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あの海戦より数年の時が流れていた。
だが、カイトの標的は変わらない。
標的とは海上強盗団。すなわち海賊たちだ。
ばら積み船〈ATAKE MARU〉が夜の海を進む。総トン数は約一六万トン。載貨重量トン数は三〇万トン以上を誇る大型の鉱物専用貨物船である。積載している鉄鉱石はオーストラリアで採掘されたレアメタルの一種であった。
その船の船底を頭上に見て、潜行機が水中を進んでいる。球状のコクピットの下方に向かって伸びる数本のアーム。その形から『クラゲ』や『火星人』の愛称で知られる機体の名称は、単座攻撃潜行機。AFM-Dとは異なり、普通潜行機に属される旧型の水中兵器であった。そんな潜行機を駆る傭兵ダイバーの名はカイト。搭載された人工知能の愛称はヨナ。彼らは船舶護衛の仕事を請け負っているのだが、ある問題に悩まされていた。
『沈降止まりません』
「突然に最大の危機かよ」
『バラスト調整を推奨。沈むのは嫌いです』
「同感だな」
足もとのペダルを踏み込むカイト。その操作によってタンクに空気が注入される。潜行機のバランスを修正されたことにより、深さを示す計器の針が動きを止めた。
機体はオンボロである。国家公認の海上傭兵と言えど、上等な装備を用意してもらえる訳ではない。スポンサーが回収屋ならば尚更だ。スクラップを海上で拾い廻っている回収屋には、辛うじて使える廃品機体はいくらでもある。契約した傭兵に高い金を出し、良い潜行機を用意するなど、あり得ない話であった。
『このヨナの信号を受け付けないとは生意気な。帰ったらバージョン更新の必要ありと認めます』
憤然と言うヨナ。現在この潜行機は、人工知能による自動操縦を実行することができない。ヨナは、操縦補助システムでもある。しかし、何らかの故障により、機体から送られてくる信号を認識することはできても、操縦機構に命令信号を送信することが不可能な状態にある。
「バージョン更新の前に、鉄屑にして売却だな」
カイトは、動きの悪い計器を指で叩く。機外の水圧を示すメーターがピクリとも動いていない。使える部品をかき集めて作ったような機体だった。ベースはアメリカ製、兵装は中国製である。計器は一部に日本製が使用されていたが、職務放棄している水圧計が、まさにそれであった。
この状態で潜行していることすら冷や汗もので、ましてや水中戦闘などできる筈はない。しかし新米の傭兵は、スポンサーがどのような仕事と機体を持って来ても、黙って請け負わねば食っていけないのである。それを覚悟の上でなければとても勤まる職業ではなかった。
『カイトさん。海上のアタケ丸よりコールを受けました』
「こんな時にか……」
通信があったのは、何とか現在深度が安定したときだった。商船側の軽率な行動に苛立つカイト。だが無視する訳にもいかず、渋々回線を開く。モニターに映像通信用の小型の画面が開かれ、そこには制服を着ている男が映る。想像よりもずっと若い船長だ。背景はブリッジと思われる。
「船長だ。傭兵……眠いのか?」
「この顔は生まれつきだ……。まさかキャプテン直々の交信とはね。お気楽過ぎやしないか」
カイトは、クマの強い目を怒らせて映像の船長を睨む。護衛任務中の交信は、通信士か航海士の人間とコミュニケーションを取るのが普通である。ましてや船の長である船長が傭兵と直接に言葉を交わすことは、まずなかった。
「異常はないかね」
「海賊の気配ない。無線封鎖すると言った筈だ。安全なクルージングを楽しみたけりゃ、無駄話はよしておきな」
当然ながら、カイトの潜行機は異常だらけである。聴音装置であるパッシブ・ソナーも不調で雑音が多い。アクティブ・ソナーは故障で発振不可能。索敵機器も異常を来している今、カイトにはヨナ以外とお喋りしている余裕はなかった。だが、今から危険海域を航海しようとしている商船には関係がないこと。船上の彼らに文句を言う訳にはいかない。
「そう言うな。まだ危険海域には遠い。それに、日本人の傭兵と話がしてみたくてね」
船長の軽い調子の声がコクピット内に反響する。それには答えずコンソールの機器を確認するカイト。護衛している商船の自動船舶識別装置が停波したことを確認した。
この識別装置とは、船の位置、針路、速度だけではなく名前や目的地に至るまで、多くの情報を発信している発信器だ。通常であれば常に起動していなければならないが、海賊が出現する海域で停波することは許されていた。さもなければ、電波ジャックによって海賊の格好の餌食になるからだ。
一連の対処が、予定よりも早く実行されているところ見ると、この商船は海賊に対して通常以上に注意を払っていると言える。この船長は軽い言動に似合わず、優秀な船乗りらしい。じつは短波無線電話は海賊に傍受される心配は少ない。何故ならば、海賊対策で開発された超短波通信機を使用しており、暗号化された通信を第三者が傍受することは不可能であるからだ。
もっとも、カイトは海賊とまともに戦う気がない。アタケ丸が籍を置く海運会社がカイトの他に傭兵を雇っていないからだ。カイトはそのことを船長に示しておく必要があると考えた。
「海賊に襲われたとして、俺一人で対処できると思っているか?」
「勿論、頼りにしてはいないさ。ブルー2」
問に対する船長の答えは簡単。
余りにも軽々しく、笑いを含んだものだった。
「この仕事の報酬は、君の満足のゆく額ではないのではないのかね? 我々も馬鹿ではない」
「その通り。安心したよキャプテン。命あっての報酬だ。死んじまえば丸損になっちまうからな」
図々しくも聞こえるカイトの言葉。
しかしそれは、傭兵の絶対正義でもあった。
ところで、海賊は少数で行動する。とはいえ単独でいる場合は皆無。必ずチームでことを起こす。護衛側もそれなりの数を揃えていなければ、到底に防衛力とはならない。傭兵一人で何とかできるものではなく、そうなれば逃げるが勝ちという訳だ。
「他の船の都合で単独行動となったのだが、本社が、そうだな、何と言うか……君しか雇わなかったのだよ」
船長は、間違えれば会社批判になりそうな趣旨の話題であるので言葉を選ぶ。
『あー。よくある話しですね』
調子よく相槌を打つヨナ。
カイトも察したようで苦笑している。
早い話、依頼主の会社は金をケチったのだ。船舶の単独航行は船団航行より、海賊から発見もされる可能性が低い。その理由を建前として、船長の勤める海運会社では護衛に必要な報酬金を支払うだけの価値はないと判断したらしい。
無事に積み荷を陸揚げできたとしよう。そのときに得られる『収入』と、船の護衛に必要な『出費』。この二点が釣り合わないとき、船乗りの安全は天秤にかけれることもなく当然のように無視される。しかし、全くの処置なしにすれば現場の反感を買うため、適当にお安い傭兵を指名した訳だ。これはヨナの言うように、よくある話だった。
お安い傭兵とはカイトのこと。彼は、戦う必要のないお飾りの護衛といった役どころ。もしも海賊集団に襲われた時、明らかな劣勢ならば撤退すれば良い。それには誰も文句を言う訳がなく、傭兵として当然の判断である。
「まあ、もしもの時はキッパリと諦めることだな。それとも近くの傭兵統合局に連絡して応援を呼ぼうか?」
そうのようにカイトは言うが、護衛代金をケチった会社から、援軍要請をする許可が降りている筈もない。
「はは、まったく冗談ではないよ」
吐き捨てるような船長の言葉に怒気が滲む。
軽口を叩いたカイトに対する憤りではない。
「消耗品ではないのだ、我々は。一隻にどれだけの人間が乗っていると思う? 陸の人間たちは、船乗りを何だと思っているか問いただしてみたいものだ」
護衛が少ないにも関わらず応援を呼ぶことが許されない矛盾。成功して当たり前。失敗したら責任を取らされる。彼等はそういう航海をしていらしい。
――消耗品、か。
カイトが左の胸に手をやる。ダイバースーツの下には生身の胸板ではなく、人工臓器の金属製のカバーがある。彼もまた、理由も知らぬまま戦場に置き去りにされた海の男である。
「お互い、割りに合わない仕事って訳かい」
傷を嘗め合うことは性に合わない。それでも、彼にとってその言葉は精一杯の同情だった。会話が途切れると、コクピット内に響くのは、ばらつきのある推進器の震動のみ。暗視モードの視界モニターに映る魚たちが夜の水中を踊り、細かい水掻き音を瞬かせて横腹を翻らせていた。
『……湿っぽい話はここまでかと』
沈黙をヨナが破った。
何かを機敏に察知している。
『零時方向に感あり……!』
光が瞬くかのようなソナーの光点。それはすぐに消え失せるが、もはや気配をかき消すことはできない。
「どうした傭兵」
「なに、最悪の事態ってヤツだ」
他人事のようにカイトは言う。
「……間違いないないな、ヨナ」
『はい、中国製の推進機です。静粛性は高いですが特徴的な推進音。おまけに部品は安価。海賊の潜行機によく使われる小型のウォータージェット機関です』
「説明ご苦労。船長、お客さんらしいぜ」
「……くそっ」
海上強盗団、海賊の御出座しである。カイトが行動を起こす前に先手を打たれたらしく、商船の前方のから策敵用の音波が放たれた。
『探信音、他方向からっ! 数は三っ!』
「海賊の奴ら、危険海域の手前で網を張っていたか。御苦労なこった」
その手口に感心してしまう。警戒エリアで待つのではなく、その外で待ち受ける。安全海域は長距離レーダーによってカバーされているという油断を逆手に取った作戦らしい。
映像通信を受信。
モニターの隅で小窓が立ち上がる。
「お飾り傭兵は早々に立ち去れ」
それは老人に近い声。モニターに映し出されたものは、黒地に白く切り抜かれた印のようなもので、九個の頭を持つ竜の紋章だった。電波が不安定なのか、時々映像が乱れる。敵の数は少なくとも三機以上。事前に分かっていたことだが、海賊と相対してしまえば、一機の潜行機で打つ手はない。撤退することが無難であるし、そうする予定でもあった。
「これより港を指定する故、そこに入港し、指示された量の積み荷を降ろして頂く。無論、我等は見届人として同行する。事が上手く運べば手は出さぬ。安心されたし」
声の主は海賊潜行機集団の親玉らしい。既にカイトの存在を無視して商船に要求を伝える。攻撃をしないのは決して良心からではない。積み荷が沈んでしまうのは海賊の彼らにとっても望ましいことではないと言う下心があるからである。
『ゲームクリアです。回収船〈REDPUMPKIN〉に帰投しましょ?』
「……そうだな」
事も無げに言うヨナ、それに対して応答したカイトは何か引っ掛かっている。
「船長、俺は帰るぜ」
カイトは独り言のように呟く。手荒く海図を画面を立ち上げると、マーキングされたポイントを指で叩いて目標に設定する。それは母船でもあるレッド・パンプキンの位置だ。
船長には、大事な積み荷を横流ししたとみなされ、必要な処置を怠って大損失を招いた恥べき船長としてのレッテルが貼り付けられる。こうなってしまえば、海運業での再就職は難しく、折角の技能を捨て去って別の職業を探さなければならない。それは、船員たちにとっても同じ話だった。
だが、この事件が船に乗っている人間の運命をどれだけ狂わせるかなど、傭兵が気に病むことではない。カイトは多額の借金を抱えている。楽をして金が手に入るのならそれに越したことはない筈なのである。
「まったく、いい商売だ。ろくでもない傭兵稼業ってのは。ダグの母船に戻るぞ。針路は?」
『……方位一八〇です』
「はいよ。それ、取り舵一杯」
潜行機は、機体を軋ませながら転舵を開始。南へ帰還の途に就こうとしていた。このまま何事もなく、護衛対象のアタケ丸から離れていくと思われたが。
「なんだ?」
『タンクの注水音のようです。真正面の方角。ゆっくりと接近していますね。このまま本機の真下を通過すると思われます』
この海域に、カイトの他に傭兵が存在することは考え難い。この海賊の一員で間違いない。リーダー格の人間は、目立たない所に陣取る傾向にあることから考えるに、そこにいるのは商船にあれこれ指示を出していた老人、あの海賊頭であると思われた。
「あのヤローか」
『……ですかね』
「アイツ……『お飾り傭兵』は御言葉だったな」
『あの……カイトさん。何を考えてます?』
「いや、ちょっとご挨拶をなっ」
アクセルを吹かして急加速。
沈降しつつ進撃していく。
まだ小さいが暗視モニターにその姿を捉えた。
『もう! 知りませんよ!』
頭で理解しても、行動は感情に任せてしまうのがカイトという男。傭兵稼業を始めて数年。それが禍して任務を失敗することも多く、スポンサーやヨナを困らせることも多い。
沈降と加速、そして急接近。
今にもバラバラになりそうな機体。
そんな状態で海賊潜行機に迫る。
「お飾り傭兵っ……!」
無線機スピーカーからは海賊頭の声。当然、相手も迎え撃つつもりらしいが、虚を突かれたことを隠しきれてはいなかった。
「今更、何用であるか……!」
「お飾り傭兵の値打ちを確めなっ!」
ロックオン警報がコクピットの中で鳴り響く。それは、敵機の火器管制に火が入れられたことを示す。相手は、カイト機に牽制射撃を加えようとアームを向けてくるが。
「おらよっ!」
その向けられたアームを、カイト機は握り返すように掴む。カイトは、相手の機体にモニターに映し出されていた九つ頭の龍のペイントを見る。間違いない。このダイバーが海賊潜行機たちの親玉だ。
「傭兵。船を危険に晒したいか?」
「俺は任務を放棄した。今はアタケ丸に責任は発生しないことなんて分かっているだろ、龍印の海賊さんよお」
力比べをするようにお互いのアームを潰し合う。鋼鉄が歪むような鈍い音が響いた。二機の潜行機は組み合う形になり、ゆっくり回転しながら沈んでいく。カイトは相手機体のメインカメラを睨んだ。
「……海賊でなはい。クーロンだ」
海賊の男は、自らクーロンと名乗る。彼はカイト機のアームを降り払うと、少し距離を取って向かい合った。カイトは動かずに相手の出方を窺う。
「クーロンだかウーロン茶だか知らんけど、次に会ったときは痛い目にあわせてやる。覚悟してろ」
「であるか」
刹那、クーロン機のスピアガンが火を吹く。針のような弾丸がカイトの潜行機を襲った。数弾の内、一発がサブタンクに命中。致命的な損傷を受けたカイトの潜行機は大きく傾いた。
『サブタンク損傷! 使用不能! うわあ沈むうぅぅ! 浮上してくださいよぉおお!』
「うるさい分かってる! オールブローすりゃあ何とかなんだろ!」
怒鳴りながら頭上から伸びているレバーを操作し、下の注排水ペダルを踏み込むカイト。メインタンクに圧搾空気が送り込まれ、機体は浮力を得ようとしていた。
「ではまた会おう……生きていればの話であるが」
それでも、カイトの潜行機が海底に落ちていく。それを嘲笑うように、クーロンは沈むオンボロを見下ろしていた。敵機を示すソナーの光点が遠ざかり、海賊らが拿捕したアタケ丸の方向に向かって動く。クーロンは、機体を夜の闇に溶かして逃げて行った。
「クーロン……!」
『あぁもう、だからヨナを受け付けない機体なんて使うべきではなかったのです。次は新品の潜行機を使いましょう。そろそろヨナも最新のバージョンに更新して頂きたいものです。完璧な仕事をするには、やはり完璧な道具が必要なのですよ』
「暇だから好き勝手な無駄口を叩きやがって……。 クソっ! 浮け、このオンボロが!」
暗い海の深み。
その中にゆっくりと、カイトは消えていくのだった。