13
ポートサウス警備部のロビーに義足の音が響いた。その場に居合わせた警備部の誰もが応接ルームへ向かうユーミを見たがすぐに目を逸らす。目が合おうものなら恐ろしい一瞥を返していたからだ。彼女の左手には7.62ミリ級の実弾がセットされていない実包が2本も指に挟みこまれている。それを左義手の足首の給弾口に差し込むと、部屋のドアを両手で弾き飛ばすようにして応接ルームに入室する。上等な来客が座りそうなソファにどかりと腰を下ろす。
「あなたの会社の者が随分と暴れまわってくれたようですな。ミス鳴瀬」
彼女を待ち構えていた中年の警備部長が、窓の外を見ながら直立不動で後ろに手を組んでいた。そちらに目もくれずユーミは義足を軋ませて足を組む。
「襲われたのですから、自分の身を守るためには当然です。襲ってきたのは警備部のAFMらしいですが、謝罪でもしてくれるのかしら?」
「確かに、使用されたのは本港の陸戦AFM。しかし実行犯は我々ではありません。機体管理担当の職員は厳重に処罰しますが」
体は微動だにせず、手だけを動かして壁掛けモニタのリモコンを押すと、画面には破壊された港設備が映し出される。それは、変電所や傾いたロータセイル、滅茶苦茶になった市場、バラバラになったガントリークレーンと散らばったコンテナの山であった。
「今回、貴女を呼び立てたのはコレらの賠償についてお話しするためです。さてさて、どれ程の被害額になるでしょうな」
「ほう。金を払えと?」
「当然です。すべてサウス軍港の公共設備。コンテナも利用者の個人や企業に多大な損害を与えてしまいました。これらすべて弁償していただくことになるでしょう。その請求書はここではなく設備管理部から届くと思いますが」
ついに立ち上がって目の前のテーブルを蹴飛ばした。ただの蹴りではない。戦闘義足である。先ほど差し込んだ実包の炸薬が発生させた衝撃はそっくりそのまま蹴りの威力となり、吹き飛んだ金属製のテーブルは回転しながらモニタを貫通して壁に突き刺さる。義足の、踝の間接部から微かに吹いた煙は、下ろされる足に従って尾を引く。床にたどり着いた時には、排莢口から薬莢が吐き出され、それは高い音を立てて跳ね転がった。
コーヒーは、警備部長の顔のすぐ近くをかすめて厚いガラスにヒビを入れた。散った黒い液体は、ユーミにとって愉快なことに彼の小奇麗なスーツにかかってシミをつくる。初めて彼がユーミを見たときには、頭に血が上ったユーミが迫っていた。
「私のクルーが殺されかけた。警備部の陸戦機でね! そちらの杜撰な機体管理に今回の責任がある!」
「もちろんその責任はあります。ある一面に於いては、ですがね。しかし命を狙われる理由があなたたちの中にある。違いますか?」
ハンカチで顔にかかったコーヒーを拭いながら、警備部長は冷静にユーミを見下ろしている。近いと、背が低いユーミは目線的に不利になるが、彼女は下から睨むように視線を飛ばす。一歩も引かぬ姿勢を見せてはいたが、先ほどの警備部長の言葉に返す言葉がなかった。
「うちの代表からその辺のことを言い含めておくように釘を刺されましてね。しかし、私は回りくどい話が苦手でして。承った言葉をそのままお伝えすることと致しましょう」
「言ってみなさいな」
「ウエストの面倒ごとをサウスに持ち込まないでいただきたい、と」
「……」
「こうしましょう。貴女のおっしゃいます通り、こちらにも落ち度があります。ですから、今回のことで貴女の部下を拘束することは致しません。原子炉冷却設備付近での水中戦闘も含めて、なかったことに致しましょう。これが警備部としての最大の誠意です。ただし設備破損についての賠償は当部署の管轄ではありませんので、そちらについての談判は設備管理部にお願い致します」
隙を見せた瞬間に畳み掛けられたユーミは返す言葉もなく、それを飲むしかなかった。しかし、はいそうですかでは帰れない。
「我社が寄港している間、無法者で怪しい奴らの暗躍は食い止めてくれるのでしょうね」
「怪しげな連中には目を光らせております。それが我々の務めですから」
「それなら安心しました。今回の事がなければ手放しで安心できたのだけれど、残念だわ」
「貴女が話が早い方で助かったミス鳴瀬。単刀直入な対応に感謝致します」
もっと不遜な態度を取られたら、ユーミ自身何をしていたかわからなかった。心を静めて応接室を出ようとしたとき、また警備部長が彼女の背中に駆け寄って声をひそめた。
「……スカルノの犬がうろついております。今回の敵は彼に雇われたゴロツキ雑兵でしょうな。本人をマークしてはおりましたが、不覚を取りました。表に見えない仲間がいるのかもしれません」
「なぜ教える?」
「そうですな、警備部長としての個人的な誠意でしょうか。しかしその誠意の中にモニタとクリーニング代金は含まれませんのでご了承ください」
「まさかそれも設管から請求されるのかしら」
「まさか。きっちり警備課から出しますとも」
「……」
話の主導権を取られたことは不満だったが、足を運んだ価値はあったかもしれない。ユーミは苦し紛れに手の内に残っていた物を警備部長に投げ付ける。彼は無駄な動きなくそれを手で受け止めた。それは未使用の薬莢であった。
「命拾いしたわね」
そう吐き捨てると早々に警備部を辞する。外ではサブローがジープで待っていた。シートに乗り込むと一つ溜息を吐いて義足の具合を確かめた。
「誠意は示したとさ」
「?」
「まあいい。サウスの設備管理部から連絡は?」
サブローから手渡されたタブレットを見ると、その賠償額にユーミは顔を青くする。それを見たサブローは方向指示器を上げて車を出した。彼は、少々顔をずらして残った片目を正面に向けて運転する。
「まて、設備管理部にはいかない」
黙ってサブローはブレーキを踏む。
「交渉する材料がない。警備部は、金までは出さないらしい。全く軍社にも入れる保険はないものかね」
「……まさか。保険会社が成り立ちませんよ」
「ふっ。ちがいないわ」
サブローは、ギアを入れ直すと本社がある港へ向けてハンドルを回す。ユーミはサブローの顔を見て微かに笑う。そして無線をターシャに繋ぎながら細長い煙草に火をつけた。
* * *
先ほど戦闘した区画とは正反対の位置。
そこは船渠区の使われていない入渠ブンカーである。
「まいどー。ジャンクヤード・イバラキ。……なんだ鳴瀬か。お楽しみはこれからだ」
ターシャは一服を終えて、吸い殻を海に捨てた。いつものように波がそれをさらったが、海の色は尋常ではない紅色に染まっていた。無線のコールが鳴る。相手はユーミだった。
「……そうか。スカルノとの繋がりは確認できない、か」
暗く、そして座っている目で視線を落とすターシャ。彼女がしゃがみ込んで、見つめる海には大きく黒い魚影。飢えた鮫が、血で染まった海に残る“食いかけの餌”が残ってはいないか嗅ぎまわっているのだ。
「なるほど、情報はそこ止まりだな。じゃ、こっちも仕事を切り上げるとしよう」
一方的に無線を切ると、立ち上がりサプレッサー付きの愛銃を確かめると“つぎの餌”に銃口を向ける。これより生き餌となる4人は、ガムテープで後ろ手に縛られている。先ほどまで警備部のAFMで彼女を追いかけ回していたパイロットたちだった。
「事情が変わった。お前らの情報に価値がなくなった」
冷たく光る銃口が縛られた者たちに向けられる。慄く者や暴れて前のめりに倒れこむ者。その中でも黙ってターシャを鋭く睨み返した者に照準が定められる。その頭目らしい男だけは、口が塞がれていない。男が噛みつくように吼えた。
「俺たちの身の上を話せば命は助ける約束のはずだ!」
「事情が変わったと言った」
銃口が男から逸れる。いま口を開いた男の隣の者が後ろに吹き飛んだ。もちろんすぐ後ろは海である。その者が落ちる音が聞こえた後、赤く染まっている波がまたその色を濃くする。鮫の尾が海面から露出して波を叩く音が聞こえた。誰も後ろを見ない。落ちた男が後ろでどうなっているか想像するに難くないし、考えたくもなかった。
「それに縛られたお前たちが、対等に話ができる立場だとでも思っているのか?」
「……クソ野郎」
二回の発砲。両隣の者が消えていく。その男が最後の一人になった。ターシャが銃を向ける。男は覚悟を決めたように目を閉じるが弾丸は放たれることはなかった。不審に思ったのか再び男が顔を上げると、ターシャの銃はスライドが後退したままになっていた。つまり弾切れである。しかしターシャの顔は嘲笑うように口の端を釣り上げて赤い舌を口から垂らす。遊ばれていることに気が付いた男の顔は憎悪で歪んだ。
「小娘ひとりの命、大したことない。楽な仕事だと思ったか?」
ターシャは銃を下ろして男に近づく。ターシャを見上げたが、日光で影になって彼女の顔は確認できない。ただ、妙にギラつく眼だけが男を見下ろしている。
「一人の人間の命を奪おうとしたんだ。お前らも相応に命を張るのは当然のことだよな」
そう言い終えるや否や、男を掴んで海が見えるようにした。眼下に広がったのは、文字通りの“血の海”である。さらに酷いことに鮫の食べ残しが海面に漂っている。いまから自分も同じようになる。そう思ったらしい。男は初めて顔を青くした。その背中にターシャのコンバットブーツの足裏が乗せられる。流石に男は震えたを上げる。
「まて! 俺たちが請け負ったのは伊號の傭兵の始末だ! 他はなにも頼まれていない!」
「お、そうかい。それだけ聞ければ十分だ」
容赦ない蹴りが男の背中を襲う。
男は悲鳴を上げて赤い海へ落ちる。
足に鮫の食い付きがあったらしい。男は逃れようと狂ったように暴れている。鮫の様子をのぞき込んでターシャがつまらなそうに首を傾げた。
「食い物で遊んでやがる。鮫もどうやら腹いっぱいらしい。悪運の強い奴め、まだチャンスが残っているかもな」
男の体が海面から消えた。影が水中を走り出す。海中で体の一部をくわえられているらしく、海面から突き出た背ビレが赤い線を引いて遠ざかって行く。もはや悲鳴はきこえなかった。
「まあ、その悪運が続けば、だが」
ターシャは男の末路に背を向けると、顔に付いた赤い海水を拭った。銃を懐に仕舞い、淡々と整備士の作業服に着替えると事もなげにその場を立ち去る。ブンカーを出ると船渠区の作業員が横行している。その中溶け込んで進み、自然な様子でターシャはその場を後にした。彼女が被る作業帽の下には、不気味な薄い笑みがあった。
“ウサギ狩り”は始まったばかりだ。
* * *
露店が並ぶ市場の混乱は収束し、いつもの活気が戻っている。先ほどカイトとターシャが利用し、守った食堂も例外ではない。
店員として働く彼女は、その一角のテーブルに走る。もちろん、そのテーブルに座る客に呼ばれたからである。テーブルの上にはすでにスペアリブの大皿三人前が置かれている。客は若い女性。店員の彼女とも同じくらいの背丈で年も近いと思われる。追加の注文のため呼んだ割には、店員の彼女を脇目にまだスペアリブを素手でがっついていた。
その横顔を店員の彼女が眺めている。刈り上げとドレッドのアシンメトリーの髪。耳にはガチャガチャ多くのイヤリングを付けている。ショートパンツから伸びる足は、ストッキングを履いているのかと思いきやそうではない。薄生地のチェインメイルであった。
身を固くして注文を待つ。彼女はこういった客が何を所望するが心得ている。こういった客とは、端的に言えば“かたぎの人間ではない人種”のことである。この店の裏メニューはこの手の客から好んで発注されるのであった。
「追加のご注文ですか」
スペアリブの大皿が空になったのを見計らい、彼女は意を決して声をかけた。口元に付いたソースを握りこぶしで拭うと、鋭いギザギザの歯がにやりと笑う。
「丸太ケーキを一本転がしてほしい」
「……食材はいかがなさいますか」
その奇抜な客は、大皿の下にメモを滑り込ませると、スペアリブの代金としては多すぎる額が入っている札束が入った封筒を、その皿の隣へ無造作に置く。するりと椅子から降りてウエイターとすれ違う瞬間、ピタリと歩みを止める。
「アタイはうまい飯を作る奴が好きだ。ウチのリーダーのところで働かない? もう汚れ仕事はたくさんだろ?」
「ブローカーは副業です。うちはあくまでもただの食堂ですから」
「笑わせるね。中継ぎだからって自分の手は汚れないと思ってんのか?」
ウエイターは口を固く結ぶ。返すことばは無かった。
「まあ考えておきなよ。アタイのリーダーはね、アンタらが自ら手を下すことが出来たなら、うちの傘下で純粋に飯屋をやらせてやると言っているんだ」
「それは!」
二人は初めて顔を合わせる。声を上げた彼女の顔に緊張はあったが、驚きの感情で一瞬だけ表情を明るくなった。
「本当ですか……?」
「リーダーは嘘を言わない。今のケツ持ちは最悪だろう? だからこんな仕事もしなければならない。まあ、頑張ってみなよ。今のままでいいって言うのなら強制はしないけどね」
そういうと、その客は大皿のもとに戻って骨を拾い上げて口に放り込んだ。そしてガリガリと音を立てながら鼻歌交じりに去っていった。その背中を見送っていたウエイターは我に返ると、客が大皿の下に挟み込んでいた注文書を取り出す。そこには細かく指示が書かれていた。
“グランパスカップ当日”
“ノエル・イバラキをころせ”
“それがスカルノファミリアの望みだ”
これが注文書に書かれた内容である。それをポケットにしまい込むと、大皿を片付けて店内に戻るために歩き出す。そして別のテーブルに座った新しい客にいつもの通り明るい挨拶で声をかけていた。




