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人工の浮き島。
浮揚軍港ポートノースの朝だ。
積み重なるコンテナの間を、カイトは一人で歩いていた。身に付けている対Gダイバースーツは上半身だけ脱いだ状態で、袖は腰元で結ばれている。露出した白い肌着の襟元からは鋼鉄の肺が見え隠れしていた。そして、携帯端末の〈ヨナ〉がベルトからぶら下がる。彼らが向かう先は、最下層区の格納庫だった。
『もっとダグさんを尊重するべきです』
「お前もダグの味方か」
『命の恩人でしょう?』
「確かに。……だがな」
『カイトさんの「だがな」は、いつも感情的に過ぎます。ヨナは、そこを改善することを提案しますよ』
「……感情あっての人間だろ」
最後は独り言のようにこぼしたカイトは、何気なく振り返って島の中心、上層区を眺めた。南シナ海に浮かび、様々な人種が入り乱れた浮揚軍港には、一般常識で言うところの「まともな職」についている人間は少ない。その事実を町の雰囲気が雄弁に語っている。
近隣の国家によって運営されているものではなく、軍事的なサービスを実行する組織、つまり民間軍事会社という形で島は独立していた。南シナ海に全部で三つ存在する人工島。当初は海底の天然ガスを採掘するための海上施設であった。それを流用し、加えて改造した浮揚軍港は大部分が大型浮体式構造物で占められている。そんな人工島の一つが、ポートノースなのだ。
表向きは採掘用とはいえ、この南シナ海における某国の強行な圧力に対向するため、建造当初から東南アジア諸国の軍事的な思惑が詰め込まれた施設である。物騒な雰囲気は昔から変わらず、現在でも傭兵と武器商人の島となっている。
近くを航行する通商船は、海上強盗団の『海賊』から襲撃されたとき、浮揚軍港の『傭兵統合局』に通報する。島で待機している傭兵たちが依頼をうけて出撃し、海賊を撃退。船を運用する海運会社や国から得た報酬によって、浮揚軍港の運営者と傭兵たちは利益を得ているわけだ。
カイトは、そんな軍港の貨物置き場を歩いている。
立ち止まっては、蜘蛛のような形の〈多脚式運搬重機〉で運ばれるコンテナが前を横切って行くのを見送った。島の運営は国の手を離れたが、貿易船を保護するという役割と、武器から食料まで様々な物資の市場となっていることもあり、近くの国々との関係は良好と言える。コンテナの多彩な種類の言語や国籍などの標記は、特定の国だけに片寄った関係を結んでいないということの証明だ。
『まっ、説教はこの辺でいいでしょう。次のお仕事は何ですか?』
「お前、俺に説教してたのか……」
『分からなかったのですか? 馬の耳に念仏ですなぁ』
「スクラップにすんぞ」
『せめてリサイクルで』
「そこを気にするか?」
『もちろん、今の会話において重要なのはそこではありません。繰り返します。次のお仕事は?』
ヨナの問いにカイトは即答できない。
なので、最初から説明することにした。
「ちょっと複雑でな」
と前置きをするカイト。一ヶ月前のこと。ポートノースにあるダグのスクラップ回収業事務所で仕事の依頼を待っていたとき、突然にドアをノックされた。ドアの外から聞こえた女性の声は、仕事の話をしに来たのだと言う。警戒しながらもドアを開けると、ビジネススーツ姿の若い女が立っていたのだ。
仕事の話はダグを通さなければならない。そのときダグは不在であったため、カイトは出直して来るように伝えた。だが彼女は、ダグには話を通してあると言い張る。何よりもカイトと直接話がしたいという。あまりの押しの強さにカイトは渋々に商談をする羽目になったのだ。
彼女は、一枚の名刺をカイトに手渡す。名は鳴瀬結美。さらに『霧汐軍事請負会社、社長』と印刷されていた。軍事請負会社とは、小さな傭兵企業である。これを通称して『軍社』と呼ぶ。巨大な組織を持つ民間軍事会社が浮揚軍港であるなら、小さな組織の軍事会社こそ軍社と言えよう。払い下げの軍艦などを用いる傭兵団として、近年その数を増やしている。
ユーミを部屋に招き入れる、そのとき。
カイトは、彼女の足音にカイトは違和感を覚えた。
それは、右左の足音の違い。テーブルを挟んだ椅子の片方に彼女が腰かけたとき、足から響いた機械的な駆動音で片足が義足であることが理解できた。肩まで届かない黒髪、肌の色、完璧な日本語。それらは、彼女が日本人であると同時に、カイトが日本人であることを理解していると判断できる。ユーミは単刀直入に話を切り出した。
――傭兵、あなたと期間契約を結びたい。
カイトはそれを聞いたとき、悪い話ではないが面倒なことになったと思う。期間契約は傭兵にとって、でかい仕事である。こんなときこそ、利に関して賢いダグが隣にいてほしいものだった。カイト一人では話を有利な方向に持っていけるか、大いに不安で仕方がない。
また、カイトにとって個人的な不安の種もある。期間限定とはいえ、軍事請負会社の一員として他者のと連携を考えねばならないということだ。独自の判断だけでの行動を大きく制限されるということもあり、戦闘での生存率が低くなるというのも事実なのだ。
カイトがバディを組まないのも同じ理由らしい。普通、傭兵はバディとチームを組み、その相棒とともに任務を遂行する。常々、二人一組で行動することは足枷でしかないとダグに語っている。
だが悪いことだけではない。その期間を生き延びてしまえば多額の報酬が手にはいる。本来、傭兵にとって期間契約の依頼は喜ぶべき話なのだ。
カイトには多額の借金がある。使い物にならなくなった片方の肺を切除して人工臓器を埋め込んだ手術の医療費が高くついていた。日本ではカイトが戦死扱いになっていたし、保険が降りるわけもなく全額負担となってしまった。だからこそ、この契約を成功させてがっぽり儲ける。そうすれば願ったり叶ったりと言うわけだ。
カイトは、細かい約束をユーミに取り付ける。仮契約という形で商談は成立した。ところが、である。
――そんな話、俺は一言も聞いちゃいねえ!
この話はダグの耳には入っていなかったのだ。つまり、期間契約に見せかけた霧汐軍社によるカイトへのヘッドハンティングと思われる。先日のダグの冷たい言動は、ユーミのそれにカイトが乗ってしまったことが原因と推察できた。
『……でも、その仕事、受けるんですね』
「言ったろ? 細かい約束をしたって。契約はその後だ」
『何を確かめるんで?』
「うん。労働環境かな」
『なるほど、わかりません』
会話を中断して突然に振り返るカイト。
誰もいなかったが彼の態度は揺るがなかった。
「……さてと」
既に重機の音は遠い。
潮風がコンテナの間を吹き抜ける。
そんな路地の真ん中でカイトは耳をすませた。
「つけているつもりか。ダグ」
その声で、コンテナ影からのっそりとダグが現れる。しかしそれはカイトが睨んでいる方向ではなく、カイトの真後ろにダグの姿はあった。ダグはニヤニヤした顔でカイトの後ろ姿を眺めている。
「お前の感覚も狂いつつあるな。ちゃんと可愛い子ちゃんに耳掃除してもらってるか?」
『うええ!? 彼女出来たんですか!? ヨナという存在がありながら!』
「…………コンテナだらけだから音が回っただけだ。彼女なんぞいない。あとヨナ、お前は俺の何なんだ……」
一つ一つ反論しながら、カイトはもとの方角に足を向ける。ニヤけたダグも黙って歩き出す。気まずい空気が流れていた。結果的ではあるが、カイトが独断で決めてしまった仕事である。もちろん、ダグを蔑ろにするつもりはなかった。それに、ダグの方にも気にしていることはあるらしい。
「……あのな。この前は余計なことを言った。やり方とか心がけなんか、どうでもいいことだ。俺が得をすりゃあ文句はないんだ」
「……」
「お前のダイバーとして腕は信頼してる。好きにやれ、カイト」
「そうする。ありがとよ、ダグ」
気にしていることは、船の上でカイトに浴びせてしまった厳しい言動であった。バカ正直に謝ってくるところ、やはり悪い男ではない。だがやはり、抜け目のない男でもある。
「ユーミとかいう社長に言ってやれ、俺の所に仕事を持って来いってな。望むのはそれだけだ」
「交渉する。相手がそれを飲まなければ契約破棄だ」
「分かってるじゃねえか」
風景は、コンテナの山から格納庫が建ち並ぶ船渠区に変わっていた。機体整備の為に用意された施設が格納庫である。二人はそのうちの一棟の前で立ち止まる。そして、コンクリート地面に消えかけた白い文字に目を落とした。
第78番借り格納庫。
巨大な扉は閉ざされており、人力で開くものではない。その鉄扉の隣にある作業員用の出入り口がダグの手によって開かれる。中に窓はなく薄暗い。浸食され錆びた屋根の穴からは光が射し込んでいた。そんな格納庫の中で反響するのは、二人分の声と足音だけであった。
「奴ら、勝手に運び入れたらしい。またぞろ、俺に黙ってな」
ダグは照明のスイッチを探している。カイトは何気なく暗闇を進んだ。十歩ほど進んだとき、目の前に黒い塊りがあることに気がつく。四メートルくらいで見上げるほど大きい。屋根から漏れた光が、それの一部に反射して輝いている。
「機種は何だ」
「その目で確かめな」
ダグはスイッチを入れる。
天井の照明が一斉に点灯した。
黒い塊はベールを脱ぐ。
そこには、人型の兵器があった。
少し見上げると、球体に近い胴体部分のハッチは開かれておりコクピットが見えている。腕部の手や、背から伸びているアンカーワイヤーの分銅のような先端部は、格納庫の床の接舷装置にロックされ、機体は固定されていた。頭部メインカメラのシールドに傷一つ付いていないのは極めて状態のよい機体の証である。人型兵器AFMの水中戦を専門とした派生型、潜行用装甲戦闘機。片膝を立ててしゃがむように鎮座する機体の機種名を、カイトが知らぬはずはない。
日本製AFM-D〈伊號〉丙型。
丙型の型式は、近接戦闘型の機体であることを示している。トリムラダーの可動角度が広く設定されているだけではなく、ウォータージェット推進器などの出力が再調整されており、さらに腕部と脚部の装甲板が薄く軽量化された仕様である。
国家軍人であっても、これに搭乗したことがあるというダイバーは少ない。それにカイトが搭乗していたということは、それだけの実力を持ったダイバーだということだ。カイトは、随分遅れてから、溜め息を漏らすようにその名を呼ぶ。
「伊號……」
「よく手が行き届いている。いい腕してるよ、整備したヤツは」
ダグはカイトのとなりに歩み寄り、感服したように伊號を見上げた。そして、隅々まで見回すようにして機体の分析にかかる。カイトは、コクピットを見つめたままでダグの話を聞く。
まず、基本的な整備は完璧である。油圧機構部のオイルシールや、アクチュエータのボールベアリング、動力パイプから配線など、すべて細部に至るまで消耗部品は交換済みらしい。
機体背中の、背ビレのような縦舵には“イ”の一文字が描かれている。その、背ビレ両脇から伸びるのは短小魚雷キャニスターなどをマウントする懸架機構であり、現在は燃料電池ユニットとタンクが装備されている。この懸架アームにも独自に耐久強化がなされているように見える。
武装にも手が加えられているようだ。腕の固定兵装のスピアガンには装弾こそされてはいないが、水中徹甲弾を発射するための高圧空気を送るパイプが、腕部装甲の外側から内側に配置を変更されている。戦闘によってパイプへのダメージを避けるためだと考えられるが、この改良はあきらかに生産段階からのものではない。つまりこれを整備した人間のアイディアなのだ。
それだけではない。すべてのパーツを完全な丙型仕様なのではなく、旧式と旧式パーツとを比較し、現在流通している物の方が性能や利便性に優れるところは、部品をグレードアップさせている。目立つところでは、脚部の機雷ポットマウント装置がそれに該当する。カイトは、丙型に機雷ポットを装備することができないことを覚えていた。
「凄腕のメカニック、カイトに目を付ける女社長。あとは何が出てくる? 霧汐軍社、面白い傭兵団かもしれんぜ。俺は興味が湧いてきた」
興奮したようにダグは鼻息を荒くする
同じように、カイトの胸も高鳴る。
「充電は?」
「リチウムイオン・バッテリーに急速充電をかけてる、もうすこしだ」
かつて、大勢の仲間が伊號の中で死に、自分もそうなりかけたことは確かだ。恐怖以上に彼を熱くさせるものとは何なのだろう。どうということはない、理由は単純。最も使いなれた機体で、手足のように操れるAFM-D。それこそ、伊號丙型だったのだから。