よく見れば、ルークさんの剣が魔物のかぎづめで砕かれそうだった。ヒビ割れ始めている
でも、なんか、もう、頭にきて、ルークさんの声が、遠く感じる。
「サクラコ……」
近くの和也の私を案じるような声が聞こえる。
その声も遠く感じる。
それにしても、和也、そんな弱弱しい声、どうしたの?
私は、声なんか出ないよ。
声なんか出したら、ここにいる人の全員の鼓膜を破るぐらいの大きさで、あの魔物を罵倒してしまいそう。
「和也、私の後ろにいて」
魔物が、また腕を動かした。
するとまた風を切るような音が聞こえる。
ああ、やっぱり、そうやってさっき風を起こして、3人をフっ飛ばしたのか。
一歩一歩魔物に近づく。
魔物がまた腕を振った。
私の方を見てる。髪が、強くなびいた。
けれども、私は気にせず歩き続ける。
魔物が心なしか、いぶかし気な顔をした気がした。
私が、こんなそよ風で吹っ飛ぶと思ったの?
「ダメだ! もう、剣が!!」
ルークさんの焦っているような声が聞こえ、そして……。
――――ガシャン
とうとうルークさんの剣が砕かれた。剣が砕かれて、バランスを崩したらしいルークさんが地面に倒れこむ。
魔物は、ルークさんのことは気にせず、私を睨んだまま、また腕を動かす。
また、風が吹いた
そんな風で私がひるむと思ったら、大間違いだよ。
今度こそ、慌てたような顔になった魔物が、両腕を翼のように羽ばたかせて、もっと高いところに昇ろうとしている。
だめ。絶対に、逃がさない。