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人型潜行機動兵器〈伊號〉  作者: 樫野そりあき
序章 『ロンボク・サウンドの悲劇』
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 ブルー2というコードネームの彼は、また咳き込んで血を吐いた。大規模な海中戦闘は終結。多大なダメージを(こうむ)った二機の伊號が、海底へ引きずり込まれてゆく。ブルー2が搭乗している機体の腕は、損傷が(いちじる)しい機体をつなぎ止めていた。


「さっきの、海底からの音は?」


 隊長のブルー1が言う。彼は、ブルー2の伊號に吊るされている。その機体の、殆どの機能は停止。自力での行動は不可能な状態になっている。


『ソナーから送られる数値に変動がありません。さきほどから言っていますけど、幻聴ではないですかね?』

「静かにしてろ! ヨナ!」

『……はい』


 お喋りなAIに向けられたブルー2の怒号は、容赦なく彼の左胸に激痛を走らせる。なぜなら、被弾時の爆圧でへし折れた鉄配管が胸に突き刺さっているからだ。口から血液と唾液が混じったものが、おどろおどろしくあふれ出して(あご)は血糊まみれだった。


『興奮してはいけません。出血が酷くなります』

「ヨナ……今は、おれの事はいい」

『いいえ。血圧、脈拍も落ちています。このままでは貴方も危険です!』


 ヨナと呼ばれたAIの幼い子供のような声。それを無視してブルー2は聴音を再開する。AIが示す情報を鵜呑(うの)みにせず、ダイバー本人も確認するべし、という教訓が研修時の教科書に中にあるように、最後に信じるべきは機械ではなく、ダイバー各々の分析力である。だがヨナが主張しているように、ブルー2の体が危険な状態にあるということもまた事実であった。


 ブルー2は、目を瞑って水底の音を掴もうとする。水中で音というものは、様々な条件によって屈折したり、跳ね返ったりするため、音源は消えたり現れたりを繰り返す。ブルー2のレシーバーからは、ヨナが感知できていない推進音が確かに聞こえていた。


「聞こえて……いる、けど……」

「何だ?」


 隊長に話すべきかと一瞬思いとどまるブルー2。しかし、ブルー1隊長は彼の無言から何が起こったのかを汲み取っていた。


「行っちまったか」

「……」


 先程からブルー2に聞こえている潜水艦の音は、虚しく二機の下を素通りして行く。戦闘は終わった場合、敵であろうと関係なしにダイバーを救助する。そんなことは、普通の船乗りなら当然のことであり、ましてや海上強盗団ですら不言実行している『法で定めるべくもない海のルール』の筈である。

 

 眼下の潜水艦は、それを嘲笑うようにブルー2たちを見捨たと言うことだ。伊號のビーコンは間違いなく発信されている。気が付かない筈はない。それにも関わらず二人の存在を無視して航行しているに違いなかった。

 

「へっ。企業軍による“速成艦長”どもは、ここまで堕ちていたとはな」


 ブルー1が悪態をつく。その声はレシーバーを通してブルー2の耳に届いていた。ブルー2は、歯噛みする思いで識別反応がない視界モニターを睨む。今の時代、海上強盗団の潜水艦だとしても、大概の艦長は企業軍出身の者であることが多い。


 軍を保有する企業の軍人は、最近になって短時間の実技訓練のみで前線配備となるようになっていった。その結果、質が見劣りするするほどまで酷くなり、量産されるのが『速成艦長』だ。


 ブルー2は以前に、あいつらは海の男として失格だ、とブルー1隊長が語っていたのを思い出す。国の歴史によって培われた戦争の教訓により厳正に育成された国家軍人と、民間の会社が育成する企業軍人とでは質が大きく異なるのだ。


「カイト……もういい」


 ブルー1隊長の弱った声。それがブルー2のレシーバーから発せられる。カイト、と本名で呼ばれたブルー2。どれほど何かに噛み付いても二機の伊號は沈んでいく。速度は遅いが浮き上がる気配はない。そのことにブルー2の焦りは増していた。


「そうは、いかない」


 ブルー2の伊號も決して無傷ではない。正常に表示されていない視界モニターの映像は、砂嵐のブロックが隊長機を所々隠している。ブルー2単独では浮上可能のようだが、二機の連結を解除することをブルー2は感情的な理由で拒んでいる。


「そろそろ、伊號の耐久限界深度だ」

「諦めるなんて、アンタらしくもない……!」

「へへっ。野郎とお手々つないで逝くのはご免だぜ。気色悪ぃからはなすんだ」

「くそっ、おいヨナ! 浮力はっ、得られないのか!」

『全タンク、排水済み。可能な限り装備をパージ。これ以上の軽量化は不可能です』

「……さらっと、さじ投げやがってぇ」


 機体の隔壁が鈍く軋む。さらに機体は沈んでゆく。海は、深度を増すほど水圧で二人を押し潰さんと、手加減なく機体を歪ませ、最後には搭乗員と伊號を一塊(ひとかたまり)にして海底へ引きずり込もうとしていた。


 だが、そんな絶望に無謀でも歯向かうのが人間であろう。殊更に、カイトという若者はそんな人種だ。動かせる右手でタッチパネル式のコンソールを操作。海水ジェット・スラスターを予備バッテリーと接続したが、すでに電力は残りわずかとなっていた。


 アクセル全開。高圧ポンプのモーター音と振動で伊號が揺れる。しかし、伊號の両脚部と胸部のノズルから得られた推進力は、沈降速度を低下させる程度でしかない。


「うっ……ぐぐっ……!」

『バッテリー残量二〇パーセント! 電力持ちません、体も……!』


 配管から伝達される振動が、ダイレクトにブルー2の左(はい)を揺さぶっている。鉄臭い体液が傷口と喉奥(のどおく)からあふれて、多量に吐き出し、モニターのスクリーンにべっとりと塗付けられた。


『カイトさん!』


 AIのヨナは叫ぶ。

 視界がぼやけて、意識が遠ざかる。

 やるだけのことはやったのだ。

 死んでもいいかもしれない。

 そう、ブルー2が思ったとき。


「バカヤロー! いい加減にしろ!」


 それを良しとしない男の一喝。

 それが、彼を死の眠気から叩き起こした。


「オレを殺せ、と言っているんじゃない。お前は生き残れ、と言っている」

「仲間は、全滅した。母艦だって味方を無視して行っちまったんです! それに、こっちも、胸をやられて……」

「オレも下半身の感覚がない。血の風呂に浸かっているようだぜ」

「ニシナ隊長……!」

「分かってくれや、これ以上お前から可能性を奪いたくない」


 機体と体、全ての限界はすぐそこにあるように思えた。一滴々々の浸水が徐々(じょじょ)に勢いを強め、あっという間に膝下(ひざした)まで溜まる。機内の気圧は急上昇。ブルー2の頭痛も激しくなっていた。


「隊長っていうのはなぁ――」


 むこうのスピーカーのから激しい浸水音。 

 音声もノイズが多くなる。

 それでも、ブルー1の声は確かに届いていた。


「――部下を助けるのが、一番大切な仕事なんだよ!」

「……!」

「その隊長が、バディを引きずって殺しちまったらカッコ悪いじゃねぇか」


 ブルー1を“部下を道連れにした隊長”にしてもよいのか。その一念がブルー2の右手をぴくりと動かす。彼は、心の中で覚悟を決めると右手の操縦桿(そうじゅうかん)を握った。兵装解除の操作を行えば、二機の連結は解除される。それが意味することは。


「ニシナ隊長……。すいません……」

「……それでいい。あばよ」


 目に見えない繋がりを噛み切るかのように歯を食い縛り、パージのトリガーを引く。ごつんとアームが接触する音が響くと二機が離れた。一方は沈降速度を増して。もう一方は浮力を回復して離れていく。


「お前は良いダイバーだ。生き――……」


 通信が途絶える。そして、ブルー1の伊號が圧壊(あっかい)した。それを告げるのは真下からの鈍い音。軋み、押し潰され、空気が放出される。


 メインカメラの前をかすめる多くの気泡。赤っぽい液体はオイルだろうか、それともブルー1だったモノか。ブルー2は、眠そうにも見える虚ろな目で、浮揚していくそれらを眺めるしか(すべ)を持たなかった。一メートル、二メートルと海面へ昇っていく。浸水も弱くなる。それでも、血を流しすぎたカイトには、自分が生還するという実感は持てない。


『……ニシナ機、ブルー1のビーコン消失。現在の深さは一四五メートル、上昇中です』


 ヨナの報告しか聞こえない。静かな海中だった。他に聞こえるもとと言えば、コンソールやコントロール機器の電子音だけ。コクピット内の各所に設置されたスピーカーは、水中聴音装置と接続されており、全方位からのリアルな音が搭乗員のダイバーに伝えられる。


 そのスピーカーが、うんともすんとも言わない。だがパッシブ・ソナーの様子をヨナに確認させても『異常はありません』という答えしか返ってこなかった。ブルー2は、これほど絶望的な無音を感じたことはない。ここは海ではない、とすら思えてしまう。星のない無重力空間に放り出された宇宙飛行士のようなものだ。


 数分前、ここで大規模な戦闘があったことなど、今の状態では遠い世界の話にも感じられる。妙な感覚に襲われるブルー2。自分が、この世界から遠ざかっていく。この感じが意識が遠のくと言うことなのだろうか。血を流しすぎた。全身の肌も白い。彼は、彼の仲間やブルー1のいる別の世界に近づいている証しに思えてならなかった。


 ――みんな逝ってしまった。


 もう死んでいるのか、まだ生きているのか。その疑問をヨナに問うと『生きてますよ?』という答えが返る。人間ではないヨナという人工知能の存在が、仲間をすべて失って孤独になってしまったことを強調してしまうのは仕方のないことだった。


「ヨナ、おれが……助かると、思うか?」

『全力でサポートします』


 それはAIとして当然の回答。

 だが、彼が願ってしまうことは……。


 ――皆のところに行かせてくれ。


 楽になりたいのだ。だが、意識を失いかけるたびに、の(まぼろし)が目前に現れ、しかめっ面で睨んでくる。あぁ怒ってるんだな、と薄く笑った。次に何を怒鳴るかも予想できる。


 ――バカヤロー! いい加減にしろ!


 ブルー2は、その声のおかげで少しだけ生きる勇気を取り戻すことができた。


『深さ一〇〇メートル、ポンプは正常に作動、溜まった浸水の排水を開始します』

「……ん」

『カイトさん』

「ん?」

『何のためにニシナさんが沈んだのですか』

「……」

『ヨナは、生きることを提案します』

「……わかった、採用する」

『へへ、その意気ですよ』


 それでも左胸は痛む。折れた配管は、胸に食い込んではいるが、肋骨がそれを食い止めているようだ。代わりに肋骨が肺に食い込んで、激痛を引き起こしている。決して楽観できる状態ではない。


 突然に(のど)から何かが込み上げてくる。

 生暖かい。紅色のそれを、また大量に吐き出した。

 目の前がかすむ。彼は限界悟る。


「……すまん、もう……むり……だ」

『え?』


 白い顔をがっくりと垂れ下げて気を失う。ダイバーの身体における様々な情報が、サブディスプレイに表示される。それら全てが赤く着色されて警告音を発していた。


『しっかり、しっかりしてください。だめですよ、こんなの。起きてくださいよ』


 ブルー2は答えない。

 長く、深い呼吸を静かに繰り返すだけだ。


『とにかく、浮上して救難信号を発信しつつ島の港にむかうこと、ですね。バッテリー残量一八パーセントですが、なんとかして見せますよ!』


 緊急時の救難プログラムが作動したのだ。


『わかば電機社、伊號部隊のエース“青い切り裂き魔(ブルー・リッパー)”なんでしょ! 体に配管が一本刺さったくらいで死なないでくださいよ! ヨナのダイバーは、カイトさん以外受け付けませんから!』


 伊號は、自動操縦に切り替わる。海図が表示されると、現在地を特定して最寄の港の位置が確認された。ウォータージェット推進器が作動すると、機体が緩慢に前進を始める。この海戦を聞きつけてやってきたスクラップ回収船のスクリュー音をヨナがキャッチした頃には、バッテリー残量はゼロに等しく、カイトも虫の息だった。 


 わかば電機が(よう)する伊號部隊のエース“三島海斗(みしまかいと)”はこの戦闘で行方不明となり、数ヶ月後には戦没認定され、企業軍人としての登録を抹消された。書類上での手続きでカイトは死人となる。享年は23であった。




 ……殺しあいは終わりを告げる。

 傭兵、武器商人、海賊が蔓延(はびこ)る南の海。

 そこで始まったのは公然たる金儲けゲームだった。

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