カズヤ、振り返る
カズヤ視点の話ですのでお気をつけて!
「カズヤは、僕のことはあまり好きじゃないみたいだね」
泉の水で顔を洗ったルークがそんなことをぽつりと言った。
俺は不満そうに聞こえるようにため息をつく。
「当たり前だろ。なんで、とか聞くなよ。どうせわかってるんだろ?」
俺がそういうと、ルークは申し訳なさそうに笑った。
「うん、サクラコさんのことだよね」
俺はそれに返事を返さずに、泉に手を浸した。
冷たくて気持ちがいい。
「カズヤも、サクラコさんのこと好きなんだよね」
何も返事を返さない俺に向かってルークがぽつりとそう告げた。
『カズヤも』というからには、やっぱりこいつも桜子のことが好きなのか……。
なんとなくわかっていたことではあったけど、改めて言われると胸の中がもやもやしてきて、俺は泉に浸した手を握りしめた。
「……そうだよ。ずっと好きだ」
冷たい水を感じながら、絞り出すようにそう呟く。
ずっと、好きで、多分これからもずっと好きだ。
でも、きっと俺の思いは報われない。
「二人は小さい頃から一緒だったんだろ? 羨ましいよ」
「そんな、いいもんじゃない」
「そうかな? 俺から見たら、やっぱり羨ましいよ。小さい頃のサクラコさんのことを知ってるってことだし、二人にはなんだか特別な空気感がある。俺には入れないような、特別なね」
そうだとしても、いや、そうだからこそ、きっと俺の求めてる関係にはなれない。
「近くにいすぎた。サクラコにとって、俺は弟みたいなもので、今も、それにたぶんこれからも」
思いのほかに暗くなった声でそう呟くと、ルークが心配したようにこちらを見ているのを感じた。
「そんなことはないと思うけど」
「いや、ない」
「なぜ、そこまで断言するんだ?」
「俺が、そう、望んだんだ。ひとりにして欲しくなくて、俺は、子供みたいに桜子にすがったんだ」
俺があの時、事故で家族を亡くした時……。
もともと鈍感なサクラコは俺の気持ちになんてさっぱり気づいてなかったけれど、それでもいつかはと思っていた。
いつかは気持ちが通じる日もくると思えていた。
桜子だって、今ほど俺のことを弟扱いはしていなかった。
だから、いつか、サクラコに見合う男になったら、気持ちを伝えようと思っていた。
でも、あの時、俺は、サクラコに泣きついたんだ。
父や母が突然いなくなって、それで、サクラコまで失いかけたあの時。
呼吸器をつけて、意識を失って、眠っているサクラコに泣きついた。
俺の両親は即死だった。
だから、一人にしないでくれって、もう俺の家族はいない。一人は嫌だと、そう訴えた。
そしたら、サクラコは突然目を開けたんだ。
「ひとりになんて、しないよ。和也の家族はここにいる」
呼吸器の中で確かに、桜子はそう言って、かすかにこちらに顔を向けて俺の手を握った。
それから桜子は驚異の回復力で、先生が戸惑うほどのスピードで怪我を治し、数週間後には、退院した。
その後から、桜子は俺のことを本当の弟のように扱うようになった。
あの時の俺の願いに応えて、俺を家族にしてくれたんだ。
泣いて縋り付くことしかできなかった情けない俺の事を、サクラコは家族として受け入れて、そしてきっとそれ以外の関係から外した。
当然だ、俺みたいなやつは。
だってそもそも桜子が怪我をしたのは、俺を庇ったから。
あの事故で、俺がほとんど無傷だったのは、桜子が俺を庇ったからだ。
本当は俺がサクラコを守らなくてはいけなかったのに、あの時は、気が動転して体が動かなかった。
怖くて、何が起ころうとしてるのかわからなくて、でも、桜子は、そんな俺を......。
「カズヤ……」
気づかわしげな声でルークが俺の名を呼ぶ。
顔を上げてルークの方を見る。
男の俺でもわかるほど、こいつはなかなか顔がいい。
そしてこいつはいいやつだ。一緒にいたらわかる。
ちゃんとサクラコの事を思ってくれてるし大事にしてくれると思う。
それに、強い。サクラコに釣り合いたくて、俺がずっと欲していた強さを持ってる。
……俺なんかよりよっぽど桜子にふさわしい。
俺が本当に血の繋がった桜子の弟だったら、すこしは生意気なことを言いつつも、喜んで姉を託したりするのかもしれない。
でも、そんなの嫌だ。
こいつが本当にどうしようもない男で、女たらしみたいなやつだったら……何がなんでも譲らないのに、譲ろうだなんて思わないのに。
やめてくれ。
新しくやってきて、俺には持ってないものを当然のように持って、俺の大切な人の一番を掻っ攫うのは、やめてくれよ。
「どうして、ルークは桜子が、好きなんだ」
嫌な感情がこれ以上あふれ出ないように、どうにか言葉を吐く。
でもやっぱり、少し声が暗くなった。
「それは、わからない。最初、目が合ったときに、目が離せなくて、目で追って、動きの一つ一つが可愛らしく見えて、母上のことも助けてもらって、あの元気な笑顔が、何よりも綺麗に見える。彼女が傍にいると、守りたくていつもよりも頑張れる」
守りたくて……?
サクラコの化け物じみた強さを知らないルークが呑気にそんなことを言っているのを見て、思わず鼻で笑った。
ルークは、もしサクラコが自分よりもはるかに強い存在だと知ったらどう思うだろう。
生意気だって思って、プライドなんかを傷つけられて、興味をなくしたりしてくれないだろうか。
「どうしたの?」
不思議そうに問いかけるルークの顔が、桜子が好きそうなイケメンで本当に嫌になる。
「……いや、もし、もしの話だけど、サクラコがルークが思ってるようなか弱い女の子じゃなかったら、どう思う?」
思わず聞いてしまった質問に、ルークが戸惑うように息をのんだ気配がする。
我ながら意地悪な質問をした。
もしそれで、自分より強い女なんているはずないと笑い飛ばしたり、強い桜子に興味がないと言ってくれたら、俺の気分が晴れる。
ただそれだけのための質問だった。
「……やっぱりサクラコさんも戦える人なの? たまに、そういう、威圧感というか、何かを感じる」
予想外の返答に思わず顔を上げた。
「い、いや、仮定の話だから、そういう、意味じゃない」
驚きながらどうにかそう返答すると、戸惑ってる俺を気にすることなくそのままルークは口を開いた。
「別に、サクラコさんが、強くても、強くなくても、多分僕は変わらず惹かれてると思う。女性にこんな気持ちを抱いたのは初めてで、よくわからないけど、気持ちはそう簡単に変わらない」
真摯な目で俺を見てくるから、思わず視線を外した。
「……守りたい相手が自分より、強いのに?」
「自分より強いから守らなくていいなんてことはない。大事だから守りたいんだ。和也だって、そう思ってるから、サクラコさんのことを大事にしてるんだろ?」」
ルークに言われて、思わず唇をかんだ。
そうだ。俺は俺なりに守ろうとしていた。
道場の経営に悩む桜子を助けたくて必死に会計や経営の勉強をした。
力が強いだけじゃ、どうにもならないことがあるのが分かっているから、どんなものからも桜子から守りたいと思っていた。
この異世界に来てからだって、俺はそう思ってずっと、桜子を守ろうとしていた。
ひもじい思いをしないように、寂しい思いをしないように。
「……そうだな」
こんな新参者のルークに言われて、思い出すなんて。俺って本当に馬鹿だ。
桜子は、ルークのことを好きかもしれない。いや、いつか必ず好きになる。ルークは、いいやつだから。
「さっきは、サクラコさんを見てると楽しいって言ったけど、たまに、苦しくなる時があるよ。カズヤとサクラコさんが二人で親しそうにしている時とかね。やっぱり僕は二人が羨ましいよ」
先の見えない俺と桜子のことなんて知らないルークはそう言って、悲しそうに笑ってる。
「俺は邪魔か?」
自嘲するようにそう呟くと、ルークが、驚いたように目を見張った。
「邪魔だとは思ってない...と言ったら嘘になるような気もするけれど、でも、和也にはこのパーティーにいてほしいと思ってる」
「魔王を倒すためにか? 言っとくけど俺は戦いには向いてないぞ」
「そんなことはないさ。和也はなぜか自己評価が低いけれど、その身のこなしなんて、いっぱしの冒険者のレベルだ。それにパーティに和也やサクラコさんみたいな人がいたら、助かる。カズヤ、俺はサクラコさんだけじゃなくて君も必要だと思ってる」
「収納魔法がそんなに便利だったか?
「もちろんそれもあるけれど、それだけじゃない。カズヤと一緒にいるのも、こうやって稽古をしているのも楽しいんだ。変に思うかもしれないけど、俺には同じ年頃の、なんというか、友人がいなかったんだ。だから、和也みたいな人はいなかった。和也といると楽しいよ、たまに嫉妬するけどね。でも、それも含めて一緒にいると楽しい。言いたいこと言えるし、それに同じ人が好きなんだ、きっと趣味も合う。きっと僕たちはすごく仲良くなれる気がするんだけど、どう思う?」
すがすがしい顔でそんな恥ずかしいことを堂々と言ってくるルーク。
なんだか気恥ずかしくて、思わず顔を伏せた。
こいつ、キザだ。
現代では絶滅したものと思っていたのに、異世界ではあふれかえってるのかもしれない。
「思わないよ。俺は、そんなくさいセリフを真顔で言える奴と趣味が合う気がしないからな」
「振られたか」
と言って、笑っているルークの顔が、やっぱりなかなか整っているから、腹が立つ。
どんなにおまえがイケメンで、どんなにお前が、いい奴で、どんなに、桜子がお前のことが好きでも……。
俺は、俺はまだ、譲る気にはなれない。譲りたくない。
でもいつか……。
最後にいってしまおうか、桜子に。気持ちを。
けどそうしたら、もう今まで通りの関係には戻れない。
サクラコと兄妹みたいに親しい幼馴染っていう地位を嫌がりながら、俺はその地位を失うことを恐れている。
俺は、いつまでたっても、臆病者で……。
だから、ルークみたいなやつに、大事なものをあっさり取られるのかもしれない。
わかってる。頭ではわかってるのに……。
それでも、好きだと言える勇気が、俺にはない。